忘れないように

今日最初の珈琲を淹れた。
亡くなってから最初の珈琲。
病院から帰ってきた母と一緒に飲むだけの珈琲。
もちろん、物理的に飲めるわけではない。

珈琲豆を選んだ。
二つあって、実家に帰ってきた数年前から付き合いのあるお店の珈琲豆。
でも、お金が無くて新しいのも買えてなかったから古い豆だ。
もう一つは、父の法要の時に親戚から頂いた珈琲豆。
新しいので、香りも良く苦みの輪郭にふわっと酸味が漂う。
 
選んだのはなじみのお店で買って、時間がたった珈琲豆。
時間経過で香りは飛んでしまって、少し酸味が悪目立ちする珈琲だ。
しかし、最後の半年を一緒にリビングで過ごした馴染みの豆。
母にも入院前に淹れたと思う。
 
二人が知ってる気の抜けた珈琲だ。
もちろんおいしいと言ってくれる。
病状があったから、粗く挽いて薄めに淹れた珈琲だった。
しかし、もう実家に帰ってからずっと病気と一緒だったから、
何気ない日常すぎて、何もディティールを思い出せない。
 
今朝淹れた珈琲は、いつもの粗い挽きではなく
僕が一人で飲む細かい挽き。
それでも同じ、時間のたった豆で淹れた珈琲は気の抜けた味になることは分かっていた。
自分の分を淹れようと思って道具を準備しているときに、
ふと思った、 
そうか、濃ゆくても母は飲めるのか。
じゃあ二人とも知っている豆が良いだろう。
 
淹れた後、カップを探した。
子供の頃、僕は珈琲が飲めなっかった。
母や父はよく珈琲を飲んでいた。
その時、印象に残っていたあのカップが、
戸棚にいつも通りにあった。
 
珈琲をそそぎ、
仏間へ持っていく。
亡くなって、初めての珈琲を。
実家にいる姉や、急遽飛んできた親戚ではなく
僕が母と楽しむだけに淹れた珈琲だ。

僕はあまり感情が振れない。
それに結び付く強い記憶がほとんどない。
だから、今日の珈琲の味を忘れる。忘れてしまうだろう。
ネットに投げてしまえば、忘れない。
今日飲んだ珈琲の味を、入れようと思った思考の流れを。
残しておこうと思って、部屋のパソコンの前に座って、
キーボードを叩いていたが、ちょうど最後の一口と打ち終わりが一緒になった。
気は抜けていて、味のディティールも悪い。
でも、記憶に置いておきたい。

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