「哀れなるものたち」感想

哀れなるものたち、観てても正直よくわからなかったんだけど、自分の中で整理してたら個人的にはテーマの根っこにあるのが人間の動物性だと思った。
本来、人間も動物なのでセックスをして子どもを作り、その子どもは色んな人と関わりながら成長してまたセックスをして子どもを作って人間という種族を繁栄させていくはずである。

ただ、普通の動物は子どもを作っても自然の「弱肉強食」というシステムによって淘汰されていく。
人間はその単純な弱肉強食からは脱却したように思っているが、実際は「社会」というシステムによって自然淘汰が起こっている。
人間には貧富があり、ホテルの下の貧民のように貧しければ食べるものもなく死んでいく。さらに生前ベラのように銃(権力)という力によって精神を病んで自殺してしまう場合もある。(明確な描写はないが、将軍とラブラブカップルではなかったみたいだし)

初期ベラは何も知らない。そんな社会のシステムも知らない。性器による快楽だけは気付いた。
「愛」という社会が生んだシステム、結婚するまでセックスはしないというキリスト教的なシステムも知らないので、単純に快楽を求めて動物としてダンカンを選んだ。

ベラが明確に変わるのは船でマーサとハリーと出会ったことによる。文学に触れ、社会の残酷さ、自らの残酷さにも触れる。
それを受けて、ベラは人間的なセックスの価値を知っていく。娼館のようなビジネスのためのセックス、レズビアンによる子どもを作らない快楽のためだけのセックス。(一応セックス教室してたから子どもを作るための行為としてのセックスも)
これらのセックスの多様化は人間の知性による進化なのだと思う。(動物としては退化だが。)
そして最終的にベラは知性による弱肉強食を実現する。権力を持った将軍を医学によってペットとしている。(見てた時は「なるほど、ヤギの脳を移植すると見せかけてゴッドの脳を移植するのか」と思ってた)

これはフェミニズムとももちろん取れてしまうだろうが、多分そっちだけではない。なぜならこの考え方は男性も同じように描かれているから。
感情的(人間的)なダンカンに対し、初期は人間的なマックスも、ゴッドと長く一緒にいたせいかベラ帰還後はベラの行為を許し更には性病検査の心配をするなど知性が主体になっている。(逆にゴッドは知性主体だったのがベラと触れ合うことで感情的にもなっている)

すべての人間の知性は進化できる。
そのスピードはベラが早く2代目は遅かったように人によって異なる。しかし、2代目も最後には進化しているように誰でも進化できる。

この作品はハッピーエンドだとも思うが、最終的にそれでいいのか?と思ってしまったところがあったせいか、個人的にはよくわからん映画だった。
何が「哀れなるものたち」なのか。知性がない人間なのか。それとも知性を得て普通の動物から外れてしまった人間のことなのか。

感想雑記
・エンドロールは隠れミッキー探しのエロバージョンみたいになってたところが楽しかった
・エマストーンが永遠に最高だった。演技がすごいのは今に始まった話ではないけどキャラに対する説得力がすごい。あと服も永遠にかわいかったし、騎乗位も正常位も後背位も見れるとは思わなかった笑
・映画館で予告だけ見てずっと見たいと思ってて、特に情報入れずに見に行ったから、マーク・ラファロとウィリアム・デフォーが出てきてMCUオタ的にテンション上がった
・グロシーンが見え始めてから割と身構えてたんだけど全然大丈夫だった。カラーになったらやばいかもと思ってたけど大丈夫だった(ドクター・ストレンジの手術シーンの方が駄目だった)
・特に笑えないシーンでも、となりの外人カップルがケラケラ笑ってたからシニカルコメディ寄りなことはわかった。制作側が伝えたいようには私には文化の差で届かないんだなってちょっと悲しくなった

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