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とある喫煙者の憂鬱


「マッスル! いまから生徒のみんなに大事なお知らせがあるぞ!」

 冬の気配を体に感じられるようになってきた、ある秋の日。明青高校の朝礼。どこの学校でもそうだろうが、我が校では特に長い、恒例となった校長の話から解放され、生徒たちが緊張感の無い顔で友人たちとだらけた会話を始めようとした瞬間、体育教師の伊集院先生が壇上に立つ。

「おい、チョコボールが出てきたぞ! なんか事件でも起きたのか!?」

 意外な展開にどよめき立つ生徒たち。なお、チョコボールとは伊集院先生のことである。

「だれか死んだのか!? もしかして〇国との戦争が始まるとか!?」

「筒井君、全校朝礼中の私語は謹んでください。それと、色々不謹慎です」

「突っ立ってるのも疲れるから、とっとと終わってくれんかなあ」

 十人十色の感想を挙げる生徒たち。やはり「大事な」という言葉は、緊急時であるかのように思わせ、生徒たちも動揺を隠せないかのようである。

「マッスル! みんな静かに! 静かにしないと、腕立て百回だぞ!」

 途端に沈黙する生徒たち。

「みんなもいま全国的に禁煙の動きなのは知っているな!? 煙草は体に悪いからだ! だから未成年の喫煙は禁じられているんだマッスル! 我が校でも、全国的な動きにならい一部の箇所を覗き全面禁煙の処置を取っている! そんな中、悲しい事件が起こった! トイレに隠れて煙草を吸っていた奴がいるんだマッスル!」

 煙草と聞いて、全校生徒の視線がひとりの女性に集中した。

「あらなによ!? みーんなあたしの事見つめて! いくらあたしが美しいからって視姦しないでよ!」

 保険医兼カウンセラーの喜多原女史である。

「いや喜多原、視姦じゃなくて疑われているんだが」

「なによ神崎! あたしがわざわざ隠れて煙草吸うなんてケチくさい事するわけないでしょう!! あたしはいつだって堂々と煙草吸ってるわよ!」

 有言実行といわんばかりに煙草を取り出し、早速吸い始める喜多原女史だった。確かにヘビースモーカーと知られ、保険室でも堂々と煙草を吸っている喜多原女史に隠れて煙草を吸う動機はなかった。なお、先程の伊集院先生の言葉内にあった「一部の箇所を覗き」の一部とは保険室のことである。

「それに、その隠れて吸ってたってのは生徒たちが使う二階の男子トイレなのよ! まず疑われるのは二年の男子たちになるわね~」

「なんだよ!? おれたちを疑うってのかよ!! そりゃないぜー!!」

 最初に声を挙げたのは2年B組の筒井亮兵である。素行不良で学園中に知られている彼が真っ先に否定したとなると、逆に怪しい。もちろん疑われることになった。

「なんだ犯人はお前だったのか。朝礼長引くのは面倒臭いから早く白状しろよ」

「そうですよ筒井君。自白すれば少しでも罪は軽くなりますから」

「おいおい神崎も委員長もひでーなぁ!? ガキの頃から喜多原の煙草臭さにウンザリしてるおれが犯人のわけはないだろ!」

 筒井の姉は前生徒会長であり、喜多原女史とともに学園の影の支配者といわれている。

「そういえば、確かにお前が煙草を吸ってんのを見たことは一度もないな」

「そうだろ神崎! 普段からいつもつるんでるお前が証言してくれたらおれも安心だぜ! さすが親友!」

「お前といつもつるんでるとは思われたくないがな」

「神崎君が言うなら、筒井君は犯人じゃなさそうですね」

「神崎の言うことに間違いはないからな」

「神崎がいて筒井はよかったな」

「どひー!! みんな神崎神崎ってよー! どんだけおれは信用ないんだよ!」

「とりあえずこのへんの未解決事件は、まずお前が疑われているようだな」

「マジかよ神崎!?」

 二年B組を中心に、生徒たちの喧騒はやむことはない。私はこのまま事態がうやむやになることを期待していた。

 なぜなら、二階の男子トイレ奥の個室内にて煙草を吸ったのは、この私だからである。

 犯人は、私だ。

 どうやら吸い殻を水に流すのを忘れたらしい。授業間の休憩時間という、わずかな隙を突くように隠れて吸ったのがまずかった。

 前年度までは、喫煙者の教師向けに喫煙所が用意されていたのだが、最近の国を挙げての禁煙ブームの煽りを受け廃止になってしまった。煙草は確かに体に悪い。が、愛好者から煙草を強引に奪う国の姿勢は、私はいただけない。私たち喫煙者は自己責任、自分の判断で煙草を吸っているのだ。臭い物に蓋をする姿勢では、タチの悪い言葉狩りとなにも変わらない。私たちは差別されている。馬鹿高い煙草代を国に献上しておきながら、日陰でコソコソしていろと!?

 ……頭の中でこのように憤慨しながらも、現実では堂々と煙草を吸っている喜多原女史のようになれないのが私の不甲斐ない所だった。

 しかし、いずれ、喫煙者の労働意欲低下が問題となるだろう。

「みんな静かにしろ! 静かにしないとスクワット一万回だぞマッスル! 隠れて煙草を吸っていた者も見つからないし、うーんどうするか。よし、みんな目を瞑るんだマッスル! そして、犯人は手を挙げるんだ! 大丈夫だ! 先生たちにしかわからないし、君を責めることはない!」

 これは古典的な方法だなと誰もが顔に浮かべつつも、次々と目を瞑り始める生徒たち。

 私は、犯人を責めることはないという伊集院先生の言葉を信用して、おそるおそる手を挙げた。

「犯人はお前かーっ! 宮崎!!」

「宮崎が犯人なのかよ!? 教師のくせに……絶望した!」

「援交だけじゃ我慢できないのかよ宮崎!! どんだけ欲求不満なんだよ!?」

 暴徒と化した生徒たちに袋叩きにされる私。お前たちみんな目を瞑ったんじゃなかったのか!?

「フッ、散々疑われた末に、「実は教師が犯人でした」ってオチが来たら、生徒たちが怒るのは無理ないわよね」

 冷たく私に言い放ったのは、2年A組の天堂だった。彼女になら、踏まれても構わないと思える私は、やはり変態なのか。しかし、現実にはむさ苦しい男子生徒たちに足蹴にされるのだ。

「くっ……大人はなぁ、君たち子供と違って色々大変なんだよっ! 面倒臭いことが沢山あるんだ! 大人がちょっとくらい失敗したからって、そんなに叩かないでくれよっ! 作者なんか今回のネタが浮かぶまで私の名前を忘れていたんだぞ! このように大人は適当なんだ!」

 私の必死の訴えは逆効果だったようで、生徒たちの暴力は加熱化する一方だった。生徒たちもストレスが溜まってるに違いないと私は思った。

「フッ、大丈夫よ宮崎先生。子供はやがて大人になる。そうして貴方と同じように面倒臭い社会の中で生きることになるのだから」

 先程とは打って変わって、聖母のような微笑みで天堂が私に語り掛ける。その優しい顔を見て、私は胎児に返ったかのような安心感を覚える。 しかし現実の私は中年の男性教師なのだった。

「あなたが誰なのかを決めるのは、あなたではなく別の誰かなのよ。例えあなたの心が子供でも、見た目が大人なら他者はあなたを大人と判断する。その行動に無自覚な純粋な子供も、やがて他人の目を意識して行動するようになる。他人にどう思われるか意識して、計算しながら」

 なるほど、それが大人になるということか。そうすると、教師として他人の目を意識しながら隠れて煙草を吸っていた私は……随分と嫌な大人になったものだな。

「フッ、いつか人は純粋なだけではいられなくなる。世界の悪意を目にして、そして自分の中にある悪意に気付いて。そして、その負を受け入れて子供は大人になる」

 天堂の話を聞きながら、いつしか私は涙を流していた。

「おっ、宮崎がおれたちに蹴られながら涙流してるぞ!」

「やべえな……男に蹴られながら歓喜する変態ドMだったとは……」

「いいぞ諸君! 私をもっと蹴ってくれ! 私はなんだか楽しくなってきたのだ!」

「うわあ変態だ!」

「そうだ私は変態だーっ!」

 入れ替わり立ち替わり次々に私に蹴りを入れる生徒たち。まるで祭のようである。生徒たちの笑顔が見れるなら、私は満足だ。気の弱そうな文学少女風の女子生徒が、申し訳なさそうに形だけの優しい蹴りを入れたのを最後に、私は意識を失った。



「やれやれ、とんでもないことになったな」

「フッ、生徒たちも宮崎先生も、お互い満足したようでよかったじゃない。SMプレイにも、愛が必要というしね」

「しかし天堂、逆ギレする宮崎を一瞬で収めてたけど、なんて言ったんだ?」

「認めただけよ」

「えっ!?」

「フッ、神崎君。私は宮崎先生を、認めてあげただけよ。……子供みたいな大人だって」


おしまい

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2007、8年頃に拙作『明青高校シリーズ』の更新お知らせメルマガ用に書かれた短編です。作者は全く煙草を吸わない人間ですが、ひねくれていたせいか、なぜかこんな短編を書いていました。

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