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創作小説・CHIKUWA IS DEAD !?ーのぐそドリルと人間失格ー

0 風に吹かれても

「くるりんぱ!」

 放り投げられた帽子は、彼の頭の上でくるくると回り、まるで魔法のように、元あった場所へと収まるのだった。
 そのとき彼が見せてくれた、はにかむような笑顔を、わたしはけして忘れることはないだろう。
 あの、優しくて、温かくて、少し悲しそうな笑顔は、わたしに何を伝えたかったのだろうか。


 彼がこの世界からいなくなった今も、わたしはときどき思い出すのだった。

1 何度目の青空か?

ーー朝だ
新しい朝だ
希望の朝だ


 ジリリリリリッ!!
 けたたましく鳴り始めたアラーム音で、わたしは目覚めた。
 遮光カーテンを開けた瞬間に飛び込んできた太陽の光に目を細めていたら、枕元に置いていたスマートフォンから着信音が流れ始める。ディスプレイを見ると、「マネージャー」の文字。

 青梅街道77[セブンティーセブン]。
現在、日本で最も勢いがあると言われているアイドルグループ。わたしはその中のメンバーのひとりだった。

 電話を取る。
「もしもし、おはようござ、、、」
「ちくわ! おまえ、今日でクビな。今までありがとう!」

はあ!? なんでだよっ! クソがっ!


2 根も葉もRumor
「これを見てくれるか?」

 マネージャーから、送られてきた画像を見る。それはLINEのスクリーンショット画像だった。そこに表示されているチャット欄にはこんなことが書いてあった。
「純一さん、奥さんとはいつ別れてくれるの?」
「あっ、間違えた。それじゃない、こっちこっち」
改めて、別の画像を送ってくるマネージャーの純一。いや、純一お前、相手の名前見たらウチのメンバーっぽかったんだが。
「なあ。おまえ、下町KIDSの番組に出ただろ?」
  下町KIDSは90年代から絶大な人気を誇るお笑いコンビで、所属する古本興業の顔といっても過言ではない。わたしはその下町KIDSの看板番組『下町でらっくす』に、こないだ出演したのだった。
「はいはい、確かに出ましたよ。爪痕も残してきましたよ」
 持ちネタを披露して、下町KIDSの港本雅良にはたかれてきたのだった。これが芸能界では一種のステータスということで、おっさんの多いわたしのファンたちにも大層喜ばれたのだった。
「あら、これは、、、」
 画像には港本の相方である梅田清志とわたしが連れ立って多目的トイレに入っていく姿が写っていた。
「ちくわ、おまえ不倫はまずいよ! いくら不倫が文化的行為だからといっても、これはまずい」
 いや、おまえがいうなよ、純一よ。
「週刊醜聞がこの写真をよこしてきてな。来週木曜発売の本誌と前日のデジタル版で記事にする予定だから、反論等あるんならとっととしてくれと」
 週刊醜聞といえば、数々の芸能スキャンダルをスッパ抜いて、芸能人からは恐れられている週刊誌だ。まさか、このわたしがネタにされる日が来るとは思いもよらなかった。とは言え、わたし単体で雑誌の売り上げを左右するほどの記事になるはずもない。一緒に写っている梅田が問題なのである。
「反論言われましてもね。わたし、梅田さんが打ち上げ後の飲み会でしこたま飲んで、酔い潰れてわけわかんなくなってたのを介抱してあげただけなんですけど?ゲロがわたしのスカートに掛かってクソムカつきましたけど、それ以外は特になんもなかったっすよ」
  ある意味、本来の使用目的の介護してたようなもんだぞ。

「ああ、それはこっちもわかってるよ。別に誰もちくわに欲情なんかしないし」

 ーーさて、そもそも、なんでわたしがちくわと呼ばれているかというと、以前グループ全員での写真集撮影があったのだが、そのメイキング映像内でわたしの水着姿をみた芸人ホルモンバランスの池田がこう言ったのだ。

「竹和[たけわ]!おまえ、他のやつらと違って出るとこが全然でてへん!他のやつらを見ると、正直わしの理性が抑えきれへんやないのかと不安になるんやが、おまえのちくわみたいな体型なら安心や!今日からおまえは竹和たけわじゃなくて、ちくわな!!もう、わしはこのロケの間はちくわ推しや!!このロケの間だけな!」

 このシーンを切り抜いたショート動画が「ちくわ誕生の瞬間」としてバズりまくったので、幸か不幸か、この凹凸のない体型のせいで、わたしはその後のアイドル生活をちくわとして生きていかなくてはならなくなったのだ。まあ、ちくわのCMが来たりしたんで、いいっちゃいいんだが。
 で、それはともかくマネージャーとの電話に戻る。

「だったら、なぜわたしが辞めなきゃならないんすか?」
「おれたちはわかってても、世間様は納得してくれないんだよ。芸人とアイドルが仲良く多目的トイレの中に入ってったら、良からぬ事をしているのではないかと想像してしまう。誰かさんのせいでな」

「クソがっ!」
 ○部め!!
 美人女優を奥様に持つ某お笑い芸人が、多目的トイレに女性を連れ込んで不適切な行為を致したという事件が数年前にあったのだった。

「てか梅田さんも公表されてないけど、長年イン、、いやEDでヤリようがないって業界じゃ有名じゃないですか。だからわたしも安心して多目的トイレに行ったんだし」
「それも醜聞は承知でやってるんだよ。あいつら雑誌が売れりゃなんでもいいやつらだからな」
「クソがっ!」


「まあ、おまえの処遇は現在、検討中だ。とはいえ、古本興業と事を起こして無事でいられるはずがないのはわかるよな?今のうちからクビだと思って、職探しでもしといた方がいいぞ。ちな、MU○EKIからデビューのお誘いは来てたけど、俺の方で断っといたから安心してくれ」

「クソがっ!」
 勝手に断んなよ。こっちも出る気は毛頭ないけどさ。

3 ジワるDAYS

 さて、さっきからたびたび登場する、この「クソがっ!」という言葉、実はわたしの口癖なのだが、これについてもこんなエピソードがある。

 わたし、ちくわこと竹和未来[みらい]は青梅街道77のメンバーの中ではおバカキャラとしてやらせてもらっています。自分ではバカだとは思ったことはないですが、各々にわかりやすいキャラ付けをした方が番組制作側がやりやすいということでおバカキャラになったのです。おバカキャラとはいいますが、本当のバカには務まりません。なぜなら、アイドルグループに入る女の子など大半がバカを通り越してマジモンのヤバイやつばかりだからです。ロケ中にテンパり出して、「おかーさーん!!」といきなり叫んだと思ったら現場から逃げ出して失踪する子[わたしが探しに行かされる羽目になった]、メンタルが弱すぎてちょっと強く指摘受けたら、隠し持ったカッターナイフで、リスカをおっ始める子[結局公私ともどもわたしが世話する羽目になった]、なんでもいいからとにかく男と繋がってないとおかしくなる子[なぜかその子のクレーム担当窓口がわたしになっている]、こいつら行動はハチャメチャなくせに顔は揃いも揃ってわたしより可愛いから困ったもんだ。まあ、喰うか喰われるかのアイドル業界、心が擦り減るのも当たり前、ギリギリの精神状況になるのも仕方ない。

「敵を騙すならまず味方から、っていうしね!そんなわけで、あなたは周りのみんなを安心させるためにおバカキャラでいてほしいんだ。これは大変なことだよ。本当のおバカには務まらない。逆に誰よりも頭が良いくらいじゃないといけない」

 グループ結成した当初に、自身もかつてアイドルだったプロデューサーが私に言った言葉がこうだ。憧れだったアイドルにうまく乗せられた形になったわけだが、実際やってみると、おバカキャラ、まじ大変っすよ?


「……ったく、クソがっ!」
 いつものように周りのメンバーたちに振り回されて、ひとりごちていたわたしを見て、ホルモンバランスの池田はこう言った。
「おまえ、いつもクソがクソが言ってんなー。それ、いっそネタとして昇華したほうがええんちゃう?おれが番組ん中で、ネタを伝授するって形にしてやっから。普段のゆるいバカキャラとのギャップで、絶対ハネると思うねん」

 はたして、なにをやっても失敗するというお約束のロケの最後に半泣きで「クソがっ!」と叫ぶわたしは池田の思惑通りに大ウケし、この切り抜き動画もバズりまくって、わたしの名前を検索すると「竹和未来 ちくわ」「竹和未来 クソ」と表示されるくらいである。喜んでいいのだろうか……
 まあ、これでアイドルとしての立ち位置はすっかり確立したわたし。ホルモンバランスの池田には、抱かれても仕方ないくらいに思って覚悟を決めていたのだが、そんな誘いが来ることは一才なかったのだった。クソがっ!

4 エキセントリック

 そんなわけで今日の予定は全て白紙に。
 どうしてやろうか。
 死のう。

 メンヘラ軍団に振り回されながら、頑張った末に待ち受けていたのが、捏造スキャンダルでアイドル人生終了とか最低じゃないですか。
 こうなったら週刊醜聞を呪いに呪って、自殺してやる。せいぜい世間から、ちくわを自殺に追い込んだと叩かれるがいいさ。特級呪物ちくわちゃん、ここに爆誕!!

 そうと決まれば、話ははやい。
 自殺方法を考えよう。私は本棚から『完全自殺マニュアル』を取り出し[ちなみに隣には『腹腹時計』がある]、ページをパラパラとめくる。
 ロープで首吊り。もっともメジャーな自殺方法ではあるが。わたしはロープを見ると、昔のトラウマを思い出す。

 ある日の番組コント撮影の中でのひとコマ。
 誘拐がテーマのコントで芸人演じる犯人に我ら青梅街道77のメンバーが、ロープで縛られるというシーンがあったのだが、テンションの上がった犯人がついには亀甲縛りをしてしまうというオチ。誰がその被害になるかというわけだが、普通の眉目秀麗なメンバーにやってもただ卑猥なだけでギャグにはならない。ちくわ体型のわたしが選ばれたのだった。「なんやこれ!ちくわがボンレスハムになっただけやん! ちょっとだけ高級になっただけやん! わいの費やした時間返してーな!」
「クソがっ!!」とわたしのお決まりの台詞でコント終了。このコントも当然切り抜き動画になって、関連検索ワードにボンレスハムが追加されたのだった。

 ロープで首吊りは無しと、では他にどんな方法があるのだろう。
 電車に飛び込みは、、、これも無しだ。人身事故で多数の人々に迷惑を掛け、鉄道会社から事務所に莫大な請求が来るような未来は避けたい。立つ鳥跡を濁さずだ。



 とは言え、ただで死にたくない。
 竹和未来という、アイドルがいたという事実を芸能史に残して死にたい。わたしという存在がいたということをみんなの記憶に刻み込んで死にたい。そのくらいのわがままは神様も許してくれるだろう。そんなんいるのか、知らんけど。

5 僕はいない

 クロッシェを目深に被り、メガネとマスクをつけ、気分は大正時代のモダンガール。通称モガ!
 わたしはバカと呼ばれてますけどね。
 ハイカラさんが通るならぬメンヘラさんが通る!
 ーーなわけですが、そんなメンヘラさんはただいま某デパート内の本屋で目的のブツを物色中。
 太宰治の『人間失格』だ。
『人間失格』といえば、太宰で最も有名な作品である。愛人・山崎富栄との入水自殺(本当に自殺だったのかはわからんけど。遺作である『グッドバイ』に自分をネタにされたことでブチ切れ、富栄が強引に玉川上水に引き摺り込んだのではないかとの説もある)前に書かれた最後の長編。太宰自身をモデルにした大庭葉蔵の半生を描いた作品で、これと同名の主人公が太宰の第一作品集『晩年』の中の『道化の華』にも登場する。

 ーー道化! まさにバカを演じて世間を生きるわたしにピッタリの言葉じゃないですか。『人間失格』は、この『道化の華』のセルフリメイク作品みたいなもので、これを遺書代わりに抱えてわたしは死ぬ。残された者たちは、わたしが大事そうに抱えた『人間失格』を見て、「うむ、これはダイイングメッセージなんじゃないか!?」と考えて各々勝手に考察するだろう。
 「ミタネ屋」や「ワイ、ドウナットンノヤショー」などでわたしの自殺の真相をめぐって、喧喧諤諤[けんけんがくがく]の論争に発展する!超見てえけど、自分じゃ見れないのがつらい。


6 FRUSTRATION

「さてと、目的のブツは買ったし、問題はどこで決行するかだが、、、」
   死ぬ前に最後の晩餐として、フードコートに行ってなんか食べるかと思った矢先、なにかが凄い勢いで近付いてくる悪寒を感じ、わたしが振り向いた瞬間ーー

ドォン!!
いきなりの衝撃に、わたしはその場にブっ倒れてしまった。
なんとか起き上がり、周囲を見ると小学校高学年くらいの男の子が倒れていて、傍らにはわたしがさっき買った本。
「あっ、あっ、あっ、ごめんなさい!!ボク、急いでてっ!」
 どうやらこいつが突っ走ってきたのを、わたしが考え事をしていたからか避けきれずぶつかってしまったらしい。わたしはそそくさと、紙袋に入った本を拾い「デパートの中じゃ走っちゃダメだよ。ケガはしてない?」と少年に優しく声を掛けた。内心はムカついてるが、この程度でキレていたらアイドルなんか務まらない。
「はい!だいじょうぶです!ボ、ボクいきます!!」
 乗り慣れない自転車みたいなフラフラとした挙動で、少年はどこかに向かって走っていった。
「デパートの中は走るなというのに、全然だいじょうぶじゃないやないか、、、」
 まあ、これから長い人生が待っている子供のことを気にしてもしょうがない。わたしはわたしで、最後の晩餐といこうじゃないか。

 お笑い枠とはいえ、そこはアイドル、体型維持のため好きなものもろくに食べれなかったし、最後くらいは好きなものを盛大に食べようではないか。

 で、フードコート内にて、きす屋のチーズ牛丼メガ盛りを注文したわたし。
「うーん、このバカ丸出しのこってり感!最高だな!」

 ーーと、孤独のグルメよろしく食レポをかましていたのだったが、さて、どこで死のうか、場所をいいかげんに決めないとと、テーブルに置いてあったスマホに手を伸ばした瞬間、

「あっ」

 反対側にあった本が肘に当たり、落っこちてしまった。紙袋を止めていたセロハンテープが剥がれ、中身が飛び出してしまっている。
「あーもう、汚れちゃったらわたしの最後を飾るアイテムとしての、、、あ、、れ、、?」

 紙袋から飛び出した本には、こんなタイトルが書かれていた。

『のぐそドリルークソみたいにバカなきみも頭がよくなる!ー』

「ーークソがっ!!」


7 承認欲求

「のぐそドリル」
それはうんこが大好きな小学校低学年向けに作られた学習教材シリーズの名称で、製作者の目論見通り大ヒット。

「うんうん、この『のぐそドリル』を胸に大事そうに抱えて死んだ日には、ちくわちゃんは小学校低学年向けのこんなん読むくらいマジモンのバカだったんだねー!とファンのみんなも涙してくれるに違いない、、、ってちげえよ、クソがっ!!」

「あのひと、どうしたの?……ちょっとヤバくない?」
 勢い余ってテーブルから立ち上がり、ひとりでブツブツ言い出したわたしを周囲のファミリー客が怪訝な目で見始める。
「なんか、クソがっ!とか聞こえたけど、この声どっかで聞いたことない?」
 やべえ、せっかくちくわとバレない程度に変装してきたのに、いつもの口癖がメジャー化するのも参ったもんだな。
「親戚の子に『の グソッ ドリル買ってあげたけど、さすが売れてるだけあって、いい本だわー」
 良家のお嬢さまっぽく声色を変えて、わざとらしくタイトルを強調して、この危機を乗り切る!
「あれっ、なんか梅道[青梅街道77の略称]のちくわっぽい声が聞こえたんだけど、やっぱちがうよね?だって今日は「青梅街道どこまでつづくの?」の撮影日だもんなー、いるわけないない」
 こんなとこまでスケジュールを把握してるヲタがいるとは、、、
 サインぐらい書いてやりたいけど、今は大事な目的を遂行するのが先決だ。突然の『のぐそドリル』の出現に呆気に取られていたけど、わたしが買ったはずの『人間失格』はどこにいったのだ。これまでの自分の行動を考える。
 本屋で、『人間失格』を買う。
 トイレに行く。
 トイレに忘れてはーーいない。小脇に抱えてトイレを出てきたのを覚えている。
 その後、なんかお腹空いたなーと思った瞬間、小学校高学年くらいの男の子が激突してきた。
「クソがっ、、、いや、これだよ、これ。このタイミングでお互いが持ってた本が入れ替わったってわけだな」
 それにしても小学校の高学年にまでなって、『のぐそドリル』ではないだろうに。めちゃくちゃ流行ってるらしいから、それに釣られて買ったのかもしれないけど。

 謎が解ければ、話ははやい。
 あの子を探すだけだ。チー牛を食べ尽くしたわたしが、テーブルから再び立ち上がると、突然周囲がざわつきはじめたのだった。
「ねえ!これ見てよ!!今、ここの屋上で飛び降り自殺の実況中継やってるやつがいるよ!!」
「マジで!!まだ子供じゃん!」


8 Stand by you

 人生で最大級の勢いで階段を駆け登ってきたわたし、屋上の鉄扉の前にはさすがにデパートの関係者らしきおっさんが居て、「今は一般の方には封鎖中です!おひきとりください!」と汗をかきかき任務を遂行中なのであった。
 こんなことがあろうかと、以前知り合った業界の偉いひとの名刺を見せて、わたしは言った。
「すいません、わたしは報道の者なんですが、許可は取っております。そこを通していただけないでしょうか」
「はっ!わかりましたであります!お通りください!」
 こんなガバいセキュリティで大丈夫なんかいと思いつつ、おっさんが開けてくれた鉄扉から吹き荒ぶ風でクロッシェが飛ばないようにと頭を抑えながら、わたしは屋上へと飛び込んでいった。

 目に飛び込んできたのは、さっきわたしにぶつかってきた男の子が、屋上端の柵の前に立ってひとりでブツブツくっちゃべってる光景。男の子の足元には、スマホが立て掛けられていた。そういやさっき、実況中継が〜とか言ってたな。

「……ボクは、毎日続くイジメに耐えられそうにありません!今から!ここから飛び降りて!死にたいと思います!」

 自殺配信までするなんて、最近の子供は承認欲求ホント強いよねーーと、わたしが言える立場じゃないか。てか、先越された! どうすんだわたし!

「……と、みなさん、ボクの姿、ちゃんと見えてますか? もし、うまく収まってなかったらコメントで教えてください!」
 男の子は身体を屈めて、足元のスマホのコメントを確認し始めた。なんだかなあ、と思った瞬間、わたしのスマホにLINE着信が来たので確認する。

「あっ、プロデューサー!」
 なんで、このタイミングで、、、

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やっほーちくわちゃん元気ーー?
んなわきゃないよねー、ははっ
事情が事情だから、電話じゃなくてLINEで伝えるねー
ちくわちゃんがネオンの左辺駅前店にいることは把握してたんだけど、なんと今そこの屋上で飛び降りするって子がいるらしいじゃん
ちくわちゃん、その子にバレないように、静音で写真撮って送ってくれない?
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 なんで、わたしの居場所知ってんだよ!と思ったけど、最近のスマホにはGPS機能が付いてるんだから、そりゃわかるよな、うかつ!
 と突然のプロデューサーからのLINEにビビりつつ、素直に自殺配信キッズの写真を撮りにいくわたし。気付かれないように、全集中の呼吸で暗殺者の如く音を消して近付く。

「この位置で大丈夫そうですか?はい、ありがとうございます! え、やるならはやくやれ? わかってますよ! 今から飛び降りますから! え、結構かわいい顔してる? そんなことないですよ!毎日ブッサイクーブッサイクーっていじめられてるんですよ」
 ご丁寧にコメントのひとつひとつにリアクションを返してる自殺配信キッズだったので、苦もなく写真を撮り、プロデューサーに送信する。

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おーけー!
今から、セーフティーエアクッションの手配するから、ちくわちゃんは時間稼いでくれる?
あの、落っこちてもボワーンってなる、トランポリンみたいなやつね!
10分くらいあれば大丈夫だと思う!
予算の都合で、あんましデッカいのは用意できないかもしれないから、あの子が今立ってる位置からは50センチ以上はズレて落ちないように、うまく調整してねー!
がんばってー!!このミッションに成功したら、次のシングルのセンターね!
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センター

 その文字列を見て、わたしはスキャンダルの事も、自分が自殺しようとしていた事すら忘れて、自殺配信キッズの前に向かうのだった。
 それほど、グループアイドルメンバーにとってはセンターという言葉は重かった。人参を目の前に吊るされた馬と化するわたしだった。

9 ガラスを割れ!

「皆さま、叱咤激励のコメントの数々、ありがとうございましたー! さあ、いよいよ、飛び降りたいと思います!今まで応援してくれてありがとう!」
  打ち切りマンガの最終ページのコメントみたいな事を言いつつ、スマホをセットし直し、いよいよ飛び降りようと柵に向かう男の子。
「ちょっと待ったー!!」
 90年代の恋愛バラエティ番組みたいな勢いで、男の子の前に飛び出すわたし。
「あ、あなたはさっきの、、、と、止めないでくださいっ!!ボクは今から死ぬんです!止めてもムダですよ!ボクの決意は固いんです!」
 おまえ、わたしの買った『人間失格』持ってったやろ!かえせや!と言いたかったけど、さすがにそれどころじゃない。

 10分。

 10分だ。とにかく、10分間はわたしが説得して、この子が飛び降りるのを死守しなければいけない。自殺するのを死守するって、日本語としてなんか変な気がするけど、まあいいや。

 頭に被った黒のクロッシェを放り投げる。
 クロッシェは風に乗って、ひらひらと何処かへと飛んでいった。どこまでも飛んでいけ!
 変装用のメガネを、掴み取り、足元に置き、それを勢いよく踏み潰した。
 ちょっともったいなかったけど、これから一世一代の大芝居が始まるんだ。これは、わたしの矮小な心を粉々に踏み潰すための儀式だ。

「あ、あ、あなたは、、、なんか見たことがあります!……誰だっけ?」

「……クソがーーッ!!」

10 命は美しい

「わたしは竹和未来。アイドルグループ青梅街道77のメンバーで、みんなからはちくわと呼ばれています」
「あっ、そういえばなんか聞いたことあるような気がします!なんで、ボクなんかを止めにきたんですか?」
 なんでって言われても、たまたまだよ。本当、偶然の連続でこんなことになっただけだよ。でも、それが人生ってもんじゃない?
「あのね、わたしも正直言えば死にたくなることだってあるんだ。たまに、ってどころじゃなく、1日1回は死にたくなる。今日だって、あなたと会うまでは、ずっと死にたかったくらいだよ」
「それじゃあ、ボクと一緒に死ねばいいじゃないですか。ボクも、あなたが一緒なら心強いです!勇気を出して、さあ飛び降りましょう!」
 なんかこの子も、頭のネジが吹き飛んだのか、やけに前向きに死にたがるなあ。
「でもね、人間って勝手なもんで自分が死にたくても、他の誰かに死なれるのは嫌なんだよ?」
   会ったことはなくても、テレビの中でよく見掛けて、それなりに好きだった俳優さんや女優さんが相次いで自殺したときがあった。あの頃のわたしは、まだ、一般人だったけど、なんだか親戚の人が亡くなったときのようなもやもやがしばらく心の片隅に残ったのだった。
「それはちくわさんが優しいからですよ。世の中には、誰が死のうが関係ないし、むしろ人が死ぬのを見て楽しんでるやつだっているんです」
男の子の声が震えていた。子供の声とは思えない諦念に満ちていたその声は、確かに怒りに震えていた。

「ちくわさん、お持ちのスマホでボクの配信チャンネルを見てくださいよ」

チャンネルどこだよと聞くまでもなく、X[旧Twitter]からの最新プッシュ通知が、この子の配信チャンネルをリンクしてるポストだった。しかし、旧Twitterて付けるのめんどくせえな。イーロンのやつ、余計なことしやがってと自分自身の思考にツッコミを入れつつ、X[旧Twitter]のアプリを開き、そこからこの子の配信チャンネルを見る。アホ面でスマホを覗き見る自分が映っていたが、それはともかく、わたしはコメント欄を見て、驚いた。

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はやく、飛びおりろよ!おせえよ!
死ね死ね死ね死ね!とにかく死ね!
みんなおまえが死ぬのを今かと待ってんだよ!
死ね!はやく死ね!
今日も人が死んで飯が美味い!
すごいグロ映像が見れると聞いて期待しています!脳漿ブチ撒けて、手足吹っ飛んで、内臓ポロリするの待ってます!がんばれ!
====

「……クソがっ」
 ちくわちゃんかわいい!的なわたしへの応援コメントが少しは見られるかと期待していたのだが、そんなもんは全然なく、目の前の男の子が死ぬことを期待するコメントがひたすら並んでいた。わたしはスマホを放り投げた。画面割れたかもしんないけど、もうそんなこと知ったこっちゃねえ。関係ねえ!

「ねっ。わかりましたよね?みんなボクが死ぬことを期待してるんです。ボクが死ねばみんな喜んでくれるんですよ。いつもいつも、みんなから役立たずだ、ゴミだ!って言われてるボクでも、死ねば喜んでくれる人がいるんです!それじゃあ死にます!お望み通り死んであげますよ!ボクの自殺を娯楽として喜んでくれる人がいるなら、それでいいじゃないですか!」

 男の子は、柵に手を掛け、乗り越えようとしている。

「それでいいわけ、、、、ないでしょうが!!」

 わたしは叫んでいた。
 ビクッと身体を震わせ、動きを止める男の子。まだ6分は残ってる。勢い余って飛び降りるのだけは、やめてくれよ。

「見てるか世界のバカども!この子は絶対死なせない!わたしが絶対に連れて帰ってみせる!あんたたちの望み通りにさせるもんか!」

 おバカキャラのわたしにバカって言われるのはどんな気分?ねえ、どんな気分?
コントじゃ失敗続きでも、それは台本に書いてあるからなんだよ。今日のこれからの台本は、わたしの思うがままに進ませてもらうからな!そこに失敗の文字はないんだ!

「ねえ! あなたも本当は死にたくないんでしょ! バカに死ねって言われて死ぬなんて、バカのやることだよ!このまま死んでも、それは負けだよ! バカどもを見返すようなスゴいやつに今からでもなればいいんだよ!」

 柵に手を掛けた体勢のまま、今にも泣きそうな表情で顔だけをこちらに向ける男の子。

「ボクだって、、ボクだって、、でも、ボクには立ち向かう勇気なんて、無いんですよ! 今日だって、ボクはもう中2なのに、おまえはバカだから『のぐそドリル』でもやってるほうがいいってあいつらに言われて、、ボクは従うことしかできなかったんです!」

「へ、中2!?」

 彼が小学校高学年にしか見えなかったわたしは、その事実を聞いて驚いた。紺のブレザーにスラックスを履いたその姿は確かに中学校の制服だとすれば納得だ。でも、中2で、その小柄な体型で女の子のような高い声。周りから、からかわれるのも頷けるちゃあ、頷ける。

「あれ、そういえば、さっき買った『のぐそドリル』、どこに行ったっけなあ」

 いや、柵に身体預けた状態で、懐をまさぐるのはやめてくれ。落ちっから! あと4分はあるから! まだ落ちないで!

「それはわたしが持ってっから!」
「え、なんで?泥棒ですか、あなたは!?」
「んなわきゃねーだろ!さっきぶつかったときに取り違えたの!代わりにわたしが買った『人間失格』が、今あなたのとこにあるはずだよ!」

 この状況で、なんでコントみたいなやり取りしてるのかと思ったが、時間稼ぎにはちょうどいい。あと、2分45秒。

「『人間失格』?ああ、あの暗い感じの?ボク、そういうのいらないです!ちくわさんにお返ししますから、あなたもボクの本を返してください!」

 あんたさっき『のぐそドリル』のこと、バカにされてるみたいでいやだーみたいな事言ってなかったっけ?
「いや、今から自殺しようとしてるやつが自殺マニアの太宰をバカにするのはおかしいから!その本はくれてやるから、ちゃんと読みなさい!『のぐそドリル』も返してあげるから!」

 あと1分半。
 この大芝居もそろそろ締めの段階だ。

「ね、おバカキャラのわたしがドリル解くの手伝ってあげっからさ!生きよう!友達がいない?大丈夫、わたしが友達になってあげるからさ。この天才的なアイドル様が友達になってあげるんだよ。光栄に思いなさい!生きてれば、こんないいことがあるんだよ!」

 男の子に向かって、手を差し伸ばすわたし。

 男の子はなにかを考え込むように、顔を俯けた。それから30秒ほど経ちーー

「ははっ。天才的なアイドル様って、ちくわさん、あなた自分でおバカキャラって言ったばっかじゃないですかあ」

 男の子は、呆れたような泣き笑い顔を見せ、わたしに向かって手を伸ばそうとーー

ヒュンッ。
強い風を切り裂くような音が聴こえた。それは、瞬きをした、ほんの一瞬のことだった。

ーーわたしに向かって伸ばされたその手は、わたしに届くこと無く、彼は闇へと吸い込まれるように視界から消えていった。

もちろんわたしは迷うことなく、その闇へと向かって飛び込んでいた。

彼の手を掴むために。


11 風は吹いている

飛んでいった黒いクロッシェ
どこから来て、どこに行った?



 アイドルになったら芸人に口説かれまくるんだと思っていたが、しかし、そんなことは全然なく、はじめてわたしを口説いた芸人は小太りのおっさんだった。とは言え、彼は日本中の誰もが知っているようなギャグをいくつも持っている大ベテラン芸人で、そんな有名ならば、さぞかし裏では偉そうに踏ん反り返っているんだろうと思うが、彼は誰に対しても優しかった。もちろん芸能界に入ったばっかりのわたしに対しても、彼は優しく、色々なことを教えてくれた。

 ある日のバラエティ番組の撮影の日の事だった。

「ちくわちゃん! 俺が「押すなよ!押すなよ!」って言ったら、これは「押せ」ってことだからさ、遠慮なく押すんだよ!」
「はい!わかりました!」
 そうしてわたしは、言われるがまま、彼を熱湯風呂に向かって押し倒すのだった。
 バチャーン!と激しい水飛沫を上げ、彼が湯船から顔を出す。
「あっ、あちあちアチーーッ!!おっ、おまえなにするんだーー!!訴えてやるー!!」
「え、あ、ご、ごめんなさい!ごめんなさい!許してくださいっ!」
 訴えてやるー!までの流れが1セットのギャグだなんてことも、熱湯風呂が実はぬるま湯だなんてことすらも、当時のわたしは知らなかったのだった。あらあら、やっちまったよ的な空気に包まれる現場だったが、そんな空気を理解できないほど無知だったわたしは、泣き続けるしかしかできなかった。まあ、こんなハプニングで終わるのも、たまにはいいかとの番組ディレクターの判断で、その日の撮影は終了になった。
 好きなアイドルのことくらいしか知らなかったわたしは、その日を境にあらゆることに興味を持ち、学ぶことにしたのだった。そして、その知識はたいして可愛くもないわたしの武器になるのだった。

 それから何ヶ月後、わたしの誕生日のことだった。
「ちくわちゃん!君にプレゼントがあるんだ!」
 彼だった。あの事件から一度も共演したこともなかったのに、わざわざわたしの誕生日を調べていたのか、誕生日の日にわたしに会いに来てくれたのだった。
「あのときは悪かったねえ、おわびだと思って受けとってくれないかい」
 プレゼントの箱を開けると、中から出てきたのは意外にもおしゃれな黒いクロッシェの帽子だった。そういえば彼もいつも帽子を被っていて、最近は帽子をくるくると回すギャグが推しネタのようだった。
 さっそく、黒いクロッシェを被るわたし。鏡を見ると、思ったよりも似合っていて、わたしはすっかり気に入ってしまった。
「あらー似合ってるじゃん!よし!くるりんぱも伝授してあげよう」
「それは遠慮しておきます」
「なんだとー訴えてやる!!ヤーー!!」
 もうすっかり芸能界に染まっていたわたしは、彼のギャグを適当にいなしつつ、訊ねた。
「ーーさんの誕生日はいつでしたっけ? わたしからもプレゼント送りますよ。なにがいいですか?」
「うーん、なんにしようかな?ちくわちゃんにほっぺにチューでも、してもらおうかな?」
 おどけた顔でそう答える彼だったが、具体的な商品名でもあげてわたしに余計な金を使わせるのが嫌だったのだろう。彼がそういう人であることを、その頃のわたしは充分に理解していたのだった。
 わたしなら、彼に何を贈れるだろう。彼に似合う帽子でも、送ってあげようか。なんなら希望通り、ほっぺにチューしてあげても構わない。今にも泣き出してしまいそうな、不思議な彼の笑顔を見ながら、わたしはそんなことを考えていた。
 しかし、その思いが果たされることはなかった。
 彼は、その数日後に自宅で首を吊ったのだった。

ーーねえ、最後にあなたはその哀しげな目で何を見ていたの?





大丈夫だよ
世界中の誰もがあなたのことを忘れてしまっても、わたしはあなたのことを覚えているよ
覚えている限り、あなたは死なないから
だからずっと生き続けるんだ
安心して、あなたはわたしのことを見ていてね





ーーくるりんぱ!
どこかでそんな声が聴こえた気がした。
それは優しくて、儚げで、そしてやっぱり哀しい声だった。


12 サステナブル

 身体の節々に鈍い痛みを感じ、目を覚ましたわたしの目に飛び込んで来たのが、さっき颯爽とカッコよく投げ飛ばしたはずの黒いクロッシェの帽子だった。ブーメランみたいな効果があんのか、この帽子!?と思い、次にわたしは自分がやっぱり死んでしまったんじゃないかと、ほっぺたをつねってみる。
「痛っ!」
 どうやらまだわたしは生きているようだった。
 固くて深いベッドに沈んだようなこの感覚、プロデューサーが用意したセーフティークッションはなんとか、間に合ったようだった。
「て、あの子はどこに?」
 って、ちょうどわたしのあごの下にある黒いクロッシェ、なんで帽子がこんなとこにあるんだよと、剥ぎ取ってみると、なんとそこには生首があったのです。

「うっ、うーん、ボク、ボクぅ、、」

 あ、さっきの子だった。生きてた。よかった。
 そういえば、なんか、さっきから胸元から生暖かい感触がすると思ってたけど、この子の感触だったのか。
 ……でも、男の子にしては、なんかやわこいというか、なんというか?
 わたしは本能の赴くままに、さっきから気になって仕方なかった身体に感じる生暖かいふたつの膨らみを思いっきり揉みしだいてみた。
「やーん、あっ、あっ、あんっ、やめ、やめれくらさいーー」
 なんと男の子からメスの声が!!
「って、あんた女だったんかいっ!!」
「はい、そうですよ。ボクの名前は砂原真凜[すなはら まりん]です。配信もこの名前でやってますよ」
 本名で配信すんのかよ。一般人が。無敵の人かよ。
「はあ、スラックスとか履いてるから、まんまと騙されたよ」
「騙す?ボク、なにも嘘なんかついてないですよ?ボクは脚を見られるのが嫌だから、制服はスラックスを選択したんです」
 おまけにボクっ娘だしなあ、でも中2の男の子にしては小柄すぎるし、声も高すぎるし、なんかおかしいと思ったんだよ。これも多様性の時代ってやつか。
「さっきから、なにをジロジロ見てるんですか?ボクの顔なんかついてます?」
 端正な顔立ちの中でもひときわ目立つ澄んだ瞳を大きく見開いて、不思議そうにわたしを見上げる男の、、いや真凜。こんな可愛い子が、男物の制服を着ていたら、そりゃあ周りの男の子からは弄られまくるだろうし、同性の女の子からは妬まれるだろう。いじめられるというのも、なるほど理解できる。多様性の時代、個性を尊重しましょう!と言われても、まだまだ世間はそこまで新しい時代に適応できていないのだ。
 わたしたちみたいなはみ出し者にとっては、まだまだ生きづらい世の中がサステナブル(持続可能)していたのだった。
「うーん、サステナブルゥ、、、」
「ちくわさん、あほみたいな顔で空を見ながら「サステナブルぅ」とかほざいてどうしたんですか?新しいギャグですか?」

 日頃バカ呼ばわりされて、今度はあほ呼ばわりかよ。自分がアイドルなのかわからなくなりそうだ。
「せちがらい世の中だなあってね」
「……こんなことになって、ボクこれから学校どうしよう」
「行かなくてもいいんじゃない? 人生どうにでもなるよ?」
  あれだけの大捕物を演じて、こうやって生きてんだから、わたしたちふたり、まだまだ死ぬタイミングじゃないんだろう。
「……そうですか、よかった。…………」
 急に押し黙る真凜、どうしたどうした?
「……ひぐっ、ひぐっ、うっ、うっ、うぐっ」
 引きつけを起こしたみたいに、身体を震わせる真凜、ーーそして、

「あっ、あああああっ!あーーーーーーっ! ううっ、うああーーーーーーーーーーーーっ!!」

人間って、こんなデカい声が出せるんだなとびびるくらいの大きな声で泣き始めたのだった。

「ああああああーーーーーーっ!あーーーーーーっ!!」
 
それは真凜が新しく生まれ変わるための産声だったのだろう。

「ぅぅっ、あああああああああああああっ、あーーーーーー」



 ひとしきり泣き尽くした真凜は、まるで魂が抜けたみたいにガクッと気を失って、今ではわたしの胸元でスヤスヤと穏やかな吐息を吐きながら眠るのだった。あーあ、せっかくのお気にのワンピースが涙でビチョビチョだよ。こないだ梅田のおっさんのゲロをぶっかけられたと思ったら、今日はこの有様。まあ、いっか。そういえば、梅田のおっさんとの件はどうなったんだろう? 元はと言えば、あのおっさんと多目的トイレに一緒に入ったおかげで今日は散々な目に遭ったんだよな。真凜の事がひとまずなんとかなり、今更ながらわたしは自分のこれからが気になるのだった。そう、わたしはまだまだ生きていかなきゃいけない。人生はまだまだ続くのだ。


ーーと、いうわけで、

「もう大丈夫です!皆様、今回急なお願いだったと思いますが、ありがとうございました!!今回の事はわたし一生忘れません!」
  実はさっきから、セーフティークッションを持って来た救助隊[とでも言うのだろうか?詳しくはわからん]や、消防や警察関係の方々が空気を読んで、真凜が泣く止むまで待っていてくれたのだった。痺れを切らすように、ジト目で「まだっすか、まだっすか?」とわたしを睨み付けてくるんで、わたしもたまらず(もうちょい! もうちょい待ち!)と、アイコンタクトを送っていたのだった。






「ありがとうございました!今回はご迷惑を掛け申し訳ありませんでした!」

 真凜を自動販売機の横にあったベンチに寝かし付け、わたしはというと、迅速にセーフティークッションを片付けていくスタッフの方々や警察消防、そしてこの大捕物の舞台となったネオンデパートの方々ひとりひとりに挨拶周り。こういうのって事務所の人がやるものかもしれないけど、自分でやった方がてっとり早いし、そもそもウチの事務所の奴らは未だに現場に来やしねえ。いったいどうなってるんだっつうの。クソがっ!と、喉元まで出掛かったのを我慢していたら、さっきジト目で甲子園球児のごとくアイコンタクトを送ってきた救助隊のおっさんがこちらに向かってくるのだった。あれ、このおっさん、さっき挨拶したような気がするけどなあ。
「よっ!頑張ってるねえ! 君、ちくわちゃんって言うんだっけ?なんとか道はっぱふみふみとかの」
「はあ」
青梅街道77だっての。
「わざわざはた迷惑なことするやつらだな、って思ってたけど、見てたら結構しっかりしてる子だし、おじさん感心したよ!」
「そうですか、ありがとうございます」
変なおっさんの相手をそつなくこなすのも、わたしたちアイドルの仕事だった。
「ねっ、サイン書いてくれない?おれ、実はここのCD売り場まで行って、買ってきたんだよ! 上森ただしでよろしくね!」
 わたしは奥州街道77のCDに「上森ただしさんへ青梅街道77 竹和未来 ちくわ」と書いて渡したのだった。青梅街道の部分はひときわ強調して書いておいた。おっさんはいやらしい笑顔を浮かべて、去っていった。上森とかいうおっさん、わざわざCDまで買いに行ったんだからグループ間違えるんじゃないってえの!
「……ったく、クソがっ」って小声で呟いた途端、上森のおっさんがくるんと回転して、再び、こちらに向かってきた。なんだあ、やんのかと思って一瞬、臨戦体勢を取ったわたしだったが、そうではなかった。
「この壊れたスマホ、ちくわちゃんのじゃない?ウチの会社の人がこれ拾って、おれ渡すの頼まれてたんだよ」
 デフォルメされた、ちくわのシールが貼ってあるそのスマホは紛れもなくわたしのものに違いなかった。画面はバッキバキに割れまくってるが。やっぱノリで放り投げなきゃよかったな、、、
「あっ、ありがとうございます!」
「いいって、いいって、男上森、可愛い女の子のためならなんでもするって! じゃあ、またな!」
 そう言って上森のおっさんは、今度こそ去っていった。またな、とか言ってたが、わたしは変なおっさんに好かれやすいタイプなんかねえ。


 ひと通り挨拶周りを終えたわたしは、デパートの上階にあるスマホ修理屋に向かった。どうやら明日には修理が終わるらしい。さすがにさっきまで生きるか死ぬかのドタバタ劇を行っていただけはあり、修理屋に入った途端に面食らう店員のにいちゃんなのだった。結局、ここでも「ちくわさんにご来店いただきました!」的な写真を撮る羽目になり、わたしはアイドル稼業のめんどくささを存分に味わうのだった。

「はあ、さすがに疲れたわ、、、」
眠い目を擦りながら、わたしは真凜が眠る自販機横のベンチまで戻る。
「よいしょっと」
 おっさんの相手ばっかしてたからか、おっさんみたいな声を出しながら真凜の横へ座るわたし。
 さっきまで沼のようなセーフティークッションに埋もれていたので、固いベンチの感触に戸惑っていたら、聴き慣れた足音が聴こえてきた。独特なヒール音だった。
「やれやれ、やっと来ましたか、、、」
 正直、彼女に聞きたいことは山ほどあったが、わたしはもうこの眠気を抑えることはできないのだった。

わたしは黒いクロッシェの帽子を宙に飛ばした。
クロッシェは空をくるりんと周り、再びわたしの頭に収まるのだった。
それと同時に、わたしの意識は闇へと吸い込まれていった。

13 願い事の持ち腐れ

ーー朝だ
新しい朝だ
希望の朝だ

 ーーと、言いたいところだったが、時刻は既に昼を回っていた。さすがに昨日のなんやかんやの疲れが溜まっていたのか、目を覚ましたら、もう12時。お腹空いたから、なんか食べるかとベッドから身を乗り出した瞬間、インターホンの音が鳴った。昨日修理屋に預けたスマホが返ってきたのだった。わざわざ自宅まで届けに来てくれるとは、なかなか気前がいい。

 さっそく、戻ってきたスマホをチェックしてみよう。LINEの通知の数字がかつてないことになっていた。なんだかんだで、メンバーみんな昨日の真凜との飛び降り実況を見ていたのか、心配して色々送ってきてくれたみたいだった。日々センターポジション巡って争うライバル関係にあるとはいえ、まだまだ捨てたもんじゃないな。そんな仲間たちの熱い思いに胸を掻き回されつつ、わたしはプロデューサーとのLINEトーク画面を見る。

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あーー
せっかくリアタイでいろいろ指示出そうとおもってたのに、ちくわちゃんスマホブン投げちゃったーー
でも、おねえさん、きみのそういうとこ好きなんだよねー
まりんちゃんはウチで引き取ることにしたよー
ああ、もう、わくわくがとまらない!
======
 
 メンバーの誰よりもプロデューサーがいちばんイカれてるな、、、

 日本を代表する国民的アイドルグループ2つのセンターポジションを経験し、ついには自らアイドルグループのプロデューサーとなった御坂あかり、はてさて、わたしはこれから彼女にどんな目に遭わされるのやらと頭を抱えていたら、聞き覚えのある着信音。マネージャーからだった。

「よっ、ちくわ! グッドニュースとバッドニュース、ふたつあるが、どっちから聞く?」

 どうせグッドの方は、プロデューサーのLINEにあった真凜のことだろう。

「バッドからお願いします」

「わかった。なんと醜聞が、おまえと梅田の記事を取り下げることにしました。いやー残念!!」

 いや、純一、おまえがメンバーと不倫してること醜聞にタレこんだろか、このクソがっ!

 さて、マネージャーからの話をまとめてみよう。
 真凜はわたしたち青梅街道77の5期研修生としてメンバーに加わることになった。これがグッドニュース。

 で、梅田のおっさんの件はというとーー
 元々、「ワイ、ドウナットンノヤショー」などの番組共演で梅田と面識がある御坂プロデューサー。プロデューサー直々に梅田と交渉し、梅田が自らのED公表を決意。「とうとう出たね」と、医師の診断書を公開し、週刊醜聞との全面対決に展開するはずだったが、わたしと真凜の事件により状況は一転。醜聞側にはスキャンダル記事を撤回する代わりに、今回の事件の独占取材を取り付けた。

 梅田は恥を掻く必要もなくなり、芸能活動も続行できる。わたしもスキャンダル記事が撤回され、代わりにひとりの少女の自殺を食い止めた英雄的扱いに。全てはうまく収まろうとしていた。

「これはもう、お国から表彰もらうくらいはあるんじゃないっすかね」

「それはない。おまえ、セーフティークッションがあるんだから、セッティングの時間稼ぎすればいいだけで、わざわざあの子を追って飛び降りる必要なかったんだよ。物理法則的にも、先に落っこちたやつを捕まえられるはずないからな。そんな危険行動する奴を表彰できるわけないだろう」

「クソがっ!」

 これは後にわかったことだが、ギリギリのタイミングで御坂プロデューサーが設置可能な最大サイズのセーフティークッションに変更してくれたとか。
 最初に発注してたクッションだったら、わたしは位置的に生きてる可能性は限りなく低かったんだと。
 御坂プロデューサー様にはもう、一生逆らえないな。

「そういえばマネージャー、御坂さんが次のセンターはおまえだ!って約束してくれたんですけど、これって信じていいんすよね!」

「ああ、それは大丈夫。安心しろ。もう、曲の発注も出来てるってよ」

「やったーー!! 人生初センターだ!!」

 昨日の今頃は死ぬ死ぬ言ってたのに、現金なわたしだった。御坂プロデューサー、わたし、あなたに一生ついていきます!!

 すっかり有頂天となり、ウキウキ気分でその日1日を過ごすわたし。
 そして午後になり、またもやマネージャーからの着信。そして同時にメールも来ていた。

「おう、ちくわ! 次のシングルについての詳細が決まったからメールを送ったぞ。質問事項があったら聞いてやるから、とっとと確認しろ」

「はーい承知しましたー。んー、11thシングルの表題曲は『生存本能』ですか」

 タイトルの感じからして、これは勝負曲に違いない!と、勢い勇んで、メールに書いてあるポジション配置を見るわたし。ああ、ついに悲願のセンターに!と思ったのだが、センターの位置にあった名前はわたしではなかった。

センターポジション:砂原真凜

「…………」

 わたしの名前がどこにあったかというと、2列目の真ん中だった。3列構成で、2列目の真ん中だから、ある意味全体のど真ん中にいるっちゃいるけどさーー。

「あのー、マネージャー、約束と違うんですが、、、」
「よく見ろよーー。下までじっくりとな」

 さて、ここで青梅街道77のシングル楽曲リリースについて、詳細を説明しよう。青梅街道77のシングルはTYPE-AからTYPE-Gまでの計7バージョン発売される。シングル表題曲に、全TYPE共通のカップリング曲とTYPE別のカップリング曲が存在するのだ。

 マネージャーの言葉で、薄々と気付いてはいたが、、、


TYPE-G カップリング曲『道化のバカ』センター:竹和未来

「はあ、、まあ、確かに、、センターですけどね」

 表題曲センターを期待した過去のわたしを呪いたかった。

「はあ、、」
 嘆息していたら、もう1通メールが来ていたことに気付いた。

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報告書

砂原真凜 2010年4月25日、東北地方にて誕生
2011年3月11日に発生した東日本大震災で両親を亡くし、東京に住む親類、叔父夫婦に引き取られる。
2018〜2020年 複数のローティーン向けファッション誌にモデルとして掲載される
2021年 叔父夫婦が離婚 病院への通院歴あり (叔父による性的虐待の疑いがあるが定かではない)
児童養護施設に入居 この頃より自己を語るときの人称が「わたし」から「ボク」に変化し、男性向けの服を多く着用
2023年 不登校気味になり、自ら配信チャンネルを立ち上げる
2024年 ちくわとエンカウント

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「あ、やべえ、プロデューサーに送るのを間違えて送っちまった! それは見なかったことにしてくれ! 悪りぃ悪りぃ」

ぜってぇわざとだろうがっ! なんだよ「ちくわとエンカウント」って、わたしはモンスターかなんかかっ!
「頼んだぞ、ちくわ」
わたしは、幼い寝顔で吐息をたてる昨日の真凜の姿を思い出していた。
「はいはい、承知致しましたわ」

 おっと、やり残した事が、まだ残っていた。
 昨日、勢いに任せて踏み潰した眼鏡のメーカーに謝罪をいれないと。てっきり、お叱りの声をいただくのかとビクビクしながら電話を入れたのだが、蓋を開けたらゴキゲンなおっさんの声が聴こえてきた。
「ああ竹和さんでしたか!昨日のあれ以来、ものすごい勢いであの眼鏡の発注が来ているんです!踏み潰してしまったことをお詫びしたい?いえいえ、人の命には変えられません!新しい眼鏡を注文したい?ちょうど、こちらの方から新しいのをお送りしようと思っていたんです」
 後日、段ボールいっぱいに詰め込まれた眼鏡が我が家に届いた。全部、あの踏み潰した眼鏡と同じやつだった。そこは違うのも入れてほしかった。

 さて、そろそろ
 後日談は無い。と、太宰の小説のようにこの物語を締め括りたいところだが、残念ながら後日談はある。


 ーー数ヶ月後。11thシングル『生存本能』の握手会イベント。世界的な流行病の影響でめっきり少なくなった握手会イベントだったが、今回は久々という事でわたしも気合いを入れる。なにしろ、こないだの件でかつてない数の人々がわたしに握手を求めて並んでいたのだった。これは将来、わたしの旦那となり得るイケメンを捕まえるチャンス!と思っていたのだったが、見事におっさんしかいなかった。おっさん100パーセント。どうなってんだよ。

「よっ、久しぶりっ!」
 絶望的に似合わない眼鏡[あの踏み潰したのと同じやつ]を付けたおっさんがやって来た。
 なんだよ久しぶりって、と思ってよく見たらあのときの救助隊の上森のおっさんだった。今回は、ちゃんとウチらのグループのCDを買えたんだな。
「すげえ可愛い子が映ってると思ったら、こないだのネオンで飛び降りしたあの子だったわけじゃん!おれ、びっくりしてCD買っちゃったよ!」
 真凜目当てじゃねーかよ!(青梅街道77のCDジャケットのTYPE-Aはセンター単独なのが通例)
「同僚の森田くんが、せっかくCD買ったなら中に入ってる握手券で無料のイベントに参加できますよ!って教えてくれたんだよ!」
 誰だよ森田って。
「で、今日ワクワクして来たんだけど、もうドラクエの発売日かよ!っていうくらい大行列なわけじゃん、みりんちゃんの列!」
 みりんじゃねえよ、真凜だよ!
確かに真凜の列は、わたしの8倍はあろうかという、とんでもないことになっていた。師匠のわたしを差し置いて、、、クソがっ!
「あの列並んでたら、仕事に間に合わないってことで、じゃあしょうがないかって、ちくわちゃんのとこ来たわけね!オーケー!?」
 しょうがないから、わたしんとこ来たのかよ!失礼だな!
「でも、まあ、こうして見るとちくわちゃんもなかなか、、、、」
「はい、お時間きましたー」
 スケベ顔でわたしを吟味するように舐め回すように見ていた上森のおっさんだったが、残念、時間が来て、剥がしの兄さんに抱えられ、つまみ出されてしまうのだった。
「え!?え!?30分くらいお話しできるんじゃないの!?ただし、聞いてないよー!!」
 30分て、おっさん、風俗かなんかと勘違いしてないか?
「って、「聞いてないよー」か、、」
 それは、わたしがお世話になったあのひとの持ちネタだった。上森のおっさん世代にはどストライクなネタだった。


 今日も、あの黒いクロッシェは、わたしの側にある。真凜を助けに行ったとき、勢い任せに投げ飛ばしたわたしの姿が例のごとく切り抜き動画でバズったのだった。すっかり、わたしのファンにも黒いクロッシェは知れ渡ることになり、まったく今日だけで何回くるりんぱした事か。

 さて、次のお客さんだ。
 わたしのデビュー当初から握手会に通ってくれてるおじさんだった。番組ロケで失敗続きだったわたしをいつも励ましてくれた、おじさんだった。
 こんな優しいおじさんたちのおかげで、今のわたしがある。
 おじさんの暖かい掌の感触に元気をもらうわたし。おじさんは年季の入った腕時計を見ると、「そろそろ時間だねえ、じゃあいつもの、やってくれる?」と、にこやかな顔でわたしを見る。

「はーい」
 そうして、少し芝居がかった口調でわたしはこう言うのであった。



「クソがっ!!」





Our life continues...

CHIKUWA IS DEAD !?
Story by KIYOTERU MAMIZU





さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
太宰治『津軽』より

 既にいくつかの小説投稿サイトにて公開している作品ですが、noteユーザーはリアクションを返していただく方が多いんで、筆者が10年ぶりにまともに書いた渾身の今作もこちらでも公開する事に致しました!続編も構想中ですので、みなさま、作者がやる気を出すために感想などありましたら、お気軽にお寄せください!

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