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〈解決策〉を提案するより〈疑問点〉をあげる方が難しい

文章を書ける人と書けない人の大きな違はなんだろうか。それは明白だ。なんて事ない事象から〈疑問点〉を炙り出すことだ。

現代人は忙しいからすぐに解決策を出そうとする。そんな自分にひとつも〈疑問〉を抱かない人にわたしの文章は到底読めるわけが無い。

自分を疑うということは、ある意味悪魔と契約しなければならない。悪魔は疑いをかける。魔女を火炙りにしたいから。この結論はどこから導き出されたのか。それは〈なぜ悪魔は魔女が嫌いか?〉〈なぜ火炙りの刑なのか?〉という疑問点から出発し、〈もしかしたら火炙りたいだけ?〉〈悪魔って疑うの好きよね〉こういう終着点に着くまで只管に問答を繰り返す。

文章と向き合わない人は〈今どき悪魔なんていません〉〈今は電気椅子で絞首刑ですよ〉とかほざいてくる。ひろゆき風に言うなれば「それってあなたの解決策ですよね?」という事になる。解決策なんてGoogle検索したら出る。これは人間のやる仕事じゃない。人間のやる仕事は〈Googleにどんな文章を入れたら解決してくれるか?〉という疑問点を思考することにある。

私がもし野球部だったら、日本の野球界のシステムに疑問を持つ。解決策なんてどうでもいい。まずもって、〈日本の野球界はどうなってるんだろ?〉〈野球ってなに?〉という疑問を持つ人間は片手で数える程しかいない。この段階で9割がふるいにかけられる。そして、その中の1割が大谷翔平みたいに答えに辿り着く。

その1割の答えに辿り着くまでに幾万回の質疑応答を自分の中で繰り返す。答えはすぐに遠のくから発狂する事もある。物書きがすぐに死んでしまうのは〈なぜわたしは死にたいのか?〉と自分に問うてしまったからで〈なぜアイツらは死にたいと思わないのか?〉と相手を責め立ててしまったからである。

先ずは一日何も解決せずに過ごして欲しい。解決できない自分に解決策を出すのをやめて欲しい。これは悪魔の囁きだ。何も解決せずに過ごすことで君は悪魔の扉を開くことになる。

最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!