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小言のこごと、その4

あなたにとってそれが3294キロメートル規模の小言なら、私にとってそれは1080キロメートル規模の物語かも。



GENERATIONS from EXILE TRIBEの小森隼さんがTOKYO HEADLINEで連載中のコラム、「小森の小言」。

https://www.tokyoheadline.com/511331/

第55弾の彼の小言は「ラジオ」についてでした。

「ラジオを距離で表す」ということ。
届ける立場の彼からすれば、ちょっと難しいよなあと笑ってしまった。だって届けてる場所は無数なんだもの、計り知れないほど!


電波をメートル表記に変換しようと奮闘して出会った謎の方式と記号に大混乱、襲う睡魔とマネージャーさんの影。
ラジオを聴く端末との距離を計ろうにも、携帯にGoogle Homeさん、放送局の館内スピーカーに車内のラジオ。数多の場所で出会っちゃうから限れやしない。

果たして。
僕は、タイトルに悩まされているのか、脳内の自分に悩まされているのか〆切に悩まされているのか?

「人間としてどうしたって可愛く思えてしまう脳内戦争だな」
そんな事考えてふと頬が緩んじゃうけれど、慌ただしい毎日の中で仕事として言葉を残すって凄く気力が必要な事だろうから。だから、ただただ「いつもお疲れ様です」「無理し過ぎんでね」の心を贈りたくなる。
(次の〆切との戦い、ちょっとでも穏やかであります様に。平和条約を結ぶのは難しそうだけれど)


コラムの中で語られた隼くんの「自慢」、なんて素敵なんだろうかと私は思う。


彼に可能性を賭けている大人も、安心の話術を買っている大人も、彼だったら彼の声を求めてラジオに触れる誰かを連れて来れると知っている大人も、彼が思う以上に、きっと沢山居るのだ。

AMとFMの境界線を優しく朗らかにふやかしちゃえる彼とラジオの未来、希望しかない!
これからラジオ越しに彼に出逢う誰かはどんな夜を過ごすんだろう、そんなこと考えていち聴取者の私はわくわくしてしまうのだ。



ここからTokyo fmまで、どうやら6時間と少しで行けるらしい。

この「こごと」を書き残すにあたって、ふと調べたのはいつもの代わり映えしない私の部屋から、彼が頑張る場所までの距離だった。

「いつも頑張ってくれて有難う、大丈夫だよ、全部届いてるよ、頑張り過ぎんで居てね!」
そんな事1080キロメートル先まで駆け出して大声で伝えたくなるけれど、もういい大人だから、そんな馬鹿な事はしない。

世の中は未曾有の事態にまだまだ戸惑ってるし、ましてや明日だって変わらず私には仕事が待っているのだ。だから今日は、いつも彼のラジオを
聴いている私の小さな部屋で、この気持ちを書き残しておこうと思う。





私の生活にはラジオがある。


例えば平日の朝に起きて、暗い部屋で寝ぼけ眼のまま支度をしている時。仕事帰りに揺られるがらんとしたバスの中。夕ご飯の支度をするキッチンもそう。

学生時代の実習の帰り道、泣きながら運転する車内で毎夜聴いて元気を貰ってたこと。国試受験の勉強中、聴く時間だけは必ず確保していたほど!それほど私にとって救いの様な存在だったのだ、社会人になってからもずっと。
当たり前に私の傍にあって、時が巡り巡って、


そして今は、なにより毎夜22時からの「学校」として日々に寄り添ってくれている。

私の世界にラジオを連れて来てくれたひとは、他の誰でもなく「彼」こと小森隼さんだ。
彼はこの春から15年目を迎えた“ラジオの中の学校“こと「SCHOOL OF LOCK!」の教頭に赴任、毎夜東京の街からありったけをラジオ越しに届けている真っ最中。

彼が勇気を持ってラジオと向き合うべくして踏み出してから、私の生活にラジオが芽吹きはじめてから、もう約2年半が経とうとしている。

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(これは昨年の彼の新番組が始まった時の書き残し)


そもそもこれまで私はラジオとの御縁があまりない人生を歩んできたし、まして今やYoutubeやらTickTockやら、動画配信が圧倒的に愛される世の中だ。
耳元だけで寄り添う「ラジオ」に触れる機会って、案外限られているのかもしれない。



だけど大声で言いたい、私はラジオが好きだ。



ラジオは素敵だ。
耳元だけ、なのに声色だけでパーソナリティの表情や雰囲気の色が見えちゃう気がする。鼻を啜る音、息継ぎ、声の張り、そういうのでも空気感が見えるから、なんだか聴いていると可視化する魔法でも使える様になった気分になる。


ラジオは溶け込む。
キッチンに立って料理している時も、ひとりとぼとぼ歩く帰り道も、イヤホンをつければたちまち傍に誰かが居てくれる。誰かの話し声が、今日の私の背景になるのだ。いつもの景色の中で、耳元で溶け込んだあの何気ない会話をふと思い出す日だってある。


ラジオは出逢いだ。
2年前の春に偶々ラジオ越しに聴いた曲、実は今も変わらず私の宝物になっていたりする。見知らぬアーティストの名曲、大好きなあのシンガーソングライターの新曲の初披露。ひとが新しい何かと出逢う時の、キューピットの様な役目をラジオを担っていると私は踏んでいる。きっと今日の今この瞬間、どこかで誰かが新しい宝物の歌に出会っている筈だ。


ラジオは秘密基地。
仕事中にふと聴くラジオ、「ああ、今パーソナリティさんの本音だったのかな」と思う事が度々ある。どうしてだろう、この声だけの場所でちいさな秘密を、例えば今日はちょっと悲しい事があっただとか、そういうのを溢す人が多い気がするのだ。それはちいちゃな嬉しいかった出来事や、この世から消えてしまいたい位辛い気持ちを吐露するリスナーも同じ。みんなが心の小さな秘密を共有して、濾過出来る場所なのかもしれない。


ラジオは近しい。
どうしてだろう、うんと遠くで届けられている声なのになんだか傍にお喋りがある気がしてしまうのだ。この半年くらいラジオで流れるCMで「ラジオディスタンス」なんて言葉を耳にするけれど、いいなあ、と聴くたびに思う。テレビでもない、音楽でもない、ラジオだけの優しい距離感が確かにある気がする。独りぼっちの部屋でも、ラジオが響いていれば、何故だか寂しさはほんわり軽くなるのだ。



今夜も私はいつもと同じ時間に、いつもと同じラジオ番組を聴く。彼が連れて来てくれた優しい、近しい、素敵な世界に飛び込むのだ。
今日はどんなお喋りをしてくれるのかな、笑い声は聴けるかな、楽しみだな、そんな事を考えながら。


そして願わくば、この文章を読んでいるあなたが寂しさを感じたその日には、どうかラジオがやさしく寄り添う様に。

そんな事を、今日も切に思ってる。

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