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新説!邪馬台国の真相2>>>>

新説!邪馬台国の真相2>>>>
卑弥呼はなぜ女王になれた? 


前章では、人々が「倭人伝」に書かれた邪馬台国までの解釈に左右され、いろんな説でわけわからなくなっている、とお話ししました。
もっとシンプルに、こんな記述から目を向けてみましょう。
このたった2行に、答えは眠っているようです。

『国は大いに乱れ、お互い何年も攻めあったので、共に一人の女子を王に立てた、名を卑彌呼という。鬼道に長け衆の心をつかむ』

2世紀後半、倭が大いに乱れて戦乱が起きたが、みな戦いに疲弊したのでひとりの女子を「共立」させ王とし、ようやく戦いがおさまったとされています。その女王の名が「卑弥呼」。「鬼道」をもちいて、長くクニに安定をもたらせたようです。

でも、なんか変ですよね?なぜ卑弥呼が女王になったら、戦乱がおさまったのでしょう?
卑弥呼はシャーマンとされていますが、いくらそうとは言え、まだ10代か20代の若い女子に、各国の王たちは国の運命を託しちゃってよかったんでしょうか?
この点は、学者・研究者の中でもあまり疑問視してないのも不思議です。

なぜって、たとえば上杉謙信・武田信玄らが活躍した戦国時代を考えてみてください。戦闘に疲れたとはいえ、「ある国の巫女が王になりますから、戦いはやめてその女王に天下を任せましょう」などという提案に信玄や信長は賛同したでしょうか?女王の指図に従ってクニを没収される可能性だってあるわけです。実際、百余国あった「倭」が、卑弥呼の時代に30国になりました(卑弥呼のせいではないにしても)。差し引き70国は消滅・併合されちゃったわけです。そんなリスキーなこと、誰が納得するでしょう?

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卑弥呼がなぜ女王になったか? その理由をいくつか考えてみます。
1つ目は~
「卑弥呼に背後、つまり邪馬台国には強力な軍事力があり、力で諸国をねじ伏せた」
いやいや、これだと単純に倭国大乱の末、邪馬台国が倭国統一し、卑弥呼が王として君臨した、とすればいいわけです。「共立」されたのですから、武力で女王になったわけではありません。

2つ目~
「卑弥呼のシャーマンとしての力はものすごく、天候を見抜き星を読み、未来を予測することもできた。なので王として推挙され、戦いは終わった」
古代ではありえることです。が、もし卑弥呼が絶大なシャーマンだったとしても、それを知る者しか彼女の推挙に賛同できなかったわけです。それとも卑弥呼は、もともと倭国中に響き渡った超有名人だったのでしょうか?
要はごく狭い、村々程度の規模の終息ならありえても、倭国大乱をおさめるほどの理由にはなりません。

3つ目~
「卑弥呼を王に仕立て傀儡政権とした」
シャーマンである卑弥呼をシンボリックな王に仕立て、傀儡政権とし、その実権は別の者が握るわけです。
なるほどそうだとしたら、「倭人伝」に書かれている卑弥呼の側近の「弟」がもっとも怪しいですね。弟が真の王で、倭国をコントロールしていた……。
しかしこれでは、事実上の独裁政治。「共立」した他の王たちは黙っていないのではないでしょうか。そもそも各国の軍事力が拮抗していたからこそ決着がつかず、女子を王にしたわけですから、傀儡政権としたところで、他者から見抜かれ卑弥呼政権は長く続くことはありません。

となると、あとは外的要因が大いに関係したと考えられます。
4つ目~
「倭国に外敵が生まれ、あるいは外敵が迫り、国内で争っている場合じゃなくなった」
そう、これ。おそらく私はこれが理由だと思っています。
「倭国」の外敵とは誰か?
その外敵を特定することで、邪馬台国そのものの場所と立場が浮かび上がってくるのではないでしょうか?
次回はさらに具体的に考えていきます。



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