保守主義のワナ

 現代日本の民族・保守主義は天皇に忠実であればあるほど、日本人の衰滅に力を貸すことになるだろう。なぜならば、その忠実さは、日本国憲法への忠実さに、最後には還元されることになるからである。というのも、一九四五以降の天皇は、日本国憲法によって、その存在を護持されているからである。

 民族・保守主義者は、自らの思想のこの原理的矛盾を看過してきたのではなかったか?しかし、それは戦後における時局的な問題ではない。つまり、それは天皇思想が孕む問題でもある。

伝統的な天皇思想においては、天皇の意志は主張されており、その意志が最終的に、日本国の意志となる。その意志が、日本国憲法の如き、日本人への何らかの勢力による抹殺手段を、黙殺・放置したり容認したりすることは、ありうることである。つまり、天皇(日本国)が自殺を意志した場合、民草はその意志にしたがわなければならないのである。これは、天皇思想が孕む矛盾である。

しかし、だからこそ、天皇の意志の確認が必要になるのである。現代日本の民族・保守主義者は、天皇の政治意志について、日本国憲法に同調するような形で、それは真なる天皇文化に反するものであると否定してきた。しかし、日本国憲法は、天皇と民草を最後には死に至らしめる装置であることが疑い得ない以上、天皇に意思表示を要求しないことは、正にどのような左翼的反天皇革命よりも、悪しき革命である。このことを、民族・保守主義者は、重重に理解しておかなければならないだろう

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