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君の生涯の味方より、愛(みたいなの)をこめて。

SUPER BEAVERの「愛しい人」という歌が好き。

このバンドの楽曲の中でどれが1番好きかと問われたら、いのいちばんに口をつくし、ふとした時にワンフレーズを思い出すくらいには。

惚れた腫れたなんて超えた愛だ、もう愛だ!
死ぬまで味方でいよう。



2024年6月12日(水)、13日(木)
隼くんの28歳の最後の日、29歳の誕生日という
節目と重なった「小森隼の小盛りのハナシ」。
大切な2日間、本当にお疲れ様でした。

これは3年目の時の写真。
あれから1年半も経ってたんだね。

2021年から漕ぎ出して、今年で4年目。
公演数でいうと全6公演。

あの日から変わらず、ちゃんと全て会場で見届ける事が出来ていて嬉しかったりします。
隼くんがステージの0番に立ち続けてくれているから叶い続けてる事だよ!本当にいつも有難ね。

過去公演とは時期も状況も違う中で叶ったこの2日間。経て今に居る隼くんにとって、どんな時間だっでしょうか。

ステージに立ってる時、背を向けて舞台袖に去った時、どんな気持ちを抱いたかな。
いつか君の言葉で聴ける日が来るといいなあ。
来なくても、それはそれで隼くんだから良いんだけどね。

君が君の意思で、全てを決めてゆける人生だといいな。



さて、この4年間(BOOK ACTやお誕生日前最後のドームライブを含めると6年なんだけどさ)実は私の中でひとつのジンクスを信じていたりします。

それはね、
小盛りのハナシの日は毎年必ず晴れる」こと!

ちょっと、いやかなり分かりにくいけれど、
左から順に1年目、2年目、3年目、そして今年。

2年目は大雪の翌日なのに太陽が顔を出して、銀世界になった東京の街がきらきら輝いてた。
今年に至っては、例年だと梅雨なのにひとつぶだって雨は溢れなかったね。青い空も、曇り空の下で吹く柔らかい風も心地良かった。

去年の私に教えてあげたい。
ひとりで信じてるそのジンクスは相変わらずちゃんと叶ったよと。

隼くんは今年、たったひとりのステージで「皆さんが唯一の味方です」と話してくれたけれど、もうずっと前から愛する空だって君の味方だった。

君は君が思うより、ずっと愛されてる。
味方だって沢山居るんだよ!大丈夫。
忘れないで居てね。


ここからは、隼くんが大切に紡いだ小盛りのハナシについて感じた事をちまちまと書き残させて下さい。

日々の些細なエピソードを、ふと感じた美しさを物語に出来る君だから、今年も細部に込めたものを拾い集めて慈しむ行為が楽しくて仕方なかった。
毎年笑って、泣いて、「隼くんらしいな」と頷いて、「隼くんはそんな事してたの?」と驚いて。心を豊かにして貰っているなと感じています。

いつも本当に有難ね。

(ちなみに2024年の小盛りのハナシのアーカイブは、こちらから視聴出来ます。まだ触れた事が無い沢山の人にも届くといいな)

🍚開演前プレイリスト、セットについて

初めて2024年のキービュジュアルを見た時に、そこに込められた光ある決別みたいな感情に息を呑んだけれど、(真っ白な背景、こちらに背を向けて歩いていきそうな立ち姿、手元にはカツ丼だったからね)
いざ会場でセットを見ると、真っ白な布に包まれた例年とは違う荘厳さに「あの感情は正解だったんだな」とあらためて実感した記憶がある。

毎年、このキービュジュアルだけが自由に使用可能になる。
この世のフリー素材の中で1番格好良いねい


別れ、卒業、おわりとはじまり。そういう大切な節目の表現が相変わらず綺麗で大好きだ。

今回のプレイリストのテーマは事前に話してくれていたけれど、会場に入って耳に届いたすべてが「隼くんを好きで居ると必ず聴いた事がある歌達」でひとり思わずにやにやした事を覚えています。
込めた心がより分かるもの。真っ直ぐだね。
最後に必ずおまじないのように大好きなアジカンの歌を選ぶところも大好きだ。君がゆく新しい世界に、光が降る様に。

実は今回、隼くんもよく知っていて、私もどうしても個人的にこの4年間「小盛りのハナシを会場に観に来て欲しい」と願ってやまなかったある人を13日、29歳のお誕生日公演に連れてくる事が出来て。(正しくは相手が声を掛けてくれたんだけど。もしかするといずれ分かるかもね)
そのある人が会場に足を踏み入れて、先ず最初に「Hump Back、"拝啓、少年よ"だ」と小さく呟いた瞬間が忘れられない。隼くんがラジオを生業として、大切にそこに立ち続けている事の意味のひとつはまさしく今だと思った。幾重の夜がまたひとつちいさく意味を成した。
頑張ってきた証だよ、こうして届いてるよ。

ちなみに今回の旅で唯一持参した書籍、そして前夜に東京に向かいながらアーカイブを観ていた友人の舞台の題材が「銀河鉄道の夜」だったのでした。
会場で流れた瞬間、本当に驚いたな。
偶然ってあるなあ。

「ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを
進む中でのできごとなら、峠の上り下りも
みんなほんとうの幸福に近づくひとあしずつですから。」

ハロー、今君に素晴らしい世界が見えますか?

見えてるといいな。


🍚はじめに

隼くんがステージを一歩踏み出した瞬間、客席から歓声が上がること。誰かが呼んだ「はやと!」の名前、「おめでとう」の声。

4年前、コロナ禍で小盛りのハナシが始まった頃には絶対に考えられなかった景色で、客席から観てる身なのに嬉しくて胸がいっぱいだった。
続けてきた意義って、きっとこういうところにあるんだろうな。

話す能力に長けている人の特徴って「その話題にはきちんと作り上げたベースがあるのに、今まさに思い浮かべた様に自然と話すこと」なんだろうなと最近思う。
今回ステージに立った隼くんが、まさしくそう。

本題に入る前で既に
①例年とは違う6月開催、自身の誕生日
②これまではGENERATIONSメンバーが
 居る場所で原稿を書き続けてきたこと
③マネージャーことミヤザキくんの脅し(ではない)

(↑ちなみにこれは2年前の夏に龍友くんからしこたま厳しい教育を受けていたミヤザキくんさんの姿。懐かしいね。龍友くんはパワ原龍友さんと呼ばれていたらしい。攻めの姿勢やね。)

④今回の小盛りのハナシにあたってエゴサしたこと
⑤「小盛りのハナシ」の成り立ちについて
⑥実は断っていたこと、その後悔
⑦「俺の為に」と大勘違い、そして設けた裏テーマ

この約10分に大きく分けても7つのエピソードがぎゅっと詰め込まれているのに、それらがちゃんと違和感無く混ざり合って、ひとつになっていること。
決して形式張った話し方をしないから、観客が「聴く」という行為に自然と向き合って、とても耳馴染みよくエピソードが心に入ってくること。

こんなにも豊かに話せる様になるまで、一体君はどれだけ努力したんだろう。

私は素人の第三者だけど、隼くんは「話すこと」が本当に上手くなったよね。
言葉の繋ぎ目、間の取り方。
抑揚の付け方、身振り手振りと表情の豊かさ!
元々「凄いね、上手だね」と思っていたけれど、4年目の今は、1年目のあの頃とは別人みたいだと私は思う。

頑張ってきたね。
努力は報われない事の方が多いし、神様は振り向いてくれない事ばかりだけど、隼くんが歩いてきた轍は、そこに刻まれた経験や知恵は絶対に消えないんです。
それらはとこしえに君の味方で居るんだろうな。

実は去年からずっと「小盛りのハナシは無くなってしまうかもしれない」という覚悟を心のどこかで持っていたから、最後を託したいという依頼があった事実が嬉しかった。
世の中には大人の事情で安易に消えていくものなんて星の数ほどあって、でも君の年に一度のステージはその大人達に大切にされてるんだね。嬉しい。

(忙しい事はなんとなく遠くからでも知っていたので、「丁寧にリマインドして欲しい」とマネージャーさんに伝えていた事実も重ねて嬉しかったな。頑張りを隼くん自身もまた大切に出来てる証だもん)

🍚1杯目:オールスターな話

実は今回小盛りのハナシに足を運ぶにあたって「隼くんが話すこと」の予想をしてたんだけど、その筆頭候補がまさしくオールスター感謝祭でした。

これは隼くんノートにつけてた「小盛りのヨソウ」!

SNSには書かなかったけれど、出演が発表された時の1番の私の感想は「隼くん、芸能人や〜!!凄いぞやった〜!」でした。(※彼はもう人生の半分程度表に立つ仕事をしています)

オールスター感謝祭。
なんとなくテレビの向こうで見てきた煌びやかさの中に、隼くんが立つ事実が嬉しかったんだよな。

放送日の4月6日は、隼くんが初めてTokyo fmでレギュラーとしてラジオパーソナリティになった「よんぱち」の初放送日でもあって。
ラジオの生放送に心を震わせてた君が、6年後のその日にゴールデン帯のテレビの特番に出演すること。着実に前に進んでるその轍がとても嬉しかったんです。
蒔いてきた種は、ちゃんと芽として育ってる。

「ひとりでの出演が決まったことに隼くん自身が大喜びしてること」「自ら赤坂ミニマラソンを走ると決めたこと」、そして「最後まで走り切れなくて悔しかったこと」。
きっとそうだろうなと思ってたから、答え合わせをしたみたいな気持ちでした。
知った様なふりしてごめん、でもそうだろうなと思ってたんです。大体いつも。

人と人の繋がりってとても美しい。
でもその繋がりを生んでるのは、
他の誰でも無く隼くん自身の努力なんだよな。

前週の「行列ができる相談所」でのSNSの反響は隼くんへの褒め言葉に溢れて居て、きっとオールスター感謝祭の共演者がイニシャルで御縁があるKくん以外の方であっても、愛ある沢山の人の声援は君に向けられたはず。
君の在り方というのは、なんというか、つい人が心に持ってる優しさみたいなものを向けたくなる魅力に溢れていると思うんです。才能でもあるんだろうね。

靴擦れの傷は癒えたろうか。痛みに気付かぬほどの悔しさってどれ程のものなんだろう。
ちょっと勲章みたいで素敵だなと、そんなことを考えたりしています。

🍚2杯目:僕たちの東京マラソン2024

12日に初めて観た時、「凄くいいタイトルを付けたね、素敵だね」と和んだ直後に「嘘でしょ?!」と面食らった記憶がある。嘘でしょ?凄いよ。

と同時に、隼くんらしいなと思ったりしたのです。

私は君の事を何も知らないけれど、自分に対する不甲斐なさや悔しさを自分の力で、でも色んな人の知恵を借りながら蟠りを昇華させて生きていくところ。自分自身に、本当の嘘は付けないところ。
そうしてまた前へと進んでゆくところ。
隼くんらしくて大好きだ。

これは山手線一周旅の後の投稿だったんだね。
しかも、山手線一周旅の直後にミヤザキくんは「小森のマネです」と煽ってたんだね。かなり愉快。

雨ニモマケズ、風ニモマケズ、
靴擦レニモ、サイズ違イノ靴ニモマケヌ
丈夫ナココロヲモチ、
外国人ノチビッコニ指ヲササレテモ動ジズ、
秋葉原デ靴ヲ買ッテハマタ歩キダシ、
ノリサンニ支エラレナガラ
83.49kmヲ無事歩キ切リ、小盛リデハナス
「モウ二度トマラソンハハシラナイ」

宮沢賢治「雨ニモマケズ」(ではない)

雨と同じ色の照明に染まったステージで楽しく朗らかに話してるから、妙に宮沢賢治を感じて笑っちゃう訳ですが。
それでも、どれだけこの挑戦が大変だったか考えると気が遠くなる。
(当日は悪天候の予想にわくわくした事については「だろうね」と頷きながら聞いたんだけど)

諦めずにやること、自分に嘘をつかないこと、
誰かをちゃんと頼ること。
そういう内向的な成功体験って、結局のところ自分自身が動くことでしか得られない。し、生きていく内で御守りになってゆくんだと思う。
泣いたり悩んだり怒ったり、時折悔しさに戸惑ったり。そんなカラフルな感情を抱きながら前に進んでいく隼くんが好きだな。

これからも自分と折り合いを付けながら、
日々を歩んでいけます様に。
(尚、今後マラソンでは前に進まなくて勿論良いです)

🍚3杯目:ブラックリストの話

あれは確か、2021年11月のこと。

隼くんがUber Eatsへの憤りを話してくれた事があったけれど(盛大にサラダをひっくり返されて居て、近頃はmenuのお世話になってるって言うてたね)、
まさか年初めの1番辛い時期にブラックリスト入りになってたなんて想像していませんでした。

「食べることは生きること」だと、思う。

隼くんははちゃめちゃに楽しく話してくれるけれど、自分の今とこれからが不安で仕方なくて、居場所を失うんじゃないかと焦っていた療養期間で、唯一の外界からの変化と和みになるものが乱されていること。
そこに一切の自分自身の非が無いこと。

もし同じ立場に私が居たら、気落ちと怒りで戻れなくなってしまう気がする。よう生き抜いてくれたなと、あらためて実感している訳です。
本当にあの時期、よく生きてくれたね。

怒りの感情をちゃんと持ってる人だなと常々思ってるから、フルーツサンド屋さんのお姉さんとのエピソードも凄く好きなんだけど(とはいえ横から携帯を取り上げたお母さんが1番好きなんだけどさ)、
どんな感情よりも「申し訳無さ」が最終的に勝って、せめてもの気持ちで返そうとするところが、隼くんらしさで好きだ。

2杯目のエピソードと一緒。
後悔をせめてもの気持ちで返そうとするところ。昇華しようとするところ。
でもそれが思う様にいかなくてもどかしく感じるところも、また隼くんらしいね。(ごめん)
人としての愛らしさが君にはあるなとしみじみ思う。

誰しも嫌いになんてなれないのだ、隼くんの事を。

(しかしUber Eatsでブラックリスト入りした隼くんが1年半後に総合司会と演出を務めたCL25で、スポンサーになった企業は他のどこでも無くUber Eatsだった事、何度思い返しても愉快な御縁で好きだ。いや、笑い事じゃないんだけどさ。)


🍚4杯目:演技の話

実は私の職場には、偶々「ミンナノウタ」を観たという方が居ます。
その人の中では隼くんは「まるさんが好きな人=最初に消える人」という認識に、どうやらなっているらしい。印象が凄く強いんだって。

「美味しい役」なんて、大正解!
「満足度やナンバーワンは俺じゃないところで獲ってるんじゃないか?」なんて、大間違い。

皆それぞれの魅力が合わさって作品が評価されて、隼くんが持つバックボーンがあるから生まれたストーリーから紡がれたものが沢山の人の心を惹いている。それって凄い事だから、言い聞かせた夜の数だけ、隼くんが隼くんを誇れるといいな。
いいお芝居だった、「居なくなる」という設定が苦しかったけれど。

2024年4月12日/13日
朗読劇「私の頭の中の消しゴム」にて。
実は私はこの日から日記を書き始めたのでした。

隼くんが演じる「浩介」はとてもピュアで、泣き虫、天邪鬼な優しい人。
ぶっきらぼうはきっと本心じゃない可愛い人間。
ノベライズや映画版とは全然印象が違って、無骨さを無くした「隼くんだけの浩介」で大好きだったな。

のに、まさかこんなにも大変な事になってたとは!
(でもマネージャーさんが説得してくれてよかった、とても良い作品とお芝居だったから。)

「怒られるのが嫌だから」と事前に演出家の方の事を調べる心の準備の仕方が愉快で好き!
だけど、それをきっと世の中では勉強や対策だと呼ぶんだと思う。不安のまま逃避するのではなく、迎え入れるべく備える事は誠実だと思うんだよ。

「いきなり来たよ?!
 こんな早くかましてくる?!」
「めっちゃむかついたんです僕それで!」
「またこの言葉ですよ....
 この野郎、絶対やってやるぞ!」
「刺さってないな〜!!
 脚本演出に全く刺さってない!!
 この現場のスタッフ
 誰にも刺さってない、俺!!」

小森隼の小盛りのハナシ2024 4杯目より



そんな風にやっぱり楽しく話してくれるけれど、言われた状況を考えると胸がぴりぴりと痛む。そりゃ心もぽっきり折れちゃうよ。
それでも2回目の稽古の朝、早起きしてひとりで練習する真面目さ。(しかしミヤザキくんさんのミスにより大遅刻し、その後見事にこてんぱんにやられる訳ですが)
そういうところが、愛されたる所以なんだろうな。

お芝居って難しい。
私にはとても清くて、我慢しいでやさしい頑張り屋の「浩介」が確かに映ってたから。

これは観劇中に付けていたメモの一部。
泣き虫浩介の涙の轍はやさしくて美しかった。

2日目。
「ここ、隼くんは悔しかっただろうな」「昨日も頑張ったから喉、疲れてるんだろうな。頑張ってるね。」と思う瞬間が幾つかあって。
でも一生懸命で誠実なお芝居が素晴らしかった。
本当に素晴らしかったんだよ!

まさか声が出ない事態に陥ってるだなんて、
想像もしてなかった。

「大事な本番の日に声が出ない」って、どんな感覚なんだろう。心境は?
朝からずっと手紙を書き続けていたあの日、足を運んだ会場で中止を言い渡される可能性も充分にあったはず。それでも大人達と駆け回ってあの日ステージに立ってくれた事に感謝しかないのです。有難う。
そしてその絞り出す様に、最後の一縷の望みを掛けて届けたお芝居は観客の心に確かに響いていた事、忘れないで居て欲しいな。

2024年、春の後悔を携えて
君はまた浩介を生きるだろうか。

本当に実現して板に立つその日が来たとしたら、きっと私はこのエピソードを思い出す。
反芻して、笑って、「もっとお芝居が上手になったね!」と拍手を贈る未来がなんだか楽しみ。
(喉は腫れず、健やかにいれたらいいね)


🍚5杯目:免許の話

生活の中で時折「あなたが好きな小森くんって、SCHOOL OF LOCK!の人?!」と驚かれる時がある。

ラジオが、君が続けてきた事が沢山の人の生活に根付いている証なんだけど、身を持って隼くん自身が出逢っている事がなんだか勝手に嬉しかったりします。
きっとその教官の方もカーステレオで日々君の声を聴いていて、そんな声が今教習で自分自身の真隣から聴こえるって不思議な感覚だったろうな。御縁って素敵。

これは私が常に財布に入れてる隼くんの免許証(ではない)
偶に自分のものと間違えて出し掛けて焦る。

昨今SNSでちょっと刺激的というか、特別な事を書き込めば簡単に承認欲求を満たせてしまえる世の中で、「みどりちゃん」はとても真摯でモラルがある大人だよなと思う。

隼くんの話し口が楽しいもんだから愉快な臨場感は勿論なんだけど、どんどんみどりちゃんの事が愛おしくて仕方なくなっちゃうから不思議!
困ったり、気を遣ったり、悔やんだり忙しいけれど、凄くいい出逢いだったんだなあ。

どうかみどりちゃんが運転免許証を無事に取得出来ています様に。
願わくば無事故で過ごせて、いずれぴかぴかのゴールド免許になっちゃうところまで願う。


🍚6杯目:青春の話

「青春が終わった」と話した時、ああきっと隼くんはÜSAさんから貰った言葉を伝えてくれるんだろうなとふと思った。

「点と点が線に、やがて大きな丸に」
よく話してくれるお師匠の様な大人からの言葉の次に、大切な場面で話してくれる事が今まで何度もあったよね。

いつもの言葉は、初めてのBOOK ACTの大千穐楽の時も話してくれたね。

天神コアの時も、ラゾーナ川崎の時も。
7人の動向は勿論だけど、
当時リアルタイムで気が遠くなる程に大荒れのSNSを見てたから、本当に心配したんだよ!!(笑)
本当に怪我とかそういうの、無くてよかった。
だけど、猛烈な熱意を浴びる中で非日常を感じる気持ちはなんだか分かる気がして凄く好きだ。

年々コンプライアンスがより強固になる世の中で(誰かが悲しい思いや、苦しい思いをしない為に必要なものではあるもんね)、隼くんが生きてる上であんなにも"もみくちゃ"の渦中に巻き込まれる事は、もしかするとGENE高が最後だったのかもしれない。

これはドームツアーの時に配られたクリアファイル。
我が家では大切な人から貰った手紙入れになっています。

幾重のエピソードの中で、志と勢いで飛び込んで、
感情主観で判断して、非日常の中でくらう。
本気は大変。だけど本気で向き合う事で伝わるものがあると、そう信じて。

それはある種、世の中で言うところの青春とちょっと等しいんだろうな。分からないけれど。
(とはいえ出禁が多過ぎるけども)

青春が来て、朱夏を迎えて、
白秋に向かい、玄冬を迎える。

GENE高に出逢って、「MC」という立場を託されて、大切な6人と沢山の大人達と走り抜けた君は今朱夏に飛び込んだんだね。

青春で得た宝物達は、
君をどんな未来に連れて行くだろうね。
夏の暑さが厳しい日もきっとあるだろうけれど、1日の終わりに見上げた空にきっと輝く星達が君を癒します様に。爽やかな潮風が額を撫でた時、君の心を光が満たす様に。

7年間、本当に有難う。
「もう頑張れないかもしれない」「必要とされないかもしれない」を越えて、進む事を選んでくれて有難うね。
スーパーMC隼くん、そんな君が歩いてゆく未来を
どうかこれからも見届けさせて欲しい。


あとね、隼くんは気付いてないと思うけれど、舞台袖から今回の小盛りのハナシを撮影して居たカメラマンさん。君の喋る姿を後ろで見ながらずっといい笑顔でシャッターを切ってたんだよ!

GENE高のスタッフさん達との日々には優しく愛いっぱいに幕を下ろした。けれど、君の「一緒に夢を叶える」はこれからも幾重に形を変えながら傍にあり続けるんだろうな。
朱い夏をゆく君の道のりが、なんだか楽しみ。

GENE高がなければ、このわんことも出逢えなかった。
有難ね。(隣は生まれた時から一緒に居るみーちゃん)


🍚【大盛りのハナシ】

メンディーさんに言われて
怒った言葉ランキング


隼くんは優しすぎるよ!!と思う時がある。


別に聖人君子や神様みたいな存在、菩薩みたいだと感じた事は特に無くて。泣いて笑って、怒って悩んで、とても人間らしいひとだなと勝手に思ってる。

だけどさ、誰もがこの2ヶ月弱何処と無く避け続けてきたこの話題を、今さよならが明確に近付くこの時期にメンさんとのエピソードを。

出逢い、良いところ、腹が立ったところ、尊敬しているところ、馬鹿馬鹿しいこと、全部丸ごと引っくるめて「皆さんに見届け人になって欲しくて!」と話してくれる事で、一体どれだけの人が救われただろうね。
行き場の無い感情を、どこかあの日に置いて行かれた様な悲しさを、どれだけの人が掬い上げて貰ったんだろう。
憤りも寂しさも、あのステージで「でも結局メンさんのこと、大好きなんだよな」に変わってしまった。

優しすぎるよ。本当に優しすぎる。
隼くんはたった1人なのに抱えすぎだよ!

でも、本当に有難う。

10年もそのも一緒に楽しい事いっぱいしましょうね!!
これは10周年ツアーの銀テープでの、隼くんの言葉。

隼くんが初めて「小盛りのハナシ」でステージに立った4年前から今年の4月30日まで。


あの日語ってくれた「小盛りのハナシが7年目を迎えるまではGENERATIONSのメンバーとのエピソードを話さない、7年目にメンバーとのエピソードだけで構成する」という夢が、まさか叶わないとは思ってなかった。
想像した事すら無かった。


2024年の小盛りのハナシ開催が発表されてから数日後、「GENERATIONSからの大切なお知らせ」という絶対に見たく無かった文字を意識のずっと遠いところで眺めながら、「隼くんはどうするんだろう」とぼんやり考えた事を未だにはっきりと覚えています。

話しても、話さなくてもよかった。
どちらにせよなにかしらのリスクを追ってしまう可能性は、きっとあったはず。

どんな事であっても隼くんが、隼くんの意思で選べる事だけをずっと願っていました。

だからこそ、「大盛りのハナシをする前に、皆さんに話しておきたい事があるんです」という前置きと声色に、君は伝える道を選んだなと感じて、背筋がぴんと伸びる様な感覚になったのです。

真摯に泣かせにかかるかと思いきや、注目を浴びるメンさんに対する「嫉妬病」についてやきもき話したり(隼くんの嫉妬は、相手に対する敬意があるから抱けるものなんだよ)、沢山喧嘩してきたが故に抱いたモヤモヤ達を晴らしたい!と笑わせたり。

本当に凄い事だよ、
「隼くんは何を話すつもりなの?」と少し身構えた
観客全ての肩の力が抜けたんだもん。
そしてそんな最中でも「今から喧嘩したい訳じゃないんです、別に喧嘩別れでもないです!ただ僕のモヤモヤを成仏させる瞬間を見届けて欲しいんです」と、全ての人が一緒に怒るリスクまで楽しく回避させてしまう。

隼くん、君は優しい人。
そしてやっぱり、本当に有難う。


🍚第3位:"夢者修行に出れない"

年齢だけ大人になった今だから思う、
はたちはまだ充分に子どもだと。


でも17歳なんて、もっともっと子どもだよ!!
放っておくんじゃあないよ!!!!

(とはいえ目の前で不安で泣いてる子を構ってる余裕なんて無い気持ちは、なんだか分かる気がする。その気の回し方はきっと大人でも難しかったりするんだよな)

自身の寝坊が原因で本来参加する筈だった夢者修行へは不参加。メンバーと全く違う環境で、デビュー出来ないかもしれない不安を抱えながらひとり毎日ゴミ拾いと自主トレーニングを繰り返す日々


ひとりの寝坊が原因で、今までのリハーサルは水の泡。全てを組み直して毎日炎天下の中で夢者修行、痛む身体とデビュー出来ないかもしれない不安を抱えながら全国各地でパフォーマンスを繰り返す日々

お互いあまりにも置かれている状況が違う中で、受け入れ合って共に再び活動すること。

「普通に戻ってくるんですよ!」と愉快に隼くんは話してくれたけれど、言葉以上に葛藤は深かったはず。
それぞれが悩んで、色んな事を考えながら結局14年という歳月を共に歩み切ってくれた事実に感謝しか無いんです。

これは2022年11月21日のデビュー日のライブの後、
皆で10周年をお祝いした時の写真。
7人も、6人と1人も大切だよ。

色んな人を巻き込んで、許されて、
必要とされるのはメンさんの才能。
ならば6人の才能は、そんな状況を簡単には受け入れ切れなくたって前に進み続けた強さなんだと思う。

7人がこれだけの期間、一緒にステージに立ち続けてくれて本当によかった。
見届けさせてくれて有難う。

今も変わらない泣き虫隼くんの17歳の頃の涙が、いつか未来で安心や「あの時さぁ、」と思い出を語る時の涙として、君の瞳に還ってきます様に。

(しかし寝坊って大袈裟では無く簡単に社会的信用を失墜する行為だと思うから、それでも変わらずGENERATIONSに居れたメンさんは本当に凄いんだと思う)

🍚第2位:"ハリセンで叩かれたの、
 正直めちゃくちゃイラッとしました"

最早喧嘩どころの話ではなく、長文で、尚且つ相手を「(加害者)」なんて呼ぶ、下手すればもう二度と顔を合わさぬまま絶縁するくらいの攻撃力高めのラインの遣り取りをしたにも関わらず、

「おはよう」

翌朝のたったひとことで全てを終結に向かわせるところが、メンさんが愛される理由のひとつだと思う。
なにそれ狡い!
拍子抜けするというか、いかり肩すら撫で肩になっちゃう様な張り詰めた空気の和らげ方。
相手である隼くんからすればたまったもんじゃないだろうけれど。(この時期はたった1人で毎日22時からラジオを届けてた頃だからね。そりゃ頑張った君の真夜中のアドレナリンもひとしおだったのではないでしょうか)

グループを想って、真面目に自分がインプットしてきたものを還元しようと口を開いたメンさんも、その場の空気に耐えかねて咄嗟にハリセン(クラッパーと呼ぶらしいね)を手に取った隼くんも。
それぞれの立場や想いが想像出来て、その喧嘩の発端の現場にはちっとも悪意が存在していなくて好きだ。
人の凡ゆる揉め事なんて、実は割と悪意が存在しないところで生まれてるのかもね。紐解いて笑い飛ばせば、話して分かち合えば、未来で肩も組めるのかも。
隼くんとメンさんを見てると、なんだか身近な人間関係に希望が持てる気がして不思議。


ちなみに。
13日の公演の時に、このエピソードを話す中で「(ライブの)内容があまり詰まらない」からと発した時、退屈の意の「つまらない」と聞こえるリスクを察したのか、咄嗟に「(アイデア出しが)上手くいかないから」と続けて言葉を足したところが好きだった。
君はとても聡いね。


🍚第1位:黙って俺について来い

私は他人。


他人なんだけど、7年前から絶対に、
例え冗談であっても誰も隼くんに言わないで欲しいと願い続けた言葉がひとつあって。
それこそが、メンディーさんが隼くんに言い放った
お前はMCに向いてない」でした。

もう5年半も前に言われてたんだね。
言わないで欲しかったな
でも、本心じゃなくとも口をついて悔いる言葉って、生きていると絶対にある。凄くよく分かる。

「1位ノミネート、おめでとう御座います!」
「そして、ぶっち切りの1位です!
 この喧嘩、大喧嘩でした!!」

小森隼の小盛りのハナシ2024 大盛りのハナシより

アカデミー賞ノミネートさながらの賞賛っぷり!
隼くんにつられて会場中から響く拍手が愉快で、可笑しくって、でも切なくて大好きだった。

そして今思い返しても、
やっぱり言わないで欲しかったな。

これは2021年9月11日、隼くんがMCを務めた
GENERATIONSのファンミーティングの日の写真。


2018年当時、私の目に映る限りの隼くんのMCを見ながら1番に思っていたことは
「ひとりで頑張ろうとしているな」でした。


独りよがりだと思った事は決して無かった。
けれど、面白おかしい方に転ぼうとする流れを真っ先に正したり、進行を明確に進めようと一生懸命になってみたり。(そして、メンさんはとてもいじられていて、ただただ「優しいなあ」と毎度しみじみ感じたり。)
MCとしての責任を負いながら、「番組の進行はこうしなければいけない」とどこか自分を型に強いてないかな、無理してないと良いけれど、と遠くからなんとなく思っていました。なんとなく。

でもね、嬉しい気持ちも沢山あったんです。
2017年の隼くんのMCは輪の中の6人を外から輝かせようと、自分の事をそっちのけで一生懸命頑張っていたけれど(間違っても勘違いしないで欲しい、この時期の君のMCも大好きだもん。)
隼くんが話してくれた2018年頃くらいからは、君自身が輪の中に居るように感じていて。自分の事をちょっと大切に出来る様になったのかもしれないなと、そんな気がしてたから。

「当時の僕は、かなり調子に乗っていました」

小森隼の小盛りのハナシ2024 大盛りのハナシより

隼くんはそう言うけれど、
この時期はのちに年を重ねた君が「つらかった」と打ち明けてくれた23歳の日々の中でもある訳で。


初めてのドームツアー。
初めての"小森隼"としての生放送の
ラジオ番組パーソナリティ就任。
初めてのコラム連載。
初めての俳優としての映画撮影。

私が知る限りでも目紛しく大きな波が訪れる毎日の中で、求められるものもきっと多かったはず。
お仕事の兼ね合いで色んな人の怒気をはらんだ意見を向けられた時、「僕は"GENERATIONSの"小森隼です」と、はっきりと伝えてくれた時もあったね。

上手くいかなくて、自分にも大人たちにも腹が立って、もどかしくて遣る瀬無くて、どうしようも無くなった夜が一体君に幾つあったでしょうか。
遠くから見ていても数え切れないほど。

だから、
29歳の隼くんが「完全に調子に乗っていた」という当時の隼くんは、きっと彼の中で自分を誇れる大切なものを必死で守ってたのかもしれないね。
頑張ってたんだよ。とても。

そんな隼くんを1番近くで見ていたからこそ、「こうしてごらん」をメンさんは隼くんに伝えたんだろうな。頑張ってるその必死さの角度を誰よりも身と心で受け止めていて、その上隼くんが志す世界を随分の前から知っていて、もっと良くなれるはずと信じてやまなかったからこそ。

あれは多分、愛というやつだった。
(とはいえやっぱり「向いてない」なんて言わないで欲しかったけどさ!)


いつかまた会えると、信じてる。
金屏風の前で泣いて笑ったあの日が、
7色の光に包まれたスタジオが、
最後になんてきっとならない。


何年か経って、どこかで会える様になったその時に、しょうもなかったり、お互いを傷付けてしまったり、そんな喧嘩のエピソードを笑い涙と一緒にら話せる様に。

いつかもう一度、一緒に踊れる様に。


🍚奏でること、踊ること、


事前に「今回の小盛りのハナシで初披露する事がある」と話してくれた時、きっとベースなんだろうなとどことなく思った記憶があります。
日々をこなしながらこんなにもエピソードを準備して、その上初めてベースまで披露したこと。

どうやって全てを逃さずここまで準備したんだろう。
笑っちゃうくらい凄くて、そしてそこに掛けた願い事を想像して鼻の奥がつんとする。

そんな気がしてたから、実は本番1ヶ月と少し前のFAXに
こっそりベースを描き込んでいたのでした。
なんてったってエスパーだからね。

メンさんへの想いを話して静かに暗転、
ぱっと明るくなったステージに現れた隼くんの表情が忘れられない!

「AGEHA」「Evergreen」、そして「DREAMERS」


「AGEHA」と「Evergreen」はいつだって大切にしてきた事は勿論、"7人のGENERATIONS"として最後にパフォーマンスした楽曲。

そして「DREAMERS」は隼くんが大切な番組を卒業する時にスタッフさんが最後に掛けたり、初めての小盛りのハナシ本番前の最後に聴いたり、(あの日の隼くんに「君は4年目のステージで、ベースを披露するよ」と伝えたらどんな反応をするんだろうね)
節目にいつも君の味方でいた大切な楽曲。


選曲の理由なんて隼くんにしか分からないけれど、想像し得る全てが愛おしくてなんだか好きだ。


これはこの世で隼くん以外の人だけの特権!
28歳最後の日と29歳最初の日、ベースを奏でる表情や仕草が全然違ったということ。
肉眼で見届けて心の中で並べ・比べて慈しむのは君以外の第三者にしか出来ないこと。ちょっと得意げな気持ちになる。

28歳最後の日の隼くんは緊張混じりの中、首を柔らかく左にもたげて気持ち良さそうに演奏してたけれど、29日最初の日は演奏しながらよく客席を見渡していて、くしゃくしゃに笑う瞬間が凄く多かった。


どんな心持ちの違いがあったろう。
お誕生日の特別だけじゃなくて、配信にも届く様にの心が成した事なのかな。二度目のステージに少し心はほぐれたんだろうか。

4弦のベースを指弾きしながら心地良さそうに、でも身体の音の取り方が長年ダンスと共に生きてきた「パフォーマー」のそれで。
28歳の君、29歳の君、
どちらの姿もとても格好良かった!

2024年5月1日から、戸惑ったまま過ぎていた沢山の人の心を「話す」という事で掬い上げたこと。
隼くん自身のメンディーさんに対する心を濾過して、残った気持ちを愛情で包んで声に出してくれたこと。
怒りも、ごめんねも、皆で自身の演奏に合わせて手を叩いて、身体を揺らして、口ずさんで。最後には笑ってエンディングに向かわせること。
誰も悲しさの中に置いてけぼりにはしなかったこと。

今年に限った事では無く、隼くんが作るステージはどんなに切ない事を話そうとも必ず最後心にあかりを灯してくれるから不思議。
帰り道、どれだけ夜闇が深まろうともいつも心は明るいまま。そうして誰かの日々をささやかに、でも照らせるところが沢山持っている隼くんの才能のひとつなんだろうな。

最後に「僕の大切な人、全員の夢が叶いますように!」と目を閉じて手を組んだ、その愛深さが大好きだった。

28歳最後の日は
「僕の大切な人達の夢が叶いますように」。
もうそれだけで充分過ぎるくらいなのに、29歳は"全員"とまで規模が広がっちゃうあたり、相変わらず抱えすぎだよ!隼くんはたったひとりなのに、一体何人分の願い事を抱き締めておくつもりなの。
でも、その想いの広さと実直さが大好きだ。



隼くんは「大切な人」という言葉にどんな人を思い浮かべるんだろう。


私には分からないけれど、君のみぞ知る全ての人の、そしてなにより隼くんの夢が叶います様に。

これは2年目の小盛りのハナシの時の写真。
4年間で唯一EXシアター六本木で行われた年に、
タップダンスが初披露されたのでした。


隼くんがこの「小盛りのハナシ」で祈りを込めて踊る時は、大切な誰かに手を振って前に進む瞬間と限りなく共にあるな、と思う。

2年前は大切過ぎた相方である坂田さんへ、「雨のち晴れ」にのせて初めてのタップダンスを。
そして今年は14年連れ添った運命共同体みたいなメンディーさんへ、「もう一度君と踊りたい」にのせて、隼くんの人生をここまで連れて来たダンスを大切な振付で。


冒頭で話してくれた「僕の為に生まれたと思っていたBOOK ACTは本来"もう一度君と踊りたい"が初号で、ちゃんとファイナルで再演された事で企画が無事に幕を閉じた」
「でもここで僕なりのBOOK ACTのファイナルをします!」という言葉の回収。
そしてメンさんへの最後の言葉と祈りを込めて、この曲を最後に踊るという選択が物語としてとても美しいな、と思う。
(もしかして、私が気付いていない伏線や設定がこの小盛りのハナシにはまだまだあるかもしれない。楽しい)

小盛りのハナシの終演後に会った大好きな友人たちに、隼くんがメンさんについて話してくれたこと・祈る様に踊ったことを話した時、皆口を揃えて笑って言ったのは「隼らしいね」だった。
私達は隼くんのことを何にも知らないけれど、だけど私もそう思うんだよな。隼くんらしいなと。


祈りって、手に取れない。

届かなければ、どれだけ想いを込めても宙に浮いたままどこかに消えていってしまうものだと思う。

それでも切実且つ誠実に、ほんの小さな可能性に全てを賭ける様に、時折寂しそうに笑ったり、
泣き出しそうな表情をしながらたったひとりのステージで踊る隼くんの姿を見ていたら、
ここにある想いが行き着く先が必ず望む場所であって欲しいと本気で思った。

相変わらずしなやかで、静と動がうつくしいその踊り方は、ダンスと出逢った約20年分の隼くんの努力と、GENERATIONSとして過ごした大切な時間が詰まってる。
道を歩き出したたったひとりとの思い出も。

「自分自身を信じて、皆を信じて、
 これから歩いてゆく道を力強く
 進んでいきたいと思います」

小森隼の小盛りのハナシ2024 大盛りのハナシより


そう語る君が進む道の中で、祈りが届きますように。例え未来が変わらなくても、過去を光らせながら。
どうか、どうか。


🍚結びとお誕生日について

何かと何かを繋ぐ役目というのは、
とてもつらいと思う。
けれど、その存在に救われる心って星の数ほどあると思うんだよ。

東京の夜、ちいさな星の写真。

3年目の小盛りのハナシから、今回に至るまで。
実は遠くから見ているだけでも隼くんの傍にはあまりも別れが多くて、君が居なくなったり、今を手放してもう会えなくなってしまう覚悟だって勝手にしていた1年半でした。

明るくなったステージにふにゃふにゃの笑顔で、小走りで帰って来た君の姿を見ながらそんな事をふと思い出した。


何度だって言うさ。
何かを繋ぐ役目はとてもつらい。
こと切れる出来事の間に流れるものってとても重く、深い上に、うんと沢山の人の期待まで科される。

それでもどうしようもなく日々に溢れるささやかな奇跡の中で、大切な生まれた日にステージに立ってくれた事、守り続けた形が途切れてしまう「6月25日」の1週間前にこうして想いを届けてくれた事、
そしてそれを「なにかの縁の繋ぎ目の日だと思ったんです」と、重なる意味を愛してこの日を迎えてくれた事。

君の全てに感謝しかないんです。


お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれて、本当に有難う。

「なにか辛い事とか、もしかすると今日この会場を出た一歩外であるかもしれないです。"これ話したいのにな"って。」
「辛い事はひとりひとり、全員にあると思います。僕も同じです!」「だから俺が凄いって言いたいんじゃないです。皆さんと一緒です。」
「絶対皆ひとりひとり、辛いなにかをもってるんです。それと戦っていく事が、毎日なんです。」

小森隼の小盛りのハナシ2024 エピローグより

この世に沢山あるステージ表現の多くの根本には「今だけでも現実を忘れられる様に、夢を見せます」があると感じています。

だけど隼くんが立つこの小盛りのハナシは、隼くん自身と凡ゆる観客の互いの辛さにもフォーカスが当たる。

それって凄く稀有な事だと思うんだよ。

隼くんはよくロマンチックが大好きだ!と言われるけれど、思想のつま先が確かに現実に触れているリアリストでもある。と、思う。

本当の嘘はつけない。現実を、つらさや苦しみを見て見ぬふりなんて出来ない。
そんな君が作り出すステージには確かに「共生」という血潮が流れていて、その体温が確かにひとを生かしている。
独りぼっちが顕著に見えるこの世の中で、君は誰かの孤独を着実に掬い上げている。


名は体を表すとよく言うけれど、「隼」の名前をなぞる様に唯一無二な在り方でそこに居る君が大好き。だから皆そんな君の事を愛してやまないんだろうな。


(とはいえ、皆が素直に居れる様にと自分自身のありのままを話し、「僕の前では色んな表情でいてください」と凡ゆるものを甘受しようと隼くんは居てくれるけれど、背負い過ぎずに居て大丈夫だということもさ、忘れずに居てね。
君に降る他者の感情がいつも優しいものであります様に。)

これは29歳のお誕生日の贈り物「月の土地」。
君に優しい居場所はこの地球にも、宇宙にもあるよ。

深くお辞儀をした途端鳴り響いた「ハッピーバースデー」をなぞるピアノの音、上げた顔はくしゃくしゃの笑顔!

4年続いて初めて小盛りのハナシのエピソードに登場しなかった哲也さんが生身で現れたこと(その上、隼くんの好きなお酒も携えて!)ケーキを押しながら優しい裕太くんがやってきたことも。全部嬉しかった。
頑張り続けた泥臭くて真摯な空気が一変して忽ち柔らかくなったあの時間の事を、私はずっと忘れないと思う。

そしてほんのちょっぴりだけ、緩んだ心と潤んだ瞳で、隼くんの目元に涙が浮かんだことも。

違ったらごめん、でもあの瞬間瞳の中の星の数がきらきらと増えた瞬間を見逃せなかったから。
気が付けば私のこの人生で最も泣き顔を見て来たのは、他の誰でも無く隼くんになっちゃったものだから。
悲しさとか後悔とか、そういう感情も勿論だけど、誰かに褒められたり、温かい輪の中心に居る時に涙が込み上げてくる泣き虫な君が大好きなものですから。

泣き虫!
29歳もその先も、どうかその素敵を失くさないで。涙に嘘をつかずに生きてたらいいな。
そしてこの先の人生でも、よかったら私が生涯最も泣き顔を見た人は君でいて欲しいです。

見捨てやしないし、味方で居るさ。

でも隼くんが思うよりずっと味方はこの世にいる事、それらの向けられる好意は君が今まで沢山の場所で頑張って種を蒔いてきたから生まれた感情だということ、どうか忘れないでね。


ずっとずっと味方だよ。
だから隼くんだって、
隼くんの味方で居てあげてよね。


(しかし本当、28歳最後の日に「この後1時を過ぎたら帰ります、29歳最初はあなたの料理が食べたいです。何か美味しいものを作って待っていてください」とステージから伝えられた君のお母さんが、いざ帰ると「なぁ、Uber Eartsしよ〜」とのびやかに待っていたエピソードが大好き。
なんにも知らないけれど、私は多分隼くんのお母さんのファンなんだろうなと我ながら度々思います。なんてチャーミング。)


🍚終演後プレイリストについて

隼くんが舞台袖に去った後のこと。
余韻に揺蕩いながらぼんやりステージを眺めていた時、大好きな聴き慣れた歌のイントロが流れ出して息を呑んだ事を覚えてる。

これは3年前、小盛りのハナシ初回から約2ヶ月後の投稿。
手嶌葵さんの「東京」と、隼くんを重ねて聴いていた私に教えてあげたい。3年後に同じヒューリックホールで、その上小盛りのハナシでその歌を聴く日が来るよと。

今回のプレイリストのテーマの骨組みを話してくれた時、いや、実はそのほんの6時間ほど前からだけど、きっと隼くんは今回「東京」というキーワードを選ぶんだろうなとなんとなく予想を立てていました。
だから初日に聴こえた歌達を調べた時、その正解にちょっと嬉しくなったんだよな。

私の知らない東京の歌、長く戦い続けてる隼くんだから似合う東京の歌がそこには確かにあって。
28歳最後のステージを後にしながら「実は私にも大好きな東京の歌があるんだよ」と心の中で思い浮かべていたのが、まさしくこの楽曲だったのです。

笑って泣いて、怒って悔やんで、
そうして前を向く。
ひとが共に生きてゆく過程を見届ける様な今年の小盛りのハナシに、この歌の優しいイントロはよく似合う。(とはいえ音楽と言葉を好く君だから、どの選曲も信頼出来て大好きなんだけど)

明日が来る前に 片付けたい仕事があると
あなたは一人きりで弱い自分と戦っている
誰も見ていないとき何をしているかを
神様はきっと見ていてくれる

東京ビルの灯り
無数の眠れない理由が煌めいて

静かに明ける空の向こうで、
眩しい明日が手招いている

手嶌葵「東京」

隼くんが幼い頃に憧れて、まだ10代になって浅い頃から踏み締めて生きている東京。

人が多くて煌びやか!
音とものに溢れていて、見上げれば崖みたいに背が高いビル群ばかり。ほんのちょっと気を抜けば、決して絶えない人波の中で、誰も気付かぬ有象無象になれてしまうひろい海の様な場所。

隼くんの人生の半分以上の生活を占めるこの街が、せわしくて眩しいこの街がどうか君に優しく在り続けます様に。

街灯煌めく夜よりも、明けの明星が光る朝がずっと早いこの街が、いつも君にすこやかな明日を降らせます様に。

煌めく無数の「眠れない理由」が、
やがてすべて報われる事を願って。

随分と長くなって、漸くここまで書き終えた今。
気が付けば小盛りのハナシから1週間が経ってしまったそうです。
すなわち、隼くんが29歳になって1週間。

御縁の繋ぎ目の様な、奇跡がきらめいた2日間を経て、君はいかがお過ごしでしょうか。
そちらの地獄(と言うほどではない事を願いますが)の調子はどうだろう。


先日ぽつりとこぼしてくれた悩み事に、君は相変わらず生きているなと実感したりしています。
(かくいうこちらも日常に帰り、大きな仕事に悩んだり怒ったりしながら日々を走っています。お互いに生きてるなあと実感しながら。でも私は遠くに君が居るから実は頑張れてるよ。いつも有難う。)


どれだけ奇跡みたいな非日常の中で笑っても、おとぎ話の様に「そしてこの先も幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」のハッピーエンドでは終われないのが人生というやつで。
悩んだり、遣る瀬無くなったり、報われないことを嘆いたりとても忙しい。
誰かと比べて焦ったり、そんな事ばかり。

でもそういう蟠りみたいな気持ちをすべて携えて、また「小盛りのハナシ」というステージで、分かち合って昇華する未来を御守りに生きて行けるといいな。


あらためて、6月12日(水)13日(木)
28歳最後の日と、29歳最後の日を重ねた「小森隼の小盛りのハナシ」。
忘れたくない記憶と希望に溢れた2日間、本当に有難うございました。
そしてなにより、お誕生日おめでとう!

何度だって言わせて欲しい。
生まれてきてくれて有難う。

またきっと色んな事があるさ。
それでもその大きな足の下に続いてゆく日々を、隼くんが隼くんの歩幅で歩いてゆけます様に。
視線と気持ちを落とす日があっても、案外その先に小さな花が咲いてたり、日陰で猫がのんびり微睡んでたり、そういう優しい景色と出逢えたりするもんです。

だから、きっと大丈夫。


私ね、SUPER BEAVERの「愛しい人」という歌が好きなんです。


隼くんが29歳のお誕生日の日、観客に向かって「皆さんが僕の唯一の味方です」と語った時、1番に思い出したのはこの歌だった。

1番好きな歌詞があって、それは2番のAメロの後半!

一生かけても多分 難しいんだろうな、
全て解って 推し量るのは

SUPER BEAVER「愛しい人」

これまでもこれからも隼くんの事なんて、きっと一生かけても分からない。全て解って推し量るなんてどれだけ時間をかけても出来ません。
他人だからね。

それでも君を知ってから得たこの温かい気持ちは、きっと愛(と呼ぶにはあまりにも烏滸がましいので、"みたいなの"と呼ばせてください)だから。



なんにも変わらず、死ぬまで味方で居よう。必ず。


4年間、隼くんの大切な時間を見届けさせてくれて有難う。そしてどうか、これからも立ち会わせてね。


ではまた、君の人生譚を読み解く様な時間に。
ご馳走様でした!



君の生涯の味方より
愛(みたいなの)を込めて。


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