政治秘法

 いわゆる政治的技術論という意味においては、マキアベリも中江藤樹もその本質を異にしていない。ただ前者においては政治制度を表現する言語が恵まれていただけであって、藤樹の政治学は十分にそれと比肩しえる実際性を有している。両者は人間性という問題を政治性に転化しようとするのであって、徳性の相違は単なる文化の違いに基づいているものである。しかし、こういう論駁があるかもしれない。マキアベリの政治学には、明らかに「徳」が欠如している。彼が抽出した政治的論理は、政治学としての純粋個性であって、藤樹的な社会倫理から切り離されている。これは明らかな謬見である。藤樹の「徳」観念は、むしろ実用的で実際的な精察に淵源しているのであって、ある種の教化を企図したものではない。つまり、彼は日本社会の特質というものに対する密度の高い分析を基盤にして「徳」観念が政治的効用を有していることを看破しているのである。それは疑いなく一つの社会の個性をはぎ取ろうとする洞察力に起因するものであるが、しかし、この洞察力の有限な対象こそが、洞察力を「原理」にまで高めることを忘れてはならない。たとえば藤樹における中庸概念は、日本社会の特質との関係性の上で語られなければならず、そしてその中庸は、日本人の中庸的性質から抽出されなければならない。彼は唐土について饒舌であるが、それは唐土を聖教の地として見做しているだけであって、彼が範型としているのは、日本的風土なのである。それゆえ彼は中庸概念を唐土との関係性ではなく、自国の風土から導出するのである。ここに日本的儒者の実用主義の姿勢が垣間見え、かてて加えて、それが儒教を仏教のごとき教化的世界へと堕せしめなかった理由がある。日本においても仏教の世界は常に風土とは切り離されて醸成されてきたのであるが、それでも仏教が日本において存続してきた理由はほかならぬ、新たな(自称)釈尊が次々と現出したからである。法然、親鸞、道元、日蓮・・・これらの坊主はすべて釈尊の亜流であるにも関わらず、新たな教説でもって自らが釈尊となり、日本人の精神世界に侵入しようとしたのであった。しかしそれは日本人の既存の社会秩序とは真っ向から対立する彼らの幻想世界つまり異国の理想郷を日本の風土に強制しようというものであった。それゆえに仏教は一つの政治的な格率を手に入れることができなかったのである。

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