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君たちはどう逝くのか

「高齢者の集団自決っていうのが重要だと思っていて…」
うちの祖父母はYoutubeを見ていた。
「私たちは迷惑をかけないようにあの世に行くからね、今年施行された制度を使って」
最近特に、息子の私にいつもこう話す。
「おじいちゃんとおばあちゃんの人生だし、誰にも邪魔させねえ!っていうぐらいがちょうどいいと思うよ?あんまり思い詰めないで」
「いや、あなたに迷惑かけないように、ひっそり生き引き取るけんね…」
私は常々思う。
本当に逝って欲しい人ほど、「俺(私)の目の黒いうちは…」などと言い、純粋なお年寄りほど、どんどんこの制度を利用している。
囲碁をやっていると、高齢者の集まりに参加することも多い。
中でも、OBに呼ばれて行った「吉田会」は酷かった。
何回か行って負け続けているうちは喜ばれ、夕飯を奢ってはくれた。
だけど、自分の囲碁の内容に関して、私にとって見ず知らずのアマチュアからたくさんダメ出しをされ、色々な意味でお腹いっぱいだった。
ところが、私が本当の実力を発揮し出すと、そこのドンである多田の虫の居所が悪いようだ。そもそも吉田不在で多田が仕切る吉田会っていう意味がわからない。
それはさておき、私は三度目の正直で、その会のドンを含む実力者二人をなぎ倒した。
すると多田は私に飲みの席で変な質問ばかりする。
「囲碁はどうやってはじめたんだ?」
「つかぬこと聞くようだけど、あんたが持ってる病気ってなんだ?」
その時点で気分が悪い。
その脇では、
「囲碁でも、メクラ蛇に怖じずみたいな人いますよね!」
という会話がある始末。
いつもなら最後に私に握手を要求してご機嫌だった多田が今日ばかりはムッとして、
「私はもっとあなたの碁の歴史を知っておきたかった、文句を言うとすればね。一応あなたはお願いしてる立場な訳だからさ。参加させていただいてるわけじゃない?」
私だってOBに呼ばれて来てるだけ。そんなこと言われる義理はない。
そして事件は起きた。
私とノーハンデで打とうと言ってきた、森という爺さんがいた。
メクラ蛇に…発言をした輩だったが、本人に手合違いの自覚なし。
コテンパンにやっつけて検討を終えた私は、
「仕事終わりに飲み会行きますので、よろしくお願いします!」
と頭を下げた。
ところが会場には誰もおらず、OBの先輩が一人寂しくポツンと座っていた。
「どうしたんですか!?」
「みんな早くから飲みはじめたから帰っちゃった…」
私は言葉を失った。
そんなに私に負けた腹いせがしたかったか!と、唇を噛み締めた。
その日以降、OBからの誘いに吉田会への不参加を表明して、改めて自由死について考えさせられた。
そして今に至る。
「じいちゃんばあちゃんみたいな人ほど生きてなきゃダメなのに…」
その翌年が祖父母の命日になった。
やはりYouTubeを見て、そして世間の目を気にして、旅立ってしまった。
祖父は証券会社の社長だったので、訃報が大々的に報じられた。
「速報です。戸部浩三元代表取締役が、妻の寿子氏と共に、自由死しました」
私は何度も止めに入ったつもりだった。
でもその都度、
「確実に私たちの最期に立ち会えるあなたは幸せなのよ」
と言われ、それ以上何も言えなかった。
そのとき、OBから一本のLINEが入った。
「社長ご子息だということで、知らなかったので、多田さんがどうしても謝罪したいとおっしゃっているんですが…」
「お断りします。多田氏含めた陰湿な人間たちが、私の祖父母と変わって欲しかった。会いたくないので、謝罪の意思があるならば、お金を払ってくださいとお伝えください」
そう送って、私は涙を流した。
「じいちゃんばあちゃん、俺に囲碁習うのが老後の楽しみって言ってたじゃない。それがちょっと身体にガタが来たからって、生きることを諦めるなんて…、ズルい…」
自由死制度をつくった大臣は、誰かから「生きててくれてありがとう」と言われる経験に乏しかったんじゃないだろうか。
そういうあなたは晩年どう過ごすのか?楽しみですね。
吉田会の爺さんたちの逝き方、みものですね。
私は奴らがくたばる様を見るという復讐心から、絶対に死んでたまるかと思った。
私はひねているのでしょうか?

※この物語は架空のものです

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