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 「風の影」  カルロス・ルイス・サフォン作

 数年前に読んだこの本をまた読み返しました。何故なら『精霊たちの迷宮』という本を買ったからです。『精霊たちの迷宮』は『風の影』の続編らしくて、ちょっと読みだした所、登場人物について「誰じゃ?これは」という事になり、こりゃ読み直さな、あかんと思ったからです。大体のストーリーは覚えていたのですがね。(フェルミンの存在を忘れていた)

これって『失われた本の墓場』シリーズ四部作のひとつらしいですね。
ってことは、後二つあるのでしょうか?

『風の影』です。

 一言で言ってすごく面白い本です。重厚なミステリーという感じ。
きっと読まれた方も多いと思います。
37か国で翻訳出版されて500万部を売ったそうです。数々の賞にも輝きました。上下合わせて800p程の長編ですが、全く飽きさせません。

 作家のカルロス・ルイス・サフォンは1964年にバルセロナに生まれました。

 物語の語り手ダニエルは幼い時に母を亡くし、父に育てられた少年です。
『風の影』と言うのはダニエルが10歳の時、父親に連れられて行った『忘れられた本の墓場』と称する館で出逢った本です。
『忘れられた本の墓場』という場所はまるで巨大な宮殿であり迷路です。円形のホールから伸びる回廊と無数の部屋。そこにあるのは古今東西の無数とも言える本。そこは本の海であり、本の墓場でもあります。本は時代を閉じ込め、ありとあらゆる情景も記憶も知識も閉じ込めてそこに静かに眠っています。
そこの管理者イサックは訳アリな老人です。(訳アリじゃなけりゃ、そんな場所にいる訳ない)

 こよなく本を愛し、小さな書店を営む父親は「ここに在る本の内一冊だけ好きな本を貰っていい」とダニエルに言いました。
「その本がこの世から消えない様にお前はそれをしっかり守らなくちゃいけない」と。

 ダニエルが選んだのは『風の影』という本です。作者はフリアン・カラックス。バルセロナ出身の謎の作家。
ダニエルはこの本にすっかり夢中になり、カラックスの別の本も読んでみたいと探します。そしてこの作家に付いて調べ始めます。

 すると、おかしな事が起きている事に気付きます。誰かがカラックスの本をこの世から抹殺しようとしているのです。その誰かはカラックスの本を探し出して全て焼こうとしています。その魔の手は『風の影』を持つダニエルにも伸びて来ます。

 ダニエルは、浮浪者であり、後に『センベーレと息子書店』(ダニエルとその父が経営する古書店)の店員になり生涯の友人となるフェルミンと、フリアン・カラックスの謎を解き明かそうとします。

『風の影』は恐怖と不安を呼び寄せます。作者フリアンには常に黒い影が付き纏うからです。けれどもダニエルとフェルミンは謎を追い掛ける事を止めません。影は彼らの近くにいる人々を巻き込み、危険に晒します。

 この物語全体を覆っているのが、スペイン内戦とその後のフランコ独裁政権下の重苦しい空気です。
私はスペイン内戦に関しては、ピカソの「ゲルニカ」はスペイン内戦を題材にしているとか、ヘミングウェイやカミュなどが人民戦線に国際義勇軍として参加したという事位しか知っていませんでした。ヘミングウェイはその体験を元に『誰がために鐘は鳴る』を書きました。

ちょっと調べてみました。
スペイン内戦は、1936年7月から39年の3月までの人民戦線政府とフランコの指揮する軍部との戦闘で、スペイン全土を巻き込んでの戦いでした。
そこにアナーキスト(無政府主義者)やカトリック教会などがそれぞれの思惑で関わり、事態はより複雑になります。暴力と虐殺の嵐が吹き荒れ、国は分断されました。
ファシズムの台頭という第二次世界大戦につながる内戦だったとあります。

結局、ドイツ(ヒトラー)・イタリア(ムッソリーニ)の援助を受けた軍部、右翼勢力が勝利し、フランコ将軍の独裁政権が成立しました。人民戦線政府は敗れたのです。
粛清の波が生き残った人々に襲い掛かります。
現在のウクライナやスーダンの惨状が思い浮かびます。

*(解説に当時の政情が述べられているので読み終わってから参照すると良いと思います)

10歳のダニエルが『風の影』に出会うのは内戦が終結して6年後の事です。

『彼の物語はこの時から始まる。そして、この少年の成長を無言で見守り続けるのが、傷と悲しみを負った内戦後のバルセロナなのだ』
風の影 下 木村裕美氏訳 P425 訳者後書き より 

 物語の中のダニエルとフェルミンの会話が面白い。ユーモアと機知に富んで、皮肉もたっぷり。不自由と恐怖の中にあっても、人々は権力の横暴な圧力や困窮や不幸さえも嘲笑して明るく生きて行こうとする。

 人という社会的生物、集団で群れて暮らす。
その愚かさや残酷さ。イデオロギーの強力さ。全体主義の恐ろしさ。自由を失った生活の息苦しさ。

そして共助の精神。温かい気持ちや深い愛情。
叶えられなかった愛。ささやかで平穏な毎日が脅かされる恐怖。市井の人々の逞しさ。
自分を捨てても相手を助けようと思う気持ち。人々の深い傷や、取るに足らない存在ながら精一杯の正義感などが心に残ります。

 訳者も解説で述べていますが、この物語には全てがあります。戦争も経済格差も永遠の愛も。襤褸切れみたいに扱われる人々や、慎ましい人生も、無実の人を痛め付け苦しめる人間も。執念深い復讐も。優しさや残酷な暴力も憐れみも憎しみも。複雑に絡み合って二重写しになる運命も。

 この本の雰囲気が好きです。空気と言うか。それは多分に訳者の方の感性による所が大きいのだと思いますが、それに馴染み易い。
 本を開くとあっという間にその場所に入り込む感じ。
物事の描写が繊細で豊かだと感じます。
 
余談ですが私はこの物語の中で特に心に残る登場人物はミケル・モリネールです。彼はフリアンの友人でよき理解者であり、困難な時にも彼の守護者であり続けます。

*イラストはACイラスト様からダウンロードしました。

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