2000年から18年。師が作っている、5回目のVIVA LA ROCK。

忘れもしません、‘ロックフェス’というものに初めて行ったのは2000年、18歳の時です。今や国内最大級のフェスとなった「ROCK IN JAPAN」開催初年度。フェス黎明期 ですね。当時「JAPAN」誌の編集長は鹿野淳さんでした。私は高校生の頃に「BUZZ」というこれまた鹿野さんが長をしていた雑誌に影響を受けておりましたから、まだ誰もがルールもほとんどわからぬフェスの現場で「皆さん、今日は前に押さず、上に飛びましょう」と呼びかけて出てきた人が鹿野さんだったことをよく覚えています。へえ!雑誌の編集部の人が本当に作っているんだ とも思ったんでしょう、とても印象に残っている。

あれから18年の時が経ち、自分もかれこれ34種類ものフェスを経験してきて、ある意味相当なまでにフェスというものに育ててもらった感ありますし、「音小屋」という講座で鹿野さんのもとで学ばせてもらったりもしてきたのですが。気付けばあの2000年の鹿野さんと同じ年齢になっているじゃないか自分…。いや、まずいだろう、もっとやらないと。正直落ち込みますよ。
…と、さいたまスーパーアリーナにてGW3日間で開催される音楽フェス「VIVA LA ROCK」を初めてきちんと体験するなかで、いろいろ考えておりました。今年で5回目となるこのVIVA LA ROCKは、鹿野さんがロッキング・オンから独立してから立ち上げたFACTという会社とディスクガレージで運営してきたもので、そもそもは音楽雑誌「MUSICA」を基盤としてスタートしている。

2014年からスタートした「VIVA LA ROCK」は既に急成長を遂げ、新しいロックバンド達とともに完全に、私なんかより20歳くらい若いようなお客さん世代にもしっかり浸透しているし、とても細部まで沢山の仕掛けや企みが詰め込まれていて、本当に凄まじいキュレーションだと、感嘆した。雑誌を作っている人たちならではの細やかさを隅々に感じる。(インスタには詳しく書いたが写真展なんかは特にそういうことを感じたわけで。あとはフェスが当然の遊び場としてある時代の次の世代の育て方。前方のキッズエリアとか。)

まだまだ、フェスはまったく飽和なんかしていないし、むしろVIVA LA ROCKはある意味フェス界のスタートアップとも言えるんじゃないか とすら思いました。

誰かが既にやっていることを真似て後を追っていても、突き抜けることはできない。‘新しい道を作る’ってことの意味をこれでもかと見せつけられた感じもする。(特に2日目のラインナップで、若い客層をガッチリと掴んでいる辺りに。)

…と、これは感動を込めた感想であり、自戒みたいなものです。ああ、忘れかけていた大事なことを思い出させていただきました と。そして、自分の小粒感への反省文でもあるのかもしれない。そして何よりこれは、2011年の震災以降に個人的にとても持ちにくくなっていた、より広く高い視座みたいなものを、やっと叩き起こされた ということなのかも、とも思います。

申し訳ありませんでした、改心して参ります。

…と、以上、一昨日FBに個人的な感想として書いた内容ですが、どうやらいろいろな話の端緒となる内容のようなので一応noteにも貼り付けておきました。

今回の連休は「COMING KOBE」と「VIVA LA ROCK」のふたつで仕事をさせてもらい、この23年間の間にあったふたつの震災のことや、その20年の間ずっと続けてきたバンドがいかに多かったか、一方で東日本大震災以降に東がなかなか元気になれなかった時にじつは西からすごく若くて勢いのあるバンドが出てきて新しいシーンを作ってくれていたか。めちゃくちゃ感じることが多かったです。そして、福島をはじめとする東北に文化面からもっともっと関わりたいともあらためて思いましたし。そしてこの7年間に福島や神戸での体験を経てくるなかで考えてたことをこっから形にしてかないとだし、という思いも強いです。それはこれまでに散々叫ばれてきている復興支援とかってことだけじゃなくて、自分はもっとメタな形をとっていかないとだろうな、とか。

要は、自分の「#一生バンドT着て生きていく」の信念が深まった連休仕事たちだったな、ということです。その辺りのことは、またnoteにでも書いていきます。

(今年から登場した「さいたまん」↑手が動いてるのがめっかわでした)

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