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空想ではなく、現実を。


運命かどうかなんて分かりようもないことだから、

「あなたは私の運命の人です。」で良い。

占いやそれっぽい助言や周りの人が、あなたにはもっと良い人がいると言っていたとしても、

向き合っているのは自分。

「もしかしたら、もっと良い人がいるのかも。」と思うなら離れたら良い。

それで離れたくないと思うなら一緒に居れば良い。


側に居る理由ではなく、離れる理由がたくさん浮かんでくるなら、

その人は愛してくれていないのかも知れない。

自分がその人を愛する理由がたくさん浮かんでも、

その愛を持続させることが苦痛になってしまっているのなら、

一度、遠くから自分を見てみるといい。


その自分が哀れに思えたり、虚しく思えたのなら、

その愛はすでに失われている。

「いつか」や「きっと」は、希望を抱くための言葉。

その言葉に過去の思い出を乗せてはいけない。

そして、相手の感情も乗せてはいけない。


恋人関係であるならば、自分の愛が全てで、相手の愛は当てにならない。

相手の愛を当てにすると欲が生まれ、上下関係が生まれ、支配関係になりかねない。

そんな関係ではない、と言えたとしても、遠くから見るとそうなっていたりする。


頑張り続けないと、我慢し続けないと、一緒に居られない相手とは遅かれ早かれ疲れてしまう。

あなたの愛には、あなたへの愛も含まれているんだから、

あなたが満たされる愛を探していいんだ。


私は彼と過ごす日々でそう学んだ。


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長らく放置していたnoteを再開することにした。
この記事は2年前に下書き保存していたものである。
今の自分の感情と合わないかも知れないと思ったが、
感情ではなく根底にある学びだった。
追記はしたが、ほぼそのままで公開することにする。

あえてここに記しておくが、この空白の期間は、
彼と過ごす時間が倍以上に増え、生活の全てを彼と共にするようになったためである。
何も険悪になり、関係が終わったわけではない。
愛おしすぎるあまり回顧録をちょこちょこ上げていたわけだが、
結婚するに至るところまで書くのが間に合わなかったのだ。
愛の発散として書いていたが、毎日本人に愛を伝えられる環境になると、
自然と発散する必要がなくなっていたのが実情であった。

しかしこうしてまた、書き始めたのは、
世界一格好良くて、世界一大好きな彼に愛されている世界一幸せな私だから書けるものがあると思い始めたからである。

まぁ、あいも変わらず、自己満足な書き散らしである。


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