はっきょいスタート

現在の日本の体育教育は、
明治時代に始まった軍隊教育が基礎となっているという。

隊列を組み、「気を付け」「休め」などの号令で姿勢を取る。
学校教育の中でこうした基礎を叩き込んでおけば、
後に軍隊に入った時に兵士として始めやすい。
そういう軍国教育がなされている。

体力づくりという目的も、個人のためではない。
個人の体力は国家のためにある。
国を富ませ、強い軍隊となるための 丈夫な部品として、国民の健康はある。

文明開化の世になって、そんな学校体育が始まった。
人々はまだ体育というものに馴染んでいなかった。

それまで、飛脚という職業が特殊な能力であったくらいに、
人々は日頃、走ることなんか無かった。

今だってそうだろう。
日常生活の中で、どういう時に走るか、思い浮かべてほしい。

遅刻しそうになった時。
電車に乗り遅れそうな時。
飼っている犬が逃げ出した時。

現代生活だから走らねばならない。
学校も会社も電車も犬の鎖も無かった時代に、
走る必要なんか無かったんである。
今の私たちは、走っているんじゃない。走らされているんだ。

ましてや、走る速さを比べる必要なんかそもそも無い。
時計も無いのだから、タイムを記録することも無い。
ほんの150年ほど前までは、そんな暮らしだったのだ。

そこへもってきて、突然、世の中が変わった。
子どもはみんな学校に通うことが義務付けられた。
体育ができた。
徒競走ができた。

競走であるから、勝負を見極める審判員が必要だ。
審判って何?初めて聞く。という状態だ。

いや、一つだけ、当時も審判員はいた。
相撲の行司である。

そこで、徒競走の判定も、行司のやり方に習って定められていった。

誰かがフライングすること、つまり立ち合いが合わないと、
「仕切り直し」をする。
ゴールすると、先生が軍配を挙げて一着の生徒を指し示す。

スタートの合図は、当初は相撲をそのまんま倣って
「はっけよい、のこった」と言っていたが、
「のこった」だと走り出しに相応しくないというので、
ドイツの軍隊教育で用いられていた号砲になぞらえて「どん!」と言うようになった。

だから、元は「はっけよーーい、どん!」だったのだ。

明治時代になって教育制度ができ、
明治5年には各教科の教科書が作られた。
しかし、「体操」の科目には教科書は無かった。
教師の用いる、今で言う指導要領のような物は有ったが、
生徒に配布される教科書は無かったのだ。

体育の教科書ができたのは昭和33年と、ずいぶん時代が下る。
この時の小学1年生の「体育」の教科書に、
徒競走のスタートの合図は「用意、どん」と記載されている。

ある言葉が書物に登場するのは、
その言葉が一般的に使われるようになってさらに時間が経ってからのことが多い。
この場合も、教科書に掲載されるずっと前に、その用法が定着していたと考えて良い。
昭和33年の時点では、「用意、どん」は既に一般的だったわけだ。

大正14年生まれの亡父はよく、
「はっきょーーい、どん!」
と言っていた。
幼い私は走らずに、
「それはおすもうだよ、パパへんなの」
と言ったものだ。

おそらく、昭和20年代、戦後の世の中で、
かけっこの合図は「はっけよーい、どん!」から
「用意、どん!」に変化していったものと思われる。

みなさんも、ご高齢の方が身近にいたら、聞いてみて欲しい。

毎月一日には法螺を書いています。
今日は十一月一日です。
上の話は法螺です。
あしからず。

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