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伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ。

「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」という本の中で橘玲さんは「伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ。」と読者に訴えていた。

彼の考えの根本には誰もが言わない、言おうとしない本音、本質を敢えて表に出し、そこを利用して逆転しようという意志があるような気がする。
私はそこがたまらなく好きだ。

伽藍とは昔ながらの村社会。閉鎖的な空間で評価を得て、何とか生き抜いていくような世界。一度ついてしまった評価やレッテルから逃れるのは難しく、粘着質のある世界のように思う。上手くいっている時はいいが、失敗からの再挑戦も難しいのが現実だ。その人の評価をいわゆる「空気」やつが握っていて、つかみどころがない。
一方バザールは、解放された世界。ゲームに参加する人が流動的に入れ替わり、場を作る。この場は現代では主に、バーチャルなネットの世界に存在していて、現在のテクノロジーがあって成り立つ世界。
ネット上に自分や自分のアバターを存在させ、数値化された評価に基づいて場を生きていく。空気での評価ではなく明らかな数字での評価。ある意味フェアだ。その場ではある個人の評価より多数の評価が重要視されるから、自然とその世界のルールや仕組みを学ぶ。ここには人間関係の処世術ではなくネットリテラシーや情報感度の高さが優位に働く。そして、バザールの攻め方としては挑戦や継続が圧倒的に有利だ。精神論としてではなく、力学的に有利だ。
バザールの中では新旧が入り乱れる。序列もない。アメーバ的世界において誰もやったことのないことに挑戦する人は興味を引くし、継続はその人の行動の証拠だ。
ネットの世界で誰でもそれをさらせる環境になり、出来る人はさらす。出来な人はさらさない。さらせない。この時点で圧倒的な差が出来る。

田舎に住む私にとってリアルはやはり、伽藍の中だ。もちろんそこの良さもある。確かな繋がり、受け継いできた伝統や文化はその中で熟成されてきた。そして、災害時などは役に立つ世界。誰がどこにいて、どういう生活をしているか、だいたいを把握している。
しかし、テクノロジーの発展で新たな世界が出来た今の時代で、バザールに打って出ない手は無い。
挑戦と継続、ここの場でこうして書き続けることも、私にとってはその一つ。
新しい生活スタイル、価値観を求められる今の時代、バザールの世界はリアルを包み込もうとしている。やはり、その両方を行き来する必要はあると思う。著者はちょっと過激に「伽藍を捨てて」と言ってはいるが、良いところは残し、新しいものと統合出来る道を模索したい。

でも、やはり思い切ったことをするには、一度心の中では「捨てる」くらいの勇気も必要だ!