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私に生きる勇気をくれた人の話


私が幼い娘二人を抱えて
倒産寸前の夫の会社を守ろうと極貧生活をしていた時、
母の友人のSさんと話をする機会があった。

Sさんは保険の外交員で私はSさんから保険に入っていたが、
保険料を払えなくなって解約の手続きに来てくれた時だった。

『私もね、
他人に言えないような苦しい体験を沢山してきたけど、『なにくそ、負けるもんか!』と歯を食いしばって頑張ってきたのよ。
あんたはまだ若いんだから、絶対幸せになれる。だから絶対に諦めたらダメだよ。』と私を励ましてくれた。

保険を解約して何の得にもならない私をそれからも何回も訪ねてくれて、その度に励ましてくれたSさん。

Sさんは当時66〜68才位だったと思う。

Sさんの壮絶な過去の話を母から聞いた時、私よりも辛い目に遭ってもそれを乗り越えて、こうして元気に生きている人もいるんだと本当に勇気をもらった。

Sさんはごく普通の会社員と結婚。

夫との間に生まれた娘と幸せに暮らしていたが突然事故で夫に先立たれ、夫の弟と再婚した。

昔はこんな事は当たり前の時代だった。

再婚した夫との間にも息子が生まれて幸せになるはずだった。

ところが長女が中学生になった頃、夫が娘に手を出していた事に気づきSさんは半狂乱になり、
夫を殺して自分も死のうと思った。

だが、娘と息子の事を考えると夫を殺す事も自分が死ぬ事もできなかった。

娘を夫から遠くに引き離し、
それから離婚するまでは色々と揉めて大変だったが、やっと夫と別れて娘と息子と3人で暮らし始めた時に息子に異変が起きた。

息子の目つき、行動がおかしくなり、Sさんに暴力を振るうようになった。

何度も息子に殺されそうになり、
息子は精神病院に入院した。
精神分裂症だった。

Sさんは離婚した時に夫から1円も貰わずに離婚していたので、
息子の入院費もSさん一人で何とかしなければいけなくなり、生活はかなり厳しくなった。

ただ、唯一の救いは娘が良い伴侶と出会い結婚できた事だった。

娘は過去を捨て故郷を離れ幸せに暮らしている。

それだけでSさんは幸せだった。
娘の幸せがSさんの心の支えだった。

だから、どんなに辛い事があっても、Sさんは負けなかった。

車の免許がないSさんは50ccのバイクで何処でも行く人だった。

片道1時間以上かかる息子の病院にも50ccのバイクでしょっちゅう面会に行っていた。

真冬でも真夏でもSさんは朝から晩までバイクに乗って保険の仕事で動き回り働いた。

働いたお金のほとんどは息子の入院費に消えていくが、
愚痴も弱音も吐かない人だった。

そんなSさんが、
『幼い子供を抱えて頑張ってる
あんたを見てると放っておけないんだよ。
今どき、子供の為に命懸けで生きている人間なんて滅多ににいないけど、あんたは必死で生きてるから。少しでも力になりたくてね〜』と言ってくれた。

自分も60代後半で体力的にも経済的にも大変な生活の中で、
私の娘達にお菓子や果物や文房具等を買って持って来てくれた。

どんな大金をもらうよりも私は嬉しかった。

お金のある人から心のない贈り物をもらうより、
Sさんのような心根のあったかい人からの贈り物は何よりも価値がある宝物のように感じた。

私が、
それから会社が倒産しても、
夫が蒸発しても、
子供を抱えてホームレスになっても
何があっても、
負けなかったのはこのSさんの影響が大きい。

いつも 苦しい時、悲しい時はSさんの事を思い出して、!

『なにくそ、負けるもんか!』と
心に言い聞かせている。

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