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残ったアセトアミノフェンを飲む

「先生は、痛い思いをして生きてきたでしょ」

会話の中で上司に言われて、ふっと言葉に詰まったのは、かつての痛い自分、思い出すだけでかーっと顔が熱くなるようなそんな日々を思い出したからで、何か大切なことに気づいたからというわけではない。中学生より、中(厨)二病、高二病、大二病、と有病率がまずまずの疾患を患い続け、そのうえに極度の被害妄想、ネガティブ、傲慢、思い込み、怠惰、等のどうしようもない症状を引き起こす謎の疾患を持病としていた自分の既往歴はなかなかのボリュームがあり、若かりし頃の痛々しい日々はできれば思い出したくないものであった。なんなら今でも自分は痛い奴だと多少なりとも思っている。


「そういう思いをして伸びる子もいれば、耐えられないから環境調整が必要な子もいて、今はどちらかというと調整が必要な子の方が多い気がする」と上司の言葉で、先ほどから子どもの発達(特性・障害)の話をしていたことに気づいて、そういう意味だったな、と理解する。日々の診療業務の中で、そういった子の発達に関する診療をする勉強をしていたのであって、無意味に恥ずかしい思いをしなくてよかった。あの頃の自分とそれを捨てきれぬ自分が悪い。

事前に上司が「先生は自分のこと発達(特性・障害)あると思う?」と聞いてきたので「確信しています」と答えていた。新しい職場に変わってはや2週間で、デスクがどうしようもなく散らかっており、早速忘れ物や提出物の先送り、なんならそもそも無くしている、といったことをしている自分は間違いなくADHDやそれに準ずる特性があると思っている。ちなみに発達(特性・障害)と先ほどから書いているのは、いまだに特性と言うべきか障害と言うべきか自分の中で結論がついていないからではある。

痛みを感じてきた、というのはそれなりに自覚はあったが、今ではすっかり痛みに強くなったというか、良くも悪くも鈍感になった。新しい職場でもわけのわからぬ髪型で出勤して「よくわかんないけどいいんじゃないですかぁ?」とテキトーに吐かしている自分の図々しさたるや目を見張るものがある。

かつては繊細な男、として生きづらい生き方をしていたわけで、なんならその繊細さに誇りすら持っていたきらいがある。自分は痛みを感じてきたから、他人の痛みには理解がある、といったことを自負していたような気がする。俺は痛みを感じてきた、そこらの鈍感なやつとは違うのだ。それが間違いだと気づいたのは、なかなかに歳を食ってからであって、他人の苦しみより、自分の苦悩、しかも勝手にすすんで苦しんでいたしょうもないこと、を優先して、それで目の前の人を苦しめるようなことを言っていた。それで他人をいたずらに傷つけて、あたかも自分が被害者だというような素振りをしている。

振り返ればそんなことばかりだったと思う。

大事なことは全部山中さわおが言っていたことに気づいてなかった。


今となっては鈍感な男、俺は自分の痛みには気づかずに生きている、まあそれでなおかつ他人の痛みにはなおさら鈍感だ、かつては人の痛みについて知った風に小説をかいていたこともあるが、今となっては全部嘘のように思える気がする、なんともまあ仕方ない奴だ、と思っていた中で「痛い思いをしてきたでしょ」と言われたのは、別の意味で痛すぎた青春時代を一通りさらったあとで、少しくらってしまった。
自分は、何に痛みを覚えていたのだろうか。


後日、発達(特性・障害)の相談をしている小学生を前任より引き継いで、関わり方に悩みながら診察をすることになった。学校での生活などに聞いていると、その子は自分の感情が高まってしまったときに、暴力を振るったり、パニックになってしまうと言っていた。診察室で話している中では、普通の少年であり、そういった自分の感情の機微には苦慮していたようだった。

「そういうきもちになったとき、どうすれば落ち着く?」と聞いたときに、少年が「静かなところに行く」と答えた。
気に入ってる場所がある、と、少年が答えてくれた中で、ふと思い出した景色があった。


思えば自分も感情のコントロールが苦手だった。小学生や中学生の頃、何かに腹を立ててはすぐに泣いていた。プツンとキレて何かを喚いた後に、泣き散らかす自分は、他人から見たらまあ痛い奴だったのだと思う。おかげて有効な交友関係を中学時代は築けなかった。あまり思い出したくない日々だ。

気に入っていた場所があった。屋上に続く階段の踊り場だった。鍵に閉ざされて屋上へは誰も向かおうとせず、その踊り場は静かだった。
何か思うことがあってもなかっても、自分はそこに向かっては、階段の段差に腰掛けて、何を思うでもなくじっとしていた。思っていたことは消えなかったが、居心地は悪くなかった。昂っていた感情を抑えるのには、もってこいだった。


今でも階段の踊り場には腰をかけたくなる。社会人になってすぐのときだって、どこか居心地が悪くなれば、病院の階段の踊り場に腰をかけて、ひと眠りしていたものだった。

ふと、あの頃、曇りガラスからたいして明るくもない陽の光が差し込んで、外の喧騒がどこか遠くに聞こえるあの場所を思い出す。ぐっと目の奥に力が入る。子どもの前で、涙の前駆体のようなものが溢れてくるのを堪えるハメになる。

「俺もその気持ちめっちゃわかるわ」

と少年にこたえると、少年もうんと頷いた。多分、何言ってんだこいつ、とは思っただろう。

それでも、あの頃、自分が何に痛みを覚えていたのか、その確かな答えが、一つ分かったような気がして、少し嬉しかった。そんなことがあった。

最近くるりのライブに行ったが、忘れてたことはわりと思い出せるな、と思ったりもした。

https://youtu.be/FcEYX9gr1UU

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