見出し画像

ひみつの嵐ちゃんについて振り返ろう

今月沸いたエンタメは「ルックバック」と「ひみつの嵐ちゃん!」でした。
ここからの続きです。

「ひみつの嵐ちゃん!」について言及したい理由は大きく2つ理由があります。
ラヴィット!」「水曜日のダウンタウン」を筆頭にTBSバラエティがここまで激強になったきっかけがここにあると勝手に認知していること、あと単に自分がハマったこと。
この記事では前者を紐解く上で歴史をさらっと振り返ります。

そして復活しましたね☺️
「それスノ」で復活したひみつの嵐ちゃんはTHE大人の事情って雰囲気が賛否ありましたけど、今できるリソースで最大限やるしか会社を維持するためにはするしかないので仕方ないでしょう。陰謀的な部分はよく分からないのでこれくらいしか言及できませんが。その番宣で「ラヴィット!」で復活していた方が自然体だったなとは思います

激強スタッフチーム陣

個人的な解釈であるが、「ひみつの嵐ちゃん」は「リンカーン」と共にTBSが00年代初頭に得意としていたドキュメントバラエティ路線から、のちに「ラヴィット!」が台頭する「ゴリゴリお笑いバラエティ」へシフトする契機となった番組だと思います。それはスタッフ陣の激強さにあります。

2010年3月放送分のエンドロールより

いわゆる全盛期にディレクターとして名を連ねていたメンツ、後にTBS内外で激強バラエティ番組を担当される方々が名を連ねています。
みんな大好きな藤井健太郎氏、「マツコの知らない世界」総合演出の冨田氏、その他もろもろ。
プロデューサーおよび初期の総合演出にはキングオブコントのエンディングでトロフィーとか渡してる平田さおり氏や、プロデューサーは現TBS専務の合田隆信氏が担当されていたりと、おそらく皆さんも無意識に見たことのある方が現場でバリバリやっていました。

人事のことは邪推するのはあまり良くないのですが、嵐の大ブレイク中を支えられていたのはこのチームの圧倒的強さにあると思います。

大テコ入れ

そのような「ひみつの嵐ちゃん!」ですが、結構迷走の連続でして、2008年に始まった時は最初は社会の疑問を解明するNHKみたいな教養バラエティだったんですよね。
盛大な番宣をかましたのにしっかりとコケて、1クールでリニューアルします。
それでも「世界の衝撃映像を見た後に嵐が実際にやってみる」とか「ニューハーフの世界を深掘り」とか、いかにもそろそろ終わるんだろうな…って番組がやりがちな企画が続きます。それでも根強い人気が残る「ヒューマンビートボックス」「バカっこいい」は衝撃映像を見た上で実践として企画されたはず。

そうこうしているうちにTBSが2009年春の大改革が起こり、番組自体は改革に呑まれなかったものの、「水戸黄門以外全部視聴率が取れない」っていうTBS自体がヤバい状態に陥ります。

2009年TBS改変の象徴、吉崎海峡


そのような中、「水ダウ」でおなじみの藤井健太郎氏が企画した「マネキンファイブ」を筆頭にクソデカリニューアルをかまして、ゴリゴリのバラエティに切り替えます。ごく稀にしか起こらないタイプの大テコ入れですね。

リニューアル当初は嵐5人の劇場って設定で、メンバーがマネキンやホスト、乗客、常連客になりきってバラエティゲームを…みたいな数取団みたいな要素が加わっていましたが、やりづらいと思ったのかすぐに廃止されます。「マネキンファイブ」はその名残が強いかと思います。

このリニューアルと嵐の爆発的なブレイクが重なってついに「マネキン」回を中心に視聴率が2桁超えをガンガン出すようになひます。ここから「ヒット番組」って言われるようになった印象です。ドン底だった時期なので尚更。

ニノさんが結構藤井氏に好かれていて、クロちゃんばりの弄られ方をされてたり、当時のアイドルバラエティにはないような罰ゲームがあったりでファンの中には好きじゃない人も結構多いと聞きます。でも、そういうところが当時はそこまで好きな芸能人にこだわりがなかった身では好きでした。「うたばん」みたいに執拗にアーティストをイジることでファンを増やせるという狙いなのかも。

東日本大震災からの再始動

そして2011年、震災による自粛ムードに加え、当時ほとんどのコーナーでMCをやっていたオセロの中島知子氏の失踪が重なり、「マネキンファイブ」も打ち切りになり、しばらく街ブラロケばかりの時期が入ります。
それと同時にメンバー2人体制になってファンからは反感を買います。最初はどう楽しめばよいか分からない内容でしたが、次第に2人きりでロケをする上で密度が増して、結構ファンにとって神回が生まれやすくなった、ファンファーストとも思うんですよね。(藤井氏がタレント名鑑期間中は一時降板していたのでこの頃は悪意が控えめになってたのまありますが)

2012年からはメインが「嵐シェアハウス」というシェアハウスを模したスタジオでのさんまのまんまのパクリトーク企画に切り替わります。テラスハウスよりもいち早くシェアハウスを取り上げた番組だったり。
ちなみに、タレント名鑑がテベ・コンヒーロに代わったタイミングで藤井氏はディレクターに復帰します。

嵐シェアハウスではスマホのアイコン風のタイトル画面、番組ではLINEのトーク画面を模した説明テロップとかを、ガラケーがまだ生きてた時代から取り入れていて斬新だったと思います。

それからちょうど1年後の2013年4月に、VS嵐や嵐にしやがれよりも早く終わることになりました。当時の嵐って信じられない多忙さだったし、それは他の音楽活動の面でも垣間見えるので反対はしませんでした。ただ結構大人の事情が複雑に絡んでいるんですよね。

後番組 そして復活

後番組「今、この顔がスゴい!」からは櫻井翔×有吉弘行のコンビが生まれます。最初の頃はあんまり上手く機能してなかったけどそのまま10年経つと名コンビになるものですね。
この顔-はのちに「全力!脱力タイムズ」を担当する名城ラリータ氏が演出をしていました。今の「THE夜会」は初期の頃はサンジャポや爆報などの情報番組寄りのスタッフチームが担当してたけど気付いたらゴリゴリバラエティになっていますね。
迷走はしつつも10年以上櫻井有吉ペアが続いていなければ、こうやってそれスノに継がれることもなかったんじゃないかなとは思います。

それを見ていた自分は

小学生→中学生でしたね。当時のはねトびやペケポンみたいなオムニバスコント形式ゲームバラエティ(伝われ)をよく見ていたので、マネキンとかやってた頃の嵐ちゃんからずるずる引き込まれました。「うたばん」から嵐入ったけど、多分嵐ちゃんなければここまで沼らなかったと思う。

でも終わったことに対してはそっかー。くらいの感覚だったのに復活した時はめちゃくちゃ嬉しかったです。中学の時って逆張りするのがデフォみたいな所あったしね、ただ嵐ちゃんと引き換えに「ニノさん」「相葉マナブ」といったソロバラエティも始動したので…

そんな色々あった番組の存在を振り返りたくて、振り返ってみました。またあのようなバラエティが生まれないだろうか。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?