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自炊と狂気について

はじめに

家を出て、なんだかんだ食事を作るという行為をいっさいしないまま始まったひとりの暮らしの中で、なんとか自炊歴三ヶ月になりました。
ここまで初心者が初心者のレシピを書いてきましたが、内的にどういう心境だったのかを記しておきます。

食事とは

前に痩せるための記事を書いたので自分でもよく理解していますが、人は生きていく最低ラインの食事が必須で、なお健康であろうとしたり、機能を拡張するためには相応の栄養バランスを考慮した食事を得なければいけません。
味は生物学的には関係ありません。
身体にいいものはおいしいとは限りませんし、おいしいものは身体にいいとは限りません。全く別です。

僕は元々音楽をやる人間ですが、音楽が生き物にとっての食事と決定的に違うのは必要十分なラインがどこにもないことです(学問としての必要十分の話をしていません。音楽が人間に必要かと言われたら必要ないからです)。
ただ、食事の複雑さは、ことおいしさに目を向けるとなおさら、この一見不要な音楽と似ています。
特に、あなたが一人であなたの食事を作る時には。

自分の食事とは

例えばあなたの好みの食事をあなた自身で突き詰めたとします。
手頃なパスタなんかがいいでしょうね。時間はかかるでしょうがふた月ほど経てばサマになるでしょう。

オリーブオイルの味に集中したことのなかったあなたはオイルのおいしさや、熱を加えない素のオリーブオイルの辛さに気付いたり。
かねてから思っていたが酸味は甘味によって増幅するから、甘いトマトソースは極端に言えば酸味を生かすアイデアなのだと気付いたり。
まあ色々ありますがそこそこ作るうちにアイデアを手技で実験して検証することが出来るようになって、まあ味も改善しますし、思いがけない組み合わせで感動したりもするでしょうが、それはあなたの舌が正しければの話です。

あなたの舌がおかしくなっていた場合、いざ他人にとっておきを振る舞う時に……

自炊という狂気

残酷なことにあなたを観察するものは誰もいません。正しくは、あなたの舌の正常さを観測するものは誰も。
自分がこれを食べていて美味しいと無様にSNSにアップロードします。味は乗りませんが美味しそうな見た目をしていることは伝わっているようです。
ですが例えばあなたがアップロードした写真が精巧な見本品で、味が全くの蝋細工であったとしても誰も気づきません。

参考にしたレシピに見間違いはありませんし、それはおいしいとされているものです。が、あなたは逆に言えば、支持されるレシピをもってしか、その料理を食べている時でしか舌の正常性を確かめることはできません。

たまに友人を呼び確かめてもらうのもいいでしょう。ですが状況は好転しません。

創造的なことをあなたがひとつでもすれば、あなたが狂う可能性があるからです。

とまあ

怖く書きましたがこういう事で悩んでいましたが、家に友人を招いたら美味かったらしいので良かったです。
今の所この三ヶ月はメシマズがメシマズ料理を作ってたわけではないらしいのでホッとしました。
今後は度々人に振る舞いつつ、自分がおいしいものばかり作りつつ健康も適度に考えて生きていきましょう。
死ぬ時は死ぬので食いたいもんだけ食えばいいとは思いますが、幸い好き嫌いがないのでこのあたりも勉強したら面白いかもしれません。

そういえば、もう関わりのなくなった古い友人が言っていたことを思い出します。

「みんなを招いてわいわい鍋やったりちょっとしたもん作ったり、人が沢山いる間は楽しいんだけど帰って片付けてその後に気がすごく落ちるんだよな。
寂しいとかではなくて」

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