ASIBA2期に参加してきたよ!【建築系インキュベーションプログラム】
建築学生の提案する多種多様な未来は、多くの場合実現しない。それはもちろん案自体が未熟だったり、経済合理性を含めた検討が不充分だったりと、様々な要因があるはずだが、そこには何やら社会的な"壁"があるのではないか。大学院に入ったと思ったら就活が始まり、今までの自身の活動をポートフォリオとしてまとめ、それまでの設計/提案は名刺代わりに過ぎないものになる。一般的な建築学生の就活は、薄給長時間労働のアトリエ系事務所か、福利厚生が充実しつつある大企業かに大別されるが、それ以外に建築学生の進む選択肢はないのだろうか? 今ないのならば、そこにはどんな障壁があって、彼らはどのような点で未熟なのか? 大学で学んだ設計はそれ、実社会は実社会、というような乖離は当然のものなのだろうか? これらの疑問への(将来的な)一つの回答が"建築系インキュベーションプログラムASIBA"である。
今回のnoteは、そんなASIBA第2期の参加者としての3ヶ月間をレポートしま〜す!
まえおき
はじめに自己紹介をすると、僕は福本英人と申します。学部は東京大学の文学部(美学芸術学専修)で、コロナ期に文学部と夜間の建築学校をWスクールし、現在早稲田の大学院で建築を学ぶ修士2年生です。未熟なりにいくつかのコンペに参加する中で、提案や設計の画像をせっせとつくり出すことに時間が奪われること、しかもそれは、実際の建築物のモノの成り立ち(構成)やその手順の多くを省いて、各種ソフトのUIに規定された動作を習得し、それを身体化していく作業が前提にあること、これらの結果は結局就活の一手段に回収されているに過ぎないのではないかという疑問、そんなことを考えていた頃に存在を知り、ASIBAに参加しました。
このnoteは、様々な大学から参加した、様々な興味関心を持ったASIBA2期生の内の一人の視点によるレポートです。僕は良くも悪くも純粋な建築学生ではないため多少偏った部分があると思いますが、ASIBAが/でどのような活動をしているのか、その一端を紹介できればと思います。他の参加者からのレポートも見てみてください! 順次公開されるはずです。
ASIBA2期
ASIBAは、建築系の学生が運営するインキュベーションプログラムで、参加者の建築系学生のプロジェクトを実現に近づけるための様々な仕組みが用意されています。インキュベーションプログラムってなんやねんっていう感じですが、こういうことだそうです。
僕は文学部から転向したこともあり、はじめから実作志向が強かった(詳しくは↓の鼎談を読んでみてください)のですが、ASIBAには多様なプロジェクトがありました。建築設備運用の効率化を図るものや、広告のあり方を問うもの、知的障害者との新しいコミュニケーションツールなど、実態としての"建築"に拘らない案も多かったように思います。
今回の2期では主にレクチャー、メンタリング、合宿、フェス(ファイナルピッチ+個人展示)が行われました。正直、これ(合宿以外)タダでいいんですか?
レクチャーはそんな多様なプロジェクトそれぞれの参考になるような、割と普遍的な心構えや事業の捉え方に関する内容が多かったように思います。具体的には"とにかく関係者に話を聞いてそのプロジェクトが本当に必要とされているのか確かめること"だったり、"事業として成立するために確認すべきこと"だったり、一見すると当たり前だけれども、多くの建築学科では教えられない内容。
そのうえで行われるメンタリングでは各プロジェクトの個性に合わせて、先人であるメンターと共に事業可能性を深掘りします。合宿では、特定の地域にフォーカスして、そこでの広範な産業構造を俯瞰することで、ネットワーク上の一連の事業、地域性への理解を深めます。
そして、紆余曲折して3ヶ月かけて各々深めた「問い」と、それを解決する「社会実装」を披露する場がASIBA FESでした。当日はピッチ(↓)に加えて各自が個人ブースを持ち、各プロジェクトを体感してもらう機会も得ます。
個人的反省
僕個人のプロジェクトとしては、現在の都市空間に明らかに足りていない喫煙所の問題について、その増設は喫煙者のみならず非喫煙者の問題であること、既存の喫煙所は建築的/デザイン的に明らかに改善の余地があることから、新しい喫煙所のあり方を提案しました。
途中で、"イチ喫煙者として出来るだけ他者の視線から逃れたいという欲望"と、"より持続的な視点を持ったときに、喫煙者を隠すのは得策ではないのではないか"という考えが衝突して結構躓きましたが、他の参加者のみんなは「喫煙所を増やそう」なんて言っている変なやつにも優しくて、そういう光景を見ていると、最終的には、「喫煙所」という空間が、喫煙者と非喫煙者、ひいては異なる属性の集団の新しい境界のあり方となりえるのではないか、という方向になりました。
前述したように実作志向が強かったのに加えて、喫煙所という機能を決定したあとは行政的な仕組みの話だったりデザインの話に向かざるをえず、事業的な検討や試行錯誤があまりできなかった(おそらく余地はあるはずなのに)のが個人的な反省です。
正直、割と気軽に参加したプログラムだったのに、気づけば前段で滔々と述べたような、自分の今後の将来の選択肢として挙がるほどの存在となりました(本当に気づいたらいつの間にか)。ペースメーカーの存在はとっても大きくて、伴奏してくれたASIBA運営や2期生には本当に感謝しています。
祭りのあとに
ASIBAはあくまでインキュベーションプログラムであり、しかも3ヶ月という短時間のもので、学業なり他のプロジェクトなりプライベートなりを並行して行うのは、僕含めみんな結構大変だったと思います。大変だった、達成感があったのはよかったけれども、これはあくまで「孵化の過程」であり、ASIBAも各プロジェクトも途上に過ぎない、むしろ、ここからに向けた始まりに過ぎません。
「かつての同級生たちは外資系なりITなりで年収xxの中、薄給で長時間労働の修行期間を終えてやっと独立したと思ったら友人のバーカウンター80万円…こんなのおかしくないですか?」というのは、とある回のレクチャーで出た言葉で、僕はこれにめちゃくちゃ同意します。僕の場合は特に、いわゆる"就活"をして、大きな資本の流れに疑問を持ちながらそこの一端を担うのも、絶対に性に合わない。
「こんな考え、学生のワガママに過ぎないんだろうか、産業構造への解像度が低いんだろうか、結局勉強が足りないからどこかで修行するしかないのだろうか、そもそも、なんで建築なんて選んだんだろう……」こんなことを思う人が一人でも少なくなる未来、このASIBAの流れが持続して、より太く大きい流れになった未来、選択肢が増えた世界は絶対に豊かだ、というのは参加者という立場を抜きにして今思います。しかもこれは、建築教育という文脈のみならず、新しい「建築家像」の開発でもあります。もし現在の経済状況が、かつてのようにクライアントワークで良質なものを建てること許しをしないのなら、生成系AIなどによって、絵や図によるつまり視覚的なビジョンの共有がアクチュアリティを失いはじめ、ボタン一つで多種多様なイラストが生成される世界がすぐそこに来ているのなら、実際に社会にインパクトを与えるのは、ビジョンの提示にとどまらないでそれを実現/運用していくことにあるのではないでしょうか。
それにはASIBAの運営や協賛企業のみならず、出身者や未来の参加者の活躍にもかかっているはずで、だからこそ僕は、自分のプロジェクトを進めることで、この新しい流れを盛り上げたい。建築業界にオルタナティブを!