見出し画像

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (米原 万里著)

 1960年、著者は共産党幹部として任地プラハに赴いた父親に伴って、在プラハソビエト学校で少女時代を過ごした。作品は後年それぞれの故国へ戻った学友の消息を訪ねた時のエッセイだと言うが、その枠に収まらない壮大無比なスケールのエッセイである。

 三部作からなる作品のうち表題の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、ルーマニアから来た級友のアーニャとその家族に焦点を当てて、統率下の体制に与する特権階級とその構造を支える貧しい庶民の生活を浮き彫りにしている。

 アーニャとの再会を果たすべく訪問した彼女の両親ザハレフスキー夫妻は、特権階級として体制の支配を支える担い手であった。その見返りとしてブルジュアにも劣らない暮らしが約束れ、プラハから母国ルーマニアに戻ってからも豪華な屋敷に居を構えていた。
 この訪問をきっかけにソビエト学校時代、級友たちが不思議に思っていたアーニャにまつわる諸々の謎が解けたのである。

 ザハレフスキーの子供たちは、その両親を通して体制の欺瞞を見破っていたのである。三人いるアーニャの兄のうち、上の二人は抑圧からの解放と自由を求めて反体制派となり、困難な状況の中それぞれ亡命を果たしていた。但し父親の計らいと恩恵に預かりながら。
 すぐ上の兄ミルチャは故国に止まるも、貧しい階層への罪悪感から両親と決別し、研究者として自立自由の道を選んだ。
 自由社会にあっても何不自由なく育った心ある人は、下層階級と自らの生活水準の違いに社会の矛盾を感じ、時として非合法の思想に身を投じる事があると言うが、文面から著者の父君もその様な一人であったと言うニュアンスが伝わってくる。

 再会を切望した当のアーニャはイギリスに渡って現地の人間と結婚していた。
 ソビエト学校時代、故国ルーマニアを愛してやまなかったアーニャの腑に落ちない転身ぶりが、ミルチャによって明らかになる。

 国外に留学してそこで結婚相手を見つけなさい……
 特権階級として政府に与しているいる筈の父親がミルチャに諭した言葉……彼は勿論従わなかったがアーニャはその言葉に従って母国を捨てたのである。特権階級だからこそ成し得た安全な亡命。アーニャはそれをはっきりと自覚しながら恩恵に浴して来たのだ。

「嘘つきアーニャ」はアーニャの中の欺瞞、「真っ赤な真実」は体制の欺瞞。そう捉えても良いかもしれない。多くの読者は必ず同じ思いに突き当たるだろう。

 今、私達は資本主義国家の下自由を標榜して思いのまま思考し行動している。
 その行動様式も科学技術の発展に伴って新しい習性が次々と生まれ、多くの人々がその社会や文化を享受している一方、経済的に恵まれない無力な人々が存在することを忘れてはいけない。多くの場合無力は個人の問題ではない。社会の歪なのである。
 資本主義はいつの時代も形を変えてそうした格差社会を生んできた。その欠点を修正するために平等を掲げ社会主義が誕生したと言う皮肉を忘れてはいけない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?