声はいつも導いてくれていた

歌を歌う行為は、それ自体が楽しかったり、何かに浸りたかったり、表現だったり様々だと思う。
それぞれ、カラオケを楽しんだり、ライブをしたりする人もある。


都会の生活から、田舎の生活に変わり、電車移動からマイカー移動に変わった。
そして、気が付いた。車に乗ればいくらでも好きに歌うことも、声を出すことも出来る。

一人空間。

マイカー通勤を始めた頃、1日の中で自由に歌える時間が作れる有り難さをよく感じていた。
カラオケボックスなんて行かなくていい!
毎日カラオケ三昧!
そう思った。

通勤で大体往復一時間位時間を使うので、その時その時で歌いたい曲をカーステレオに入れて歌いながらよく走っていた。

その時間は自分の「声」と向き合う。

声が気持ちよく出る時、出にくい時、歌いたい時、気が乗らない時、自分を声から感じていた。

声が自分の状態を教えてくれるというような感覚だった。


そんな声、歌との付き合い方はどちらかというと内向きで誰かに表現するわけではない。
自分のための音楽という感じだ。

元々は外へ向けての表現、発散、そういった感じで始めた音楽。
それが、長く続けた過程でだんだん自分自身に向けたものへと変化してきた。
そして、声を出すということ自体が別の感覚を生み出していくことになった。
いわゆる「チューニング」というか、自分自身を整え、調律していく感じ。

自分の声に包まれて、空間を自分の声で包む。
それが自分の声なのか、空間の声なのか分からなくなるくらいが自分にとっていい感じ。
余計な力が入らずに響いて抜けていく感じ。
そんな感覚に変わってきた。
なので、歌を練習するとか、楽器を練習するとかそういう感覚は無くなってしまい、全然うまくはない。
でも、何か声が導きをくれる気がして、その感覚を求めている。

歌いながら田舎の道を走り、歌う自由を手にしたことで、変わってきた歌の感覚。
面白い変化だ。

自分の声、自分の感覚に耳を澄ますと、ここだ、ここだと行くべき場所に導いてくれる。

声って不思議、そして、大切。

そんなことを思いながら、田舎の道を好きな音楽をかけながら、歌いながら走る。
今は、山々が色づいて紅葉が綺麗。

声が導く方へ進んでいけば、きっと大丈夫な気がしている。
セルフな感じの声、歌、それが空間と一体になったような感覚。
景色と溶け合うような感覚を求めているのかな。
そして、この時期は特に声に敏感になる。
秋色に染まる季節は、感覚が研ぎ澄まされて、音が恋しくなる。

自分の音を自分の声を感じながら、自分の道を進んでいけばいい。