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サイゼリヤの沿革と創業ストーリー


サイゼリヤの沿革

1968年(昭和43年)4月 - 正垣泰彦が「サイゼリヤ」の店舗を譲り受け、個人営業を開始。
1973年(昭和48年)5月 - 個人営業から法人化。株式会社マリアーヌ商会を設立。
1977年(昭和52年)12月 - 多店舗化を開始。
1981年(昭和56年)4月 - 初のショッピングセンター内店舗(ららぐるめ店、ららぽーと内)を出店。
1983年(昭和58年)5月 - 千葉県市川市市川一丁目13番32号に本社を移転。
1987年(昭和62年)3月 - 初の駅ビル内店舗(シャポー本八幡店)を出店。
1987年(昭和62年)4月 - 商号を株式会社マリアーノに変更。
1987年(昭和62年)10月 - オーダーエントリーシステムを導入。
1989年(平成元年)9月 - 初の郊外型ロードサイド型店舗(柏水戸街道店)を出店。
1991年(平成3年)10月 - 千葉県船橋市浜町二丁目1番1号(当時.ららぽーと船橋ショッピングセンター 現.ららぽーとTOKYO-BAY)に本社を移転。
1992年(平成4年)6月 - 50号店を出店(新札幌駅ビル店)。
1992年(平成4年)9月 - 商号を株式会社サイゼリヤに変更。
1994年(平成6年)7月 - 100号店を出店(江の島店)。
1997年(平成9年)10月 - 埼玉県吉川市旭2番地5に吉川工場を建設。本社を同地に移転。
1998年(平成10年)4月 - 株式を店頭登録市場(現・ジャスダック)に店頭公開。
1999年(平成11年)7月 - 東京証券取引所2部に上場。
2000年(平成12年)8月 - 東京証券取引所1部に指定替え。
2001年(平成13年)10月 - 500号店を出店(峡南店)。
2003年(平成15年)12月 - 中国1号店を上海にオープン(同社における初の日本国外進出)。
2005年(平成17年)8月 - 新業態のファストフード店(ハンバーガー)「イート・ラン」を出店(1号店・十条店)。
2005年(平成17年)11月 - 新業態のファストカジュアル店「スパQ&TacoQ」を出店(1号店・ビバモール埼玉大井店)。
2007年(平成19年)4月 - 新業態のファストカジュアル店(低価格スパゲッティ)「サイゼリヤEXPRESS」を出店(1号店・ぐりーんうぉーく多摩店)。
2007年(平成19年)12月 - 中国・広州市に出店。
2009年(平成21年)2月 - デリバティブ取引の損失により会社設立以来初の税引き後赤字に転落する見通しとなったため、社長の正垣が退任を発表。
2010年(平成22年)3月 - 九州1号店のトリアス店(福岡県糟屋郡久山町)を出店、九州地区の店舗展開を開始。
2012年(平成24年)6月 - 北海道2号店の札幌駅北口店をオープンし、道内の多店舗展開を開始。
2012年(平成24年)6月 - 1000号店を出店(フォレオ大阪ドームシティ店)。
2013年(平成25年)11月 - 国内1000店舗を達成(イトーヨーカドー鎌ヶ谷店)。
2016年(平成28年)7月 - 新業態のファストフード店(パスタ)「Spaghetti Mariano(スパゲッティ マリアーノ)」を出店(1号店・日本橋茅場町店)。
2019年(令和元年)6月 - 9月までに全店全席で禁煙化予定をしていたが、前倒しして6月に全席禁煙化[6][7]。
2020年(令和2年)7月 - 新型コロナウイルス感染症流行による接触感染防止、会計時間短縮などの観点からお釣りの少ない価格設定(例:299円→300円 、169円→150円など)に変更、キャッシュレス決済を順次導入


創業ストーリー

「スパゲッティをラーメンと同じ価格で提供」することを念頭に、ポピュラープライスと呼ばれる価格相応かつ期待外れに終わらない価格帯とメニュー構成で「安くて美味しいもの」を提供することをポリシーとしている。

現在の会長である正垣泰彦が、東京理科大学在学中にアルバイトをしていた渋谷食堂のコックに「おまえ、食べ物屋の素質がある。独立してやってみたらいい」と諭され創業を決意、父親に「レストランをやらせたい人がいるんだけど、いい所はない?」と相談し、自分が創業するのを伏せて、千葉県市川市八幡にあるフルーツパーラーを購入してもらい、洋食店に変えて「サイゼリヤ」を創業する。しかしその9カ月後にやくざ同士のけんかがもとで、火事で店が全焼、休業となる。

休業期間中に正垣は、これからはイタリア料理の人気が出ると判断し、洋食店からイタリア料理専門店に転換して店を再開したが、客足はぱったりと途絶えてしまった。

正垣は、その原因は価格にあると考え、メニューを全て7割引で販売するという行動に打って出る。この判断が見事的中し、「サイゼリヤ」は行列が出来るほどの大繁盛となった。「この方針ならば売れる」と確信した正垣は、サイゼリヤを低価格路線に乗せ、現在の地位を確立していくこととなる[2]。

この店舗は2000年2月に閉店したが、千葉県中小企業家同友会市川浦安支部の協力もあり、現在はサイゼリヤ1号店教育記念館として保存されている。事前に同友会に連絡すれば記念館の見学ができる(土日に関しては連絡なしでも見学できる場合あり。なお、営利目的での使用は出来ない)[3][4]。

1973年(昭和48年)5月、正垣は株式会社マリアーヌ商会を市川市八幡に設立。それまで営業していた「レストランサイゼリヤ」のチェーン展開を開始し、千葉県を中心に出店を続けた。1987年(昭和62年)、商号を株式会社マリアーノに、1992年(平成4年)には株式会社サイゼリヤに変更した。

2013年11月には国内1000店舗出店を達成(ファミリーレストラン業界ではガスト以来となる)。出店形式はビルイン型・ロードサイド・ピロティ型のほか、商業ビル・駅ビルテナント出店など、好立地なら物件を問わず、特に首都圏への出店を積極的に続けている。また、他社の競合店などが撤退した店舗に出店する際はその建物や看板など既存設備を利用するため、店舗の設計やロゴマークが描かれたポールサイン(看板)の形状は多彩である。

また、2005年(平成17年)8月24日から、ファストフード店の「イート・ラン」を運営していたが、2010年に全ての店舗が閉店した。このほか、ファストカジュアル店の「スパQ&TacoQ」「サイゼリヤEXPRESS」の運営も行っていたが、こちらも2020年現在現存しない。一方で、新たにファストフード店の「Spaghetti Mariano(スパゲッティ マリアーノ)」の運営を2016年から開始している。

2006年(平成18年)10月に発表されたサイゼリヤの既存店売上高が8年ぶりにプラスを計上した。2006年8月期の既存店売上高は前期と比べて3%増(客数が2.1%増、客単価も0.8%増)となった。既存店の業績低迷について従来は新規出店による売上げの増加でカバーしてきたが、メニューの品質向上やサービス向上などの成果が各店の固定客と売上げの増加に繋がったとされる[5]。

出店の遅れていた九州・山口地方も2010年(平成22年)の福岡県出店を皮切りに、山口県には2013年11月に、佐賀県には2017年12月に、熊本県にも2018年11月にそれぞれ初出店している(が、福岡県に関しては筑豊地方・筑後地方には2013年11月現在も未出店)。北海道については1992年(平成4年)に新札幌駅ビル内に初出店以来全く出店していないため1店舗しかなかったが、約20年ぶりに2号店を2012年6月7日に札幌駅北口店をオープンし、本格的な店舗展開を開始した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%AA%E3%83%A4


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