国家世界
国家世界を構成する、一つの権威とそれを取り巻く民という構図において、我々は二つの形態の発生の可能性を予測する。一つは、一つの権威の力が中心となり、そこから発せられる効果が無際限になることによって、民の存在が拡大しているという形態である。本来ならば、その権威を生ぜしめた民族によって統制されるはずの権威が、民族という範疇を溶解し、あらゆる民族を民に組み込んでいくという世界がそれである。この世界に於いては、一つの権威は一つの民族とのみ関係を結ぶわけではなく、その力が国家世界の基柱であることにより必然的に、あらゆる民族をその占有下におこうとする作用が生ずることになるのである。政治学的には、これは国家主義の様相を呈することになる。すなわち、一つの権威を政治権力が発揚することによって、国家領域の物心的領域の拡大が惹起されるのである。国家主義の本質は拡大主義であり、なぜならば、国家主義は国家世界がもっている一つの権威を、全国家・民族の普遍性へと昇華せしめようとする志向性だからである。
この国家主義とは別の、国家世界の形態が存在する。それは、一つの権威の国家世界における絶対性(優位性)を統制する国家世界の姿である。すなわち、その権威の下における、国家的領域の拡大を採用しない方向性を維持する国家形態である。この不拡大を齎すものは、権威ではなく権力である。しかし、これは権威と権力の政治的対立を意味しない。そうではなく、権力が権威を利用し拡大するという衝動を自制できているということの意味なのである。では、この時権力は何をもって、国家領域の拡大の制御を図るのだろうか?それは、民族の純粋性という社会的性質によってである。つまり、一つの民族と一つの国家という方程式を、権力が忠実に守ることによってである。その方程式が導出する解は、限界を設定された国家ないし国家領域である。ここにおいて、一つの権威は、権力そして民(族)と、三位一体をなしており、その権威はその独立性を保持している。この国家世界において、権威が国家の力を主体的に牽引するようなことはない。権力と民(族)は、その権威の優先性によって、国家世界の限界が引き上げられ、その領域とこれまでの安寧が攪乱されることを拒絶するからである。
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