夢の身体 活元運動と睡眠2

さて、私は夢をみているとき、夢の中で覚醒していることがあります。
いわゆる明晰夢です。
明晰夢をみる力は、坐禅をやりまくっていたら勝手についてしまった。

よく現実と混同するので、あまり好ましいことではありません。
夢と(いわゆる)現実、その違いがどこにあるのか今日、寝起きの頭で考えていました。

目覚めているときは、気の感覚が分かります。
これはかなりはっきりとした違いです。
手に気を集める訓練を毎日しているので、手はものすごく感覚がいい。
だけど夢の中ではそれが発生しません。顕著な違いです。

夢の中では、時間軸が固定されているのも特徴でしょう。
過去とか未来とかを考えられません。
ただやってくる情報を受け止めているだけです。

これはおそらく、身体の存在する層、世界のレイヤーが異なるためです。
夢はより深層の世界に、近い。

物質的な肉体(粗大身)は、準霊的な身体(微細身)と重なり合って、存在する。これは野口整体やシュタイナー神智学、ヨガ哲学などのテーゼです。

そしてここが重要なのですが――
一部の東洋哲学やシュタイナー神智学では、私たち人間存在の本質が、「脳から生まれた魂」とは考えません。「物質から精神が生まれる」というテーゼをとりません。真逆です。
「魂が照射されたものが物質的な脳」になります。
私たちの肉体は、より深層意識の魂の方に、存在の基盤を持つ。

大乗仏教の唯識論だと、深層意識は「アラヤ識」「末那識」になる。
ユングの「集合的無意識」がこれらと非常に近い概念ですが、唯識は八世紀に世親によって展開された、もはや古典的な深層意識理論です。東洋思想の方が、瞑想修行の伝統によって開かれた、深層意識に対する実践的な蓄積があるといえます。

表層の肉体は、深層にある魂の”鏡”である。
そういった考え方をする哲学は西洋にもある。
プラトンの「イデア論」がこれに近い。
イデア(真実在)とソーマ(肉体)の関係です。
おわかりになりますでしょうか。

これを踏まえた上で、考察を進めます。
気はおそらく、世界層の境界面で発生している現象です。
深層の世界と表層の世界がぶつかり合ったときに、それは生まれる。
東洋思想の大家・井筒俊彦が「意識のM領域」と呼んだ中間領域のことだと、私は仮定しています。深層と表層がぶつかり合う、汽水域のような領域です。
夢の中で気の感覚が発生しないのは、夢の身体そのものが気の塊だからでしょう。チベット密教では、気の身体(ギュル)は魂と風(ルン、日本でいう気の概念)でできているといわれています。そして魂とは、「不滅のティグレ」と呼ばれ、死を越えて存続する、高度な情報集積体のことを指し示します。

レム睡眠レベルでは、個我の記憶をさかのぼり、蓄積した情報をデフラグする。
これは意識が能動的であるほど効率的に進む。
チベット密教でも、明晰夢を用いて行う「夢の修行」の伝統があります。
生物の進化史でレム睡眠が発生するのは、トカゲあたりからだそうです。
これは大脳新皮質の複雑化に対応しているのでしょう。
人間は生物の中でも、もっとも長い睡眠をとる。それだけ記憶が多いから。

レム睡眠は、修行仏教における色界禅定(ルーパジャーナ、物質的な対象をとる瞑想)レベルの訓練です。色界禅定は四段階ありますが、おそらく脳波の変動に対応しています。
色界禅定はまた、シュタイナー神智学の言葉でいう「イマギナツィオン」のレベルです。肉体に刻まれた「個我の記憶」を整理するための訓練です。

さらに瞑想が進むと、無色界禅定(アルーパジャーナ)のレベルに修行が進みます。ここから先は、肉体的な身体がまったく介在しなくなる。物質を対象にとらなくなるのです。
呼吸は完全に停止し、仮死状態に近い世界が開かれていく。

ここまでくると、シュタイナー神智学でいう「インスピラツィオン」の世界になります。個我の中に無の場を作り、啓司を受け取る領域です。
無色界禅定に入るということは、「ノンレム睡眠の中で覚醒する」ということと同義だと考えています。
というのも、仏教修行や整体をやりまくると、明晰夢がレベルアップするのだそうです。そして特殊能力(仏教でいうシッディ)が付く。ジャンプ漫画でいう念能力やスタンドのようなものです。
野口晴哉氏は「夜みる夢はくだらない、夢とは昼間みるものだ」と語っていました。そして彼はまた、人の身体の悪いところが黒く見える、霊視能力のようなものを持っていた。活元運動をやりまくっていたために、共感覚機能に変化が生じていたのでしょう。

睡眠の仕組みを研究すると、それが仏教瞑想の知識と重なって存在していることが分かります。なぜならどちらも「メタ意識」の研究をしているから。

さて、超ハードコアな記事を書いてしまいました。
一般の人に関係があるのは、イマギナツィオンのレベルまでです。
物質的な肉体に依拠した記憶の整理作業は、やっておくと体調がすこぶるよくなる。
仏教修行が「心の掃除」といわれる所以です。

坐禅も活元運動もぜひおすすめします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?