見出し画像

息子の闘病との距離感

 195日、これは息子がまだ診断が確定される前の好中球減少入院から今までに入院した日数です。そして、連続入院日数の最大は55日でした。

 私はこれらの日数を実感を持って物凄く長いと感じる方の人間です。

 昔のことなので曖昧なところがありますが、1人目のとき約30日、3人目のとき約50日の切迫早産入院での入院歴があります。
 切迫早産の入院は本当に最悪でした。ウテメリンという点滴を24時間流され大人しくして耐えるのが治療です。

 点滴は普通の末梢静脈から入れる点滴ですので日が経つと点滴が詰まります。定期的に差し替えますが入院日数が伸びるとその期間は短くなり、差し替え差し替えで腕はボロボロでした。
 指す場所もなくなり看護師さん泣かせでした。そして昔は採血も割合得意な方でしたが、今は血管が逃げて逃げて探すのが大変です。

 家で大人しくしてると訴えても産むにはまだ早いしどうせ動くから帰せない、と聞いてもらえませんでした。
 当時はスマホやましてやWi-Fiなどはなく、本やゲームもお腹が張ると、あまりすることもなく個室でないときは同室の人たちや看護師さんとおしゃべりするしかなく、、
 病院へ感謝もたくさんしましたが、病院の対応にもいつも満足できるということはなく、クリスマスも正月も病院で過ごし、とにかく退院したい!と思いながら毎日をやり過ごしました。
 そしてさあ退院と言われても子どもを無事に産むまでは晴れた気分にはなりませんでした。

 その他にも手首の複雑骨折で2泊3日、ボルトを抜くための2泊3日入院しました。その際全身麻酔の経験もしました。
全身麻酔の入ったら眠って、終わったら叩き起こされることも経験してます。
 骨折治療から目覚めた後の痛みは出産の比ではなかったのを覚えています。
 手首を庇い動かさないことをしていたら関節の動きが悪くてしばらくリハビリに通わなくてはなりませんでした。
 そこで初めて私も理学療法士さんにお世話になりました。

 また相当以前になりますが祖父は長らく2つのと闘った人でした。晩年は自宅で過ごしましたが、治療中は入院してました。2度目の癌のときには私も高校生で学校帰りに見舞いに行ったりしました。
 がんというものの恐ろしさ、厄介さ、それを抱えた患者、そしてそれを支える家族は私の身近にありました。

 抗がん剤の恐ろしさは身をもって体験していないので、白血病と長期で向き合う息子の辛さは本当のところはわかってはあげられませんが、

 入院中の、早く帰りたい!という息子の気持ちには共感してあげることはできました。
 リハビリの重要性も身をもって知っていたので背中を押してあげることができました。

 他方、がんの厄介さについては研究半ばの昔の話がやはり記憶としてあるので研究が進んだ今であっても油断できないとどうしても思ってしまい、
息子にも常々忘れないように釘を刺しすぎてしまうところがあるかもしれないという気がかりがあります。

 かかって5年は再発の恐怖がつきまとい大きくなれるのか、が最大問題ですが、
 その問題が薄れたしたとしても、大人になってからも抗がん剤やステロイド使用のせいで後から障害が現れないかはゆくゆくは本人が一生気にかけて過ごさなければなりません。
 かと言って事前から過度に心配し過ぎて声をかけしすぎても無事だった場合に色んな可能性を閉ざしてしまうかもしれない、と悩ましい部分もあります。

 息子の闘病について家族としてどう向き合うのかその適正な距離感を見つけることは私にとっては中々厄介な問題です。


((後日編集))治療の際に処方された薬についてまとめました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?