見出し画像

キャンバスの中の少女は、sheかitか

 私のアイコンは、所謂「画面の中の少女」である。種族などの諸問題はさておき、昨今の人々はこの画面の中の存在に魅せられ、恋愛感情を持つことさえある。そのような人々は、時に社会から蔑まれることもあるが、果たして架空の存在に恋することは歪んでいるのだろうか。その真理は、アマゾンの奥地では無く、哲学や美術の深層に隠されているだろう。
 実例として、私は十六夜咲夜という少女とツタージャというポケモンが大好きだ。この好き、というのは単純な話では無く、洗練された曲線美、妖艶な腹周りを含め、その全てが美しいとさえ感じる。しかし、前者の代名詞は間違いなくsheなのだが、後者は見解が分かれる。英語の法則に照らせば人外の代名詞はitなのだが、ポケモンのファンはそのほとんどが二人称を使用している。これは非常に興味深く、観測者が「愛」するものは自分と同格に並べるのだ。
 美術に話を戻そう。昔から人々は、idol=偶像を芸術として作り出し、時にはキャンバスに平面的に描くこともあった。しかし、その扱いは宗教によって異なり、神は唯一として偶像崇拝を禁ずるものもあれば、日本では仏像や埴輪など具体的な形を持った偶像が生み出されていた。この背景には、日本独自のアニミズムが絡んでいるであろう。昔から人々は、自然や崇高な存在を身近に置きたいという欲を叶える道具として、偶像を利用してきた。
 何か現代と重なる部分はないだろうか。そう、今我々が部屋に飾っているフィギュアやプラモデル、そして偶像を語源とする「アイドル」も、崇め奉られる存在として令和の世に君臨しているのだ。やはり、これらは我々人間の欲求が具現化した存在であり、その行為自体は人類文化がスタートした頃から存在する、由緒正しい文化なのである。つまり、キャンバスというitの枠に囲われても、その中身は私達と同格の存在であり得るのである。

「お前は一点の瑕もなき偶像として未来永劫語り継がれるだろう!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?