元カレと精神的気質と弱さの話

大学生のとき、
2年くらいお付き合いした彼氏がいる。

その人とは、
初めて恋人同士で旅行にいったり、
彼の両親ともご飯に行ったり、
ディズニーランドにも数えきれないほど行ったっけ。

とにかく色々初めて恋人と〇〇する、
ということをめちゃくちゃした人だ。

すごく素直で明るくて、
人前に立つのが好きで、
いつも大きい声で笑い、
わたしにとても愛情を注いでくれる人だった。

一方で、めちゃくちゃ喧嘩した。
なぜなら彼はかなり私の琴線に触れるような、
「傷つく発言」をしてしまう人だったから。

いくつか印象的なものを覚えているけれど、
めちゃくちゃレベル低いものだと、
「服がダサいんだもーん」と言われた。

いや、言い方wwwww
今思えば笑えるが、当時はちょっと傷ついた。

違和感のある発言をもとに
大喧嘩したこともある。

「料理は母親の料理が一番うまいから、
   母親から習ってほしい。」

!!!!!!!!!!!!!!!
Twitterを見てる人ならわかると思う、
私はこういうのが大っ嫌いだ。
なんだそれ?と言い返したら喧嘩になった。
彼にとってはただの願望なので、
悪いことは言ってないと。まあそうなんだけど。

そんな彼とももう別れてかなり経った。

共通の友達もいるし、
別れても出かけたりできるような仲だったので、
数人で飲みに行ったりすることはある。

そして最近、
そんな、今ではいい友達、といえる
彼のツイートを見て、
とてつもない血圧の上がり方をしてしまった。

そのツイートには
「最近自分で診断をして自分が
   HSPであることが
   わかった。
   人よりも少し怒られるだけで
   苦しくなったりすぐ泣くと思っていたけれど、
   これが原因だったとわかってスッキリ。」

HSP。
Highly Sensitive Personの略。
生まれつき敏感で、周りからの刺激を受けやすい「気質」の方のこと。

※HSPについては以下のリンクがわかりやすかったので参照に貼らせていただきます。

これを見てわたしは
ものすごい複雑な気持ちに包まれた。
なぜなら、過去に彼に私も同じようなことを
打ち明け、そして否定されたからだった。

大学生の時、
私は自分のことをADHDなんじゃないかと
疑っていた時があった。

※ADHDについては下記リンクで解説されています。
私が言及しているのは当時メディアで取り上げられていた、「大人の」という点が重要なので、
敢えて「大人のADHD」についてわかりやすく説明されたものをリンクしています。
そして、エピソード上ここでHSPとADHDを並列で言及していますが、HSPは「気質」、ADHDは「精神疾患」でまったく異なるものです。

当時、時流的に
「診断してみたら、実は〇〇だった」
という文脈が流行っていて、
ネット上には、私もそうかも、俺もかも、
なんて話がポツポツ出ていた。

そして私もその一人だった。

そう思ったのは、
片付けが苦手でよく物をなくし、
とにかくあらゆる期限が守れない、
いつも空気を一生懸命読んでいるのに、
たまに蓋が外れたみたいに言ってはいけないことを
他人の前で言ってしまう。
順序立てて処理することが苦手で、
アルバイトであらゆる作業が気になってしまい、
今やってる作業の後片付けをせず、
次の作業に手をつけてしまうことでよく怒られた。

そういうことで悩んでいた時、
テレビで放映されていた「大人のADHD」という
その特徴と
全て合致しているように感じた。
それをきっかけに
「もしかしたら.......」と思ったのだ。

だからと言って、
病院に行ったり、検査したり、とする前に、
ちょっとしたそんな不安な気持ちを
当時信頼していた彼にそっと打ち明けたことが
すべての要因だった。

会話の中で、
「この前調べてたらこんな人がいることがわかって、この特徴私に似てるんだよね。
 もしかしたらそうかもなぁーって。」
そんなふうに伝えた時、彼からは

『あーなるほどね。でもそれって、
甘えもあるんじゃないの?
気をつけるのが嫌だから、
すぐそうやって病気にするのは
あんまり良くないと思うよ。』

その時、
今でも忘れられないのだが、
信頼している人、甘えられる人だから話した
自分自身の不安を全て突っ放されて、
私自身を否定されたことがものすごい衝撃で
怒ることができなかった。

彼に対して、
意見が合わず怒ることはたくさんあったが、
この時怒る気力も湧かず、
むしろ言葉が何も出てこなかった。
人は本当に怒りや悲しみのレベルが
MAXを超えた時、
怒号も涙も出てこないんだろうと思う。

これは私が彼と別れようと思う
一つのキッカケになってしまった。

先ほども解説した通り、
ADHDとHSPは全く違うもの。
ただ、それを理解した上でも、
彼が、今、自分自身が、
「この型に当てはまるかもしれない」
と認識することで
自分の嫌なところを受け入れ、安心している。

なんだかそれに
途方のないモヤモヤを感じてしまったのだ。
たぶんこのモヤモヤの原因は、
「私のことは否定したくせに、
 いざ自分のこととなったらすぐ型にはめて、
 それで救われたってなんだ?」
と思ったんだと思う。私も子どもっぽい。

この時、
私は当時の自分自身の問題との向き合い方について
どうすればよかったのか、
今、こう思ってしまうことについて
どう対処したらいいのか、悩んだ。

当時、
結局ちゃんとした検査はせず、
後から考えてみると彼の言ったことは
正しいかもしれない。
そんな自分の特性を知りながら、
社会に出ていくことが不安だったからこその
「逃げの考え」だった可能性が高い。

たとえ自分が当てはまる人間だったとしても、
「働かなくていい」とか、
「提出期限を忘れても怒られないサービス券」がもらえるわけでもない。
そういう自分でも社会に出て働きたいと思う限り、
問題がないように、然るべき対策を取り、
一つ一つこなしていく以外に方法はない。

彼を許す、許さないの話ではなく、
とにかく私はあの時あの場所で
取り残されてしまった自分を
救ってあげたい.......

こればっかりはもう、
自分がそういった告白に遭遇した時、
相手にどんな声をかけてあげるべきか
考え抜くということしかない。

私がたどり着いた結論は、
まず、
私がその人のためになにをしてあげられるか、
その点を留意することが一番だと思った。

大切な人の告白を聞いて、
「そうかーわかった。
どんなものか教えてほしい。
でも、聴いて理解したつもりでも、
私はもしかしたら理解してあげられないことも
あるかもしれないから、不快なことがあったり、
気になることがあったら、言ってね〜」

結局こうなるんだと思う。
それで相手は救われないし、
不快なことや気になることを
言いにくいから言ってるんですけどねぇ〜
察してぇ〜と思われるかもしれないけれど、
相手に「寄り添う」とは
相手のこと知ろうとしたり、
そのために私ができることを探ったり、
相手に対してあらゆる点で「努力する」
ということでしか行動できない。

そしてなによりも、
「甘えてる」
これは言ってはいけない言葉だ。

人は体が壊れることはもちろんあるが、
心はもっと壊れやすいし、
体なんかより見えにくい、
なんなら自分で気づかないこともある。
他人からそう見えなくても、
自分と他人の間にある心の強度や仕組みの
違いに悩んでいる人もいる。

その時、
その苦しさは本人にしかわからない。
それを他人が推測する権利は全くない。

特に大切な人がそのことを打ち明けた時、
自分自身に「甘えてる」のではなく、
その人はあなたに「甘えてる」のだ。
自分の中の、壊れやすくて脆くて、
なによりも「弱い」部分を晒してるんだから。
それはあなたを信頼しているからで、
愛しているからで、
受け入れてほしいからだ。

そのサインを決して見逃さないでほしい。
何かアドバイスしたくても、
まずは受け入れて、大変だったことを
認めてあげてほしい。

さーて、
元カレよ。
あなたに傷付けられたこの傷は、
今やっとカサブタが剥がれた。
そして、結局は「ありがとう」だと思う。
突っ放されたショックが、
私の中にもう一つ学びを産んだのだから。

そしてもしこれをここまで読んでくれた方が
いらっしゃるのなら、
これからあなたの周りに現れる、
一見自分の尺度では理解のできない、
「弱そうな人間」に対し、
肯定も否定もせずただ受け入れてあげてほしい。

私自身に起きたことことから
何かを学べるとしたら、
今認識できていない自分の「弱さ」は、
いつか自分を苦しめる時が来るかもしれないし、
ある時否定した他人の「弱さ」は
自分の中にも必ず燻っている。

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