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地元校と院内学級の話

 地元校の話


 入院当初、息子は小学4年生でした。通っていた地元の学校のクラスはとても仲が良く、息子も学校に行くことが楽しくてしょうがない、そんな毎日でした。
 地元校は中小規模の小学校だったので学年全部の子をみんながみんなだいたい知っているという環境で、先生たちとの距離も近く、アットホームな環境で過ごしていました。

 しかし、病気がわかり、入院が決まってからは日に日に学校や友だちたちと距離を置きたがるようになりました。それは4月から5年生になり退院が近づくにつれ緩和されていきましたが、結局退院するまで続きました。

 当時の担任の先生が関係を絶やさずに時々様子を気にかけて連絡をくれました。タイミング的に4年生は10歳を祝うイベントが2月にありましたが、体調が不安定で気持ちの面でも追いつかず間接的な参加しかできませんでした。
 私としては寂しい限りだったのですが仕方ありません。ただ学校に戻ったときに居場所がないのは息子が可哀想だったので、子供たちには5年生になって必要な治療が済んだら帰るので待っていてほしいと伝えてもらいました。
 いざ帰ってみると暖かさそのままで息子のことを待ってて受け入れてくれている子どもたちや学校には感謝しかありません。

 院内学級の話

 地元校に代わって、入院が決まったときに主治医から話があったように、病院併設の小学校の中にある院内学級に転籍するようになったのですが、入院当初は転籍を嫌がり、結局冬休み明けてからの転籍となりました。

 院内学級ですが、カリキュラムとしては小学校で教わる教科を網羅していて、病棟内にある学習室やプレイルームに通うか状態によってはベッドの上で2時間の時間割をこなす、というものではありましたが、実際は体調が悪い日の方が多く、中々参加できませんでした。

 代替手段として宿題にしてもらったり、在宅が長い期間にはオンライン授業の対応をしてもらいました。
 勉強に関しては量は圧倒的に足りないし、席に座らずに受けることも少なかったりしたので、いわゆる普通級として物足りないのかもしれませんが、学校を味わうことができました。

 例えば、担任の先生やクラスがあること。院内学級のクラスは会える子もいれば病棟が違って会えない子もいましたが先生が工夫してクラス、学年という枠を子どもたちに伝えてくれているように感じました。
 また、直接参加はできませんが、卒業式、入学式、運動会といっあ学校らしいイベントはあって、それに向かった準備やらで間接的に参加をすることができました。

 ちなみに、院内学級は入院したら必ず転籍するわけではなく、タブレットでオンライン授業を受けている子もいました。中学校もありましたが、私立の子は手続きの都合で院内学級には転籍せずオンラインやオンライン家庭教師に頼っていました。
 1年生で入学期を病院で迎える子、6年生で受験期を病院で過ごす子、自分の転換期を闘病をしながら過ごす子がいる中環境の変化に弱い我が子には最適な環境だったと思います。


退院の1ヶ月前くらいから復学の話が本格的になります。
復学に関しては復学支援会議に参加した際の話をご参考ください。

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