やちよの死を忘却するフェリシア(仮タイトル)

「なんだよあいつ……助けてやったってのに」

 夜。すっかり日も沈み、朝にあれほどいた俯いて歩く人々の姿はどこにもない。今、街灯もない河川敷を歩いているのは少女ただ一人だ。二つ結びされた金髪は、月明かりを反射して幻想のように輝く。しかし、少女の表情は俗世的な不満に満ちたものである。

 少女……深月フェリシアは、掌の上で手に入れたグリーフシードを転がす。たった今、魔女と戦う魔法少女たちを助けたお礼に貰った報酬だ。もっとも、それ以外に貰えたのは感謝の笑顔ではなく罵声だったが。お前に殺されるかと思った、これやるからどっか行け……それが別れ際の言葉だ。

「グリーフシードは当然として、金もらうの忘れたし……」

 ぐるるる、と己の腹から聞こえた音に、フェリシアは顔をしかめた。そして、ふと遠くの連なる家々を眺めた。明かりのついた家。

「……すき焼き食べてえ」

 無意識に言葉が漏れた。なぜすき焼きなのかは、彼女自身わからなかった。

 フェリシアはとぼとぼと歩き続ける。今まではどうやって生計を立てて来たか。親が生きていた頃はそんなこと考える必要すらなく、親が魔女に殺された後は傭兵を……今までずっと……? このやり方で? 難しいことを考えるのが苦手が彼女でさえ、無理があるように思えた。

「…………!」

 魔女の気配。フェリシアは思考を中断し、気配の方向へと走った。彼女の中には、魔女に対する煮え滾る憎悪がある。魔女は両親を殺した存在であり、復讐の対象。憎むのは当然だ。だが、ある時期から憎悪はいっそう増した。周りはより見えなくなり、魔法少女と使い魔を間違えて叩き潰しかけたことすらある。

 何がきっかけだったか、フェリシアは思い出せていない。だが、両親を殺した存在。それだけで憎むには十分。深いことは考えなかった。魔女を潰せれば、それでいい。フェリシアは走り、結界前に辿り着いた。魔力反応に魔法少女のものが混じっている。よく知っている魔力のような気がした。

「誰だ……?」

 フェリシアは記憶と照らし合わせようとした。だが、思い出そうとすると、かえってその魔力反応はまったく知らないもののように感じられた。わけがわからずフェリシアは苛立ち、思い出すのをやめて魔女に集中する。魔女を潰せればそれでいい。余計なことを考える必要はない。

 結界に入ると、やはり先客がいるようで、使い魔の姿はほとんどなかった。生き残りの使い魔を払いながら進めば、あっという間に最深部。フェリシアは悪趣味な扉を蹴り飛ばした。最深部の空間が彼女を飲み込んだ。視界が開けて、まず最初に目に飛び込んできたのは炎。次に、鉄扇。魔法少女の姿。

 先客が魔女の攻撃を躱して距離を取り、フェリシアを見た。

「なっ……」

 そして目を見開いた。先客は絶句しているようだった。魔女との戦いでは大きすぎる隙だ。魔女が銃口めいた嘴の向きを先客に合わせる。

「何やってんだよ、アイツ!」

 フェリシアはジャンプし、魔力をこめたハンマーを投げた。ハンマーは魔女の頭部らしき場所に命中した。魔女はよろめき、しばし呆然としたような様子を見せた。フェリシアの固有魔法、忘却魔法の効果である。

 フェリシアはそのまま空中でハンマーを回収、魔女の頭部を蹴って先客の横に着地する。先客はまだ呆然としてフェリシアを見ている。

「何やってんだよ!死にてーのか!」

 思ったよりも大きな声が出たことに、フェリシアは自分で驚いた。そして、未だ自分が理性を保っていることに対して更に驚いた。先客はハッとして、バチンと強く両頬を叩いた。

「……ごめん!」

 二人は魔女を見上げた。鳥じみた魔女。やりにくい相手だ。

「わたしがうまく地上まで誘導するから、フェリシアは隙を見て叩き潰して!」

「おう!ドッカーンだ!」

 フェリシアはなんの違和感もなく、先客の作戦を受け入れた。自分の名前を知られていることに、もはや疑問は抱いていなかった。全身を巡るアドレナリンが、些末な事柄を全て洗い流していた。

 フェリシアの身体は、いとも容易く先客との連携を行った。作戦通り、先客は炎で魔女の翼を燃やし、地上へと堕とす。フェリシアの身体は自然と動き、魔女を叩き潰す。ハンマーは魔女ごと結界を砕き、音を立てて結界が崩れ去る。

「ぃよっし!」

 フェリシアは天高くハンマーを掲げた。清々しい気分だった。

 魔女を倒しているときはいつも理性を失っているから、倒し終わった後ようやく自分がグリーフシードを握っていることに気付いたり、知らない間に魔法少女の怒りを買っていたりする。楽しいことではない。だから、理性を失わず、魔法少女の怒りも買わなかった今回は、彼女にとって本当に清々しかった。

「ありがと、フェリシア!」

 魔女が落としたグリーフシードを手に、先客が嬉しそうに近付いてくる。フェリシアは満面の笑みで返事をしかけ……「誰だ、お前?」急に、全身を巡っていたアドレナリンが失せたような気がした。

「なんでオレの名前を知ってるんだよ」

 先客は瞬きした。口角が下がり、魔女結界にいたときのような呆然とした表情になる。

「お前と会った記憶なんてねーぞ」

 フェリシアは先客を警戒した。悪評が広まっているらしいのは知っていた。そんな噂を知りながら、笑顔で近寄ってくる魔法少女……。怪しいとしか考えられなかった。

「……忘れてるからだよ」

 先客が静かに口を開いた。

「あン?」

「忘却魔法を、フェリシアは自分にかけたから」

「……なんで自分にかけないといけねーんだよ」

 固有魔法すら知られている。魔女戦のときに見破られたか、それとも固有魔法すら広まっている?どちらにせよ面白くはなかった。

「ねえ、帰ってきてよ。みかづき荘に。みんな待ってる」

「なんだよ、みかづき荘って……帰るも何も知らねーんだって」

「いろはちゃんも、さなも、ういちゃんも。わたしも。みんな、みんな待ってる」

「……知らねーっつってるじゃんか」

 フェリシアは無性に苛立ってきた。頭の奥がどうにもむず痒かった。

「確かに、つらかったけど……わたしだって、まだ、受け止めきれてない……インターホンが鳴るたび、ドアが開くたび、何もなかったみたいに顔を出すんじゃないかって思っちゃう。夢に出てくるたびに、周りの迷惑なんて考えられずに大声で泣いちゃう。でも、きっとししょーは望んでないんだよ。だから――」

「だから! やちよなんてやつ知らねーっつってんだろ!」

 フェリシアは叫んだ。視界がモザイクがかったように悪い。頬に温かいものがくっついていた。拭ってみて、ようやく、それが自分の涙だとわかった。堰き止めていた名前と共に、溢れ出してきた。やちよ。やちよ。知らない名前を反芻するたび、心臓を締め付けて握り潰されてしまうほどの痛みが襲った。

「フェリシア……」

「知らねえ! そんなやつ! オレは! 知らねえ!」

 フェリシアは走り出した。先客から、際限なく溢れ出そうとする何かから逃げるように。やがて、フェリシアは転んだ。先客は追って来ない。どこか擦りむいたはずだが、胸を締め付ける感覚のほうがよっぽど痛かった。

「う……うう、あああ……!」

 青い長髪。いけ好かない表情。ケチくさい金銭感覚。些細なことで叱ってくる短気さ。おかえりの優しい声。ドライヤーで乾かしてくれる手付きの優しさ。抱きついたときの温かさ。そして――

『もう、誰も、失いはしない……!』

 魔女の攻撃でソウルジェムを砕かれ、なおも動いて最後の力で魔女を――

「あああああああ!」

 フェリシアは己の頭を掴んだ。


 …………。


「くっそ、まただよ……今度は金くれたからマシだけど」

 夜。すっかり日も沈み、朝にあれほどいた俯いて歩く人々の姿はどこにもない。今、街灯もない狭い路地裏を歩いているのは少女ただ一人だ。二つ結びされた金髪は、月明かりすらないこの場所ですらなお輝いて見える。しかし、少女の表情は俗世的な不満に満ちたものである。

 少女……深月フェリシアは、千円札を折りたたんでポケットの中に入れる。たった今、魔女と戦う魔法少女たちを助けたお礼に貰った報酬だ。もっとも、それ以外に貰えたのは感謝の笑顔ではなく罵声だったが。意地汚い傭兵、これをやるから二度と顔を見せるな……それが別れ際の言葉だ。

「……いつまで傭兵、続けられんだろうな」

 フェリシアの口から弱音が溢れた。彼女は親が死んでから、ずっと傭兵稼業で食いつないでいる。今までは運良く生きてこられたが、これから先はどうなるのだろう。ソウルジェムを自動で浄化する、自動浄化システムが存在するという話もある。そうなると、グリーフシードのためにわざわざ魔女を狩る魔法少女も減り、雇ってくれる相手も減るのでは……。

「あー!難しいこと考えてると頭ごちゃごちゃしてくる!」

 フェリシアは首を振った。……そして、魔女の反応を感知した。

「……魔女……!」

 フェリシアは歯を剥き出し、魔力のほうへと向かった。今夜は他の魔法少女の反応はなかった。もっとも、彼女はそれを覚えていないが。

 七海やちよの死……大きすぎるショックを受け止めきれなかったフェリシアは、自らに忘却魔法をかけた。やちよに関連した事柄全てを忘れるほど強力なものを。それによって、彼女はやちよを、みかづき荘を、マギウスの翼との戦いを、その全てを忘れてしまった。彼女は自分をずっと孤独な傭兵だと認識している。

 だが、記憶がまるっきり消えてしまったわけではない。いわば、箱の中にしまい込んで、開かないように無理矢理押さえつけているだけだ。不意なタイミングで溢れ出すこともある。そのたびに、忘却魔法を無意識のうちに自分にかけ直す。これ以上、つらい思いをしないように。心を守るための防衛本能だ。

 フェリシアはやちよのことを思い出さない。チームみかづき荘のことを思い出さない。関連する全ての事柄を思い出さない。おかげで、彼女はソウルジェムを引き裂かれるような痛みに苦しまずに済む。フェリシアは今日も、理由のわからぬ大きすぎる憎しみのままに、魔女を殺し続ける。


…………。


「はぁーっ、はぁーっ……はぁーっ……」

 フェリシアは、雨の中に己を見出した。手のひらにはグリーフシードを強く握っている。結界に入る前と、入った後の断片的な記憶を繋ぎ合わせる。どうやら、魔女は倒せたらしい。だが左足が痛い。折れたわけではなさそうだが……。

「……それに、風邪引いて魔女狩るどころじゃなくなっちまう……」

 どこかで落ちている傘でも拾おうかと、フェリシアは視線を上げた。……そしてその方向にいる、二人の少女を見つけた。片方はピンク色のツインテール、もう片方は緑色のショートヘア。どちらも傘を持っておらず、どちらも目を見開いてフェリシアを見つめている。知った顔のような気がしたが、やはり記憶にはない。

「なんだよ、お前ら」

 フェリシアは凄んだ。……凄みながら、まるで何かが溢れ出ようとするかのように、頭の奥がむず痒くなるのを感じた。

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