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中之条町 国指定重要文化財・冨沢家住宅

群馬県中之条町大道にある大型の養蚕農家・冨沢家

冨沢家住宅は中之条役場から十数キロ、車で30分ほどのところにある。訪れたのは11月下旬。写真などで見たことはあったが、実際に見学したのは初めて。

この建物は様式などから江戸時代後期のものとみられ、養蚕農家としての出し梁造りなど、当時の特徴がみられる大型民家。昭和51年、52年に半解体修理が行われ、昭和61年、25代当主から中之条町に寄付された。

この住宅がある中之条町大道は標高約800m、高冷地のため養蚕に適し、この大道に来るまでに通過する近くの伊参(いさま)、岩本などにも大きな農家を見ることができる。山の中で農耕地が少ないにもかかわらず、大きな農家が多いことに以前から不思議に思っていたが、その理由は養蚕などにより財を成したからだと資料により理解した。

(冨沢家の内部・かなり広い土間)

(冨沢家の居間)

冨沢家は養蚕だけでなく、麦・雑穀・繭などの取引、駄馬による運送業、金貸しなどにより、享保(1716-1736)から宝暦(1751-1764)にかけて、その地位を不動のものにしたと言われている。そういえば伊参にも神保家(屋号=やませ)という大きな農家があり、今年(2019年)中之条ビエンナーレの作品展示会場になったのだが、この神保家も大きく、林業や養蚕で富を築いたと聞いた。

(正面の屋根を兜造り風に高く切り上げた「平兜造」)

広い土間に見学者用のノートと建物の維持管理のための寄付金を募る募金箱が置いてある。

(養蚕をしていたと思われる造りの大型農家 冨沢家の近くにて)

何度か写真で見ていたせいか、今年の夏、伊参の神保家を初めて見学した時よりも、驚きと感動は正直のところ少なかったかもしれないが、日本の近代化を支えた「産業遺産」として後世に伝え続けなければならないと思う。

※参考資料:冨沢家に置いてあった見学者用の説明パンフレット


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