モンゴルとアメリカ

 モンゴルは中国を征服したが、その権力を奪ったにすぎず、その文化を奪うことはなかった。一方アメリカは日本を侵略して、その権力は返したが、その文化は破壊した。中国の民族主義の強さは、実は彼らの好運にあるのではないのか。つまり、中国は文化破壊の侵略を受けたことがなかったのではないのか。それどころか、中国はあらゆる異民族の征服者を、中国の文化圏に服属せしめたのではないのか。日本はどうだろうか?アメリカの侵略までに、その主権と文化を奪われることはなかった。しかし、アメリカは見事に日本人の精神から文化を剔抉することに成功した。そして、残存した主権は、新しい文化と結合するにいたった。日本国憲法という文化と。それはどのような文化であろうか?答えは簡単である。それは在来の日本文化を破壊するという文化である。これは国家にとってそして民族にとって、致命的な運命ではないだろうか?なぜならば、主権の国家的な意義は、その方向性にあるからであり、その強さや範囲にあるのではない。すなわち、主権の先にある目的(理念)こそが、主権を生ぜしめる力となるのである。その目的を失った主権とは、国家にとって一体何を意味するのであろうか?

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