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こごとのもほう

10月30日
いつも終わりを心のどこかで覚悟している。

どれだけ楽しくても、仲良くても、幸せでも、大好きでも、いつか必ず失うからね、安心するなと言い聞かせて生きてるから、何があっても私は大丈夫。絶対に泣かないし受け入れられる。

と、そんな事を厳かに思っている時期が2週間程前までは私にもありました。
それはこの世で最も会いたい人にあとたった3分の差で会えず、落ち込んで家路に着いた日のこと。まるで大失恋したかの様にわんわん泣いて友達に電話しながら街中を歩いていて気が付いたんだけど、どうやら私はあんまり強い人間では無いらしい。唇からぼろぼろ出てくるのは泣き言と、自分が絶対に曲げたくなかった「それでも会いたい」という意志の話だった。
家に帰っても気を抜いたら涙がぼろぼろこぼれて、覗いた鏡に映るぐしゃぐしゃな自分の顔にげらげら笑って、そしてまた泣く。そんな繰り返し。
よく「枕を濡らす」という慣用句を耳にするけれど、いつもの布団にくるまった時に頬を伝った涙は確かにあの言葉通り枕に還っていった。世の人が語り継いできた言葉なだけあるなあ。しかしこの世の枕が受け止め続けた涙を集めたら、湯船一杯分くらいにはなるんだろうか。流石にもうちょっとあるのかなあ。いや、まあ何でも良いんだけど。

思えば高校生の頃の友人達は私の物真似をする時は、未だに決まって「○○○(名前)、出来ひん!」と泣いてる振りをしながら言う。
もう、やめて!と笑うけれど、実際当時は物真似そのままに泣いてたから紛れも無い事実な訳で。本当に鬱陶しかったろう、ごめん、と最早笑えないところではある。
あの頃から随分と時が経って、私も世間的にはもういい大人だけれどなんにも変わってない。私は10代の頃からずっと弱いまま、このモラトリアムを泳ぎ続けてるのかもしれないな、と思う。

いつか今居る大切な人が居なくなった時、手放さなきゃいけなくなった時、私は笑って送り出せるだろうか。日常の一部がぽっかり無くなった時、「そんなもんだよね、今まで有難うね」と穏やかな心で受け入れられるだろうか。
そんな事を考える度に心臓がぎしぎしと音を立てて、身体が鉛の如く重たくなるこの感覚が、私の正直な気持ちの全てな気がする。

すべてがおとぎ話みたいに「めでたし、めでたし」とハッピーエンドになればいいし、その幸せのまま未来が続いてゆけばいいのに。
でもそれ以上に、強くなれたらいいのにな。

10月31日
3年前の今日は、満月だった。

それも1ヶ月に二度も満月が現れる、所謂「ブルームーン」というとても稀有なお月様だったそう。(海外では「ありえない・滅多に無い」という意味の"once in a blue moon"というフレーズすらあるらしい)

地球から最も月が遠く見える日でもあるんだけど、そこはあんまり信じてなかったりする。
3年前の今日、夕暮れの川辺を小走りで家路に着いた時に見た、あの御伽噺の月みたく大きくて、吸い込まれそうにうつくしい満月が忘れられないからだ。人生の内で最も瞼の裏に焼きついて離れぬあの月に、また出逢える日が来るだろうか。

今夜は月が見えないね、運命の10月が終わるね。

11月1日
心配された時、「大丈夫!」と笑って話す心は本当に大丈夫なのに、いざ家に帰って自分と見つめ合った時にようやく大丈夫では無いと気付く事、あとどれくらい人生の中で繰り返すんだろう。やんなっちゃうなあ。

11月2日
2週間の大きな仕事が一区切りついて、走って家路に着いた。電車の時間が迫ってる事以上に、「もうこんなところに居たくない」の気持ちが足を動かす。

せわしく玄関を開けたその勢いでキャリーバッグ、リュック、ショルダーバッグに目についた荷物をこれでもか!と言わんばかりに詰め込む。
人生で最も早いパッキング(所要時間5分弱)を終えて、キャリーバッグの車輪のけたたましい音を立てながら再び玄関を飛び出し向かう先は実家だった。(血相変えて商店街を小走りする姿、周囲の人から見たら怖かったろうな)

いつものバスだと片道2時間と少し。
今回は3連休の人の多さで予約を逃したから電車だけど、乗り換えが2回あるしきっと自由席には座れない。明日を待てばバスの予約も取れるし、ゆとりを持って準備して向かえるけれど、これでいい。今帰らなきゃ嫌だ。

いつも付けてるお祖母ちゃんの形見の指輪を忘れた。着たかった服を置いてきてしまった。友達の出産祝いにと、大切に選んだプレゼントは我が家の本棚の上で佇んだままだ。
道中後ろ髪を引かれるものが沢山あったけれど、これでいい。今じゃなきゃ嫌だから。
私は帰る、私の家に。こんな街はおさらばだ。

11月3日
街中の大きな本屋さんって良い。
おおよそ生きてる内では目視確認出来ない量の書籍の海の中で、宝探しの如くお目当ての本を探す楽しさたるや!ちょっと圧倒される感覚も相まって、気分はさながら冒険家である。
何台も並んだレジに列を成す人の一部になった時、今手元にある本のページを捲る瞬間を想像して気持ちが逸る瞬間が堪らない。

地元の小さな本屋さんにときめく。
壁に沿った本棚と、自分よりも背丈がずっと低い通路代わりの幾つかの本棚だけで構成された世界。手に届く範囲、見渡せる範囲のこの空間で、なんとなく目に付いた本を手に取る。出逢うべくして出逢ったその1冊が私の暮らしに加わる嬉しさったら。

つまり、即ち、本屋が好きです。


11月4日
大切にしなきゃいけないものを間違えたくない。


11月5日
友達がこの世に生まれて半年ほどの娘の未来を「アイドルになったらいいなあ」と夢見心地で語る。
そんな未来の可能性しかないちいちゃい彼女は、友人の膝の上でむにゃむにゃと言葉にならぬ言葉を懸命に話す。

ちっこくてまあるい、柔らかくて誰より可愛いあなたが将来何になってもこの場に居る大人全員が応援するから、どうか夢を臆さず望むままに生きて。

でもよだれまみれのおもちゃを私にぶつけるのはやめて。(といいつつ嬉しいので、存分にぶつけて下さい)

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