合成音声ソフトの使い道

回想

昔、DTMで同人音楽をやっていたIRCチャンネルで経験豊富なメンバーが面白がって買った、当時は目新しかったVOCALOID(MEIKOだったはず)を使って友人のパーマがかった髪を燃やす歌を合成音声で歌わせた音源を貼り、大いに盛り上がったことがある。
歌が拙いこともあり、合成音声に読み上げさせた時の楽しさ・聞く楽しさという域を脱しなかったが、笑いを取るには十分のツールだった。

それからいくらかしてニコニコ動画がオタクに周知され、中で(多少はマシな制御が行えるようになった)初音ミクが爆発的に流行った。
当時の同人音楽市場で東方同人以外がまるでニッチ産業のように取り扱われたように、当時の「オリジナル楽曲を作曲している細々とした創作者」は、それ自体が異端でないにも関わらずオリジナル楽曲の作家の中でニッチだと言い切れるほど、あのサイトではそのほとんどが初音ミクをはじめとしたVOCALOIDを使い始めた。

一方で僕はこのVOCALOIDを毛嫌いした。
理由は簡単で、人よりも歌が下手で、そのツールを使った歌もどきはすべて同じような声で、サルでも思いつくハイトーンを皆こぞってそのツールに鳴かせている醜態、また最も気に入らないのは、「オタクが女性ボーカルを雇ったり協力してもらう都合のいい相手が見つからない」からツールに歌わせる性根がところん嫌いだった。
カウンターの姿勢として、僕はそのころ自分のファルセットを加工して女声の歌声に整えて音源を作った。そのころの僕のスタンスは「甘えるな、自分でやれ」だ。

時は経つ。同人音楽はとんでもなく暇か専業でもない限り、働きながら続けられるような趣味とは思えないほど時間がかかる。やがて僕は同人音楽CDを制作することをやめ、当時の交友から地続きだったバンド活動も2バンドともに休止、ただのおじさんになっていた。
ただのおじさんは公園でピアニカを吹いたり、バンドを組んで小さなかわいいライブハウスでのライブをしたり、バンドが解散したり、また拾われたりをして輪廻を繰り返した。そうしているうち、流れ着いた今のバンドのボーカル、ドラム、僕との交代で抜けたギター三人がボカロPであった。

人間不思議なもので、あれだけ嫌っていたカルチャーであっても、公園でピアニカを吹くおじさんは無敵のためボカロを使う人間の性根がどうであるとか、そういうことはもう大変どうでもよくなっていた。
怒りが剣を曇らせるのに似て、シーンに属してものを書くことから解放された僕は以前に比べて自由に音楽に取り組めていたし、シーンで自分が立っているポジションだとか、そこから発せられるトークなど自らを曇らせるばかりでなんの得もなく(大事なことなので補足しておくが、公園でピアニカを吹くおじさんには矜持を誇示して防衛線を張る相手など存在しないのだ)、第一彼らが続けたものを否定していては仲良くもなれないわけで、完全に欠落していたニコニコ動画の文化を断片的に教わったりもした。

で、先日「別にボカロ触ってみてもいいけど歌詞書けないし、歌詞書く必要があると思った曲無い」と発言したところ、そのボーカル(ヒッキーP)とドラム(曼荼羅P)の共通の知人であるたのしいマグロダンスPに作詞してもらい、全員が好きに曲を書いて投稿する企画が立ち上がった。

音楽的同位体 可不
僕は「何か怒首領蜂 大往生とか斑鳩みたいな漢字使ったシューティングみたいで格好いいから」これを選び、購入した。

歌声を構成するパラメータ

ところでmelodyneというソフトがある。

what is melodyne

melodyneに限らず、下手くそなボーカルを「修正」して自分が考えた「理想の歌声」に漸近させるツールというのを、こういう話題に疎い方でも存在は知っているだろう。
サイトを見ると、歌声の波形から音節に分解、音程を計算し平均律でなんの音なのかを表示。音量の大きさを表示している図が確認できる。
下手くそのボーカルを自分の考えた最強の歌姫にするために必要なパラメータはここにすべて揃っている。リズム、フォルマント、ピッチ、ボリューム。大別してこの四つがそれにあたる。
この効果というのは絶大で、本当にジャイアンを歌姫に仕立て上げることもまあ不可能ではない。

では可不はどうだろうか。

画像1

「黙れ」という歌詞が描かれたエディターで、パラメータをすべて可視化したスクリーンショットとなる。
上で述べた、歌声修正ソフトと大体同じパラメータがそこにあるのだ。

では可不は、それほど修正が必要なソフトなのだろうか。
うわずって違う音程を出す下手くそボーカルなどでは決してないはずだ。

ないはずだった。

歌声合成ソフトユーザーの感覚の麻痺

可不は歌詞と音程を読み込ませると勝手に発音に基づいた音声を計算して生成するが、凄まじい音痴だ、とまでは言わないが、普通に下手だ。
譜面を読む力がなく、音符がなければすぐに息をマイクに入る音で吸い、母音の発音は音符よりもはるかに後であったり、子音のアタックをはるかに前に行ったり、妙な味を出そうとピッチベンドを多用・前の音程から滑らかに移行しようとしたり、書けばキリがないし書いていて僕は今イライラしている。
少なくとも僕の裏声よりも下手だと断じることができる。

そのため、「調声」は基本この下手くそボーカルの修正と同様の手順によって歌姫に漸近させる行為を繰り返すことになる。

この可不というのがこれまでの連綿と続いてきた歌声合成ソフトの中でどういう評価を受けているのかは知らないが、基本的に「調教」と呼ばれる行為はこの連続だという指摘を受けた。
曰く「あたりまえ」なのだそうだ。

正気ではない。
前世の咎か何かなのか。

そして僕は正気を失った。

正気を失ったピアニカおじさん

正気を失ったピアニカおじさんは今、あんなに「自分で歌いたくない」と言っていたあの歌詞を口ずさみながら、断続的に涙を流し、この文章を書いている。

何が書きたかったかというと、修正作業がメインになるというなら歌った方が修正が少なくて済むことを考えると、本当に、これは本当にその音声合成ソフトを使う意味って、倫理的に自分が歌いたくない歌詞を他人にも歌わせられないから心を持たない可不に歌わせようという話くらいしか思いつかないのだ。

僕に、何かひとつでもこいつを肯定できるきっかけをくれませんか。

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