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今日は夏至の日


今回も自分が過去に書いた記事から派生した内容のことを書こうかと思います。

「自分は何がしたいのか?問題」

勝手に名付けましたが、自分は何がしたいのか?という問いにぶつかり苦しんでしまうことってあるのではないでしょうか?

僕自身がそうだったので、その気持ちはよくわかります。

やっていることはあるし、やれることはあるけど、本当にそれがやりたいことなのかわからない。自分と一致しない。

そんな感覚なんだと思います。
だから端から見れば何の問題も無いように見えるのに、自分としてはしっくり来なくて、物足りない。
そんな状態が続いてしまいます。

そこで、やり方を変えてみたり、憧れの人のやっていること、やり方を変えてみたり、色々やるわけです。

こういう場合って、まず、既に結果が出ている人、やりたいことを通常モードでやれている人を参考にすることが多いですよね。どうしたらあの人のようになれるのかな?って。
実はここが落とし穴かなと。
そういう人は大体、自分は何がしたいか問題に、今はぶつかっていないのです。
もしくは、これまでそういう問題にぶつかって来なかった人なのかも知れないのです。

なので、実は、どうやったら良いかの参考にはなりにくいと思っています。

では、どういう切り口から攻めていくのか・・・?

僕の場合、まずは自分自身をよく見つめるということをやりました。

何をやるかは一度、置いておきます。

だから、とりあえず「何もしなくて良い」という立ち位置に立ってみるんです。

結構、この位置、行けるようで、行けないんですね。

自分に何もしなくて良いという許可を与えることは、中々難しいのです・・・。

それは、何かをしてきたことで、自分の存在を確かめてきたからに他なりません。

そういう思いになるのならば・・・次にこう考えてみるのです。

自分は他者化していないか?

他者化という言葉はそんなに一般的な概念ではないと思うけど、今の時代を表す重要なワードだと考えています。
そのことについてはこれまた過去記事に書きました。

心理学では自我同一性を達成しないと、安定した自分を生きられないと考えられます。
もしかして、「自分は何がしたいのか?問題」はこことつながっているのでは無いでしょうか?

大きな意味でいうと自分と繋がれていない、繋がっているつもりが、他者のフィルターを通した世界でしか生きていない、そんな状況に置かれているのではないか?・・・という視点で自分を見つめ直す必要があると思うのです。

しっかり自分を見つめ、自分自身と深く繋がることが出来たら、実は何をやるかはあまり関係ありません。
その状態でやっていることがやりたいことだったのかも・・・
そんな気づきに至れるはずです。
僕の場合はそうでした。

このように考えて、この問題を終わらせていく方法もあると思います。

今日は夏至。

陽のエネルギーが満ちる日です。

満ちては欠けるの循環の中で、自分自身がどんな二極で揺れているのか?
改めて、考えてみる良い機会だと思います!