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後押しについて思うこと

こんにちは。
森の白くまです。



神社参拝をした事がなかった私が、開運したいという下心から神社に行こうと思い立ったのが6年前。

そんな私は、このあとすぐ、下衆い理由だったなと反省する事になるのですが、長くなるので別の機会に書こうかなと思います。

今日は私が体験した、とある神社のエネルギー体から教えてもらった「後押し」について書こうと思います。

最後まで書けるかな、、、(一応、書いてもいい雰囲気)

パワースポットに行くと開運するとか、ご利益あるとかって見聞きするし、実際そういう話しは存在するんだと思います。

以前、自分というエネルギー体を、遠く大きく動かし神様に会いに行くと喜ばれると教えてもらった事がありました。
お願い事をする際も、自分の事よりも他者の事を祈るのが良いとも聞きました。

何かをお願いするにしてもお願いの仕方があって、それらが相まって、ご利益とか開運に繋がっていくのではと今の私は考えています。

「動く」「行動する」「感謝する」
これが大事な要素なんだと思っています。
(そんなの知ってるよって思っていたらごめんなさい)


昨年、私は、神社におられるエネルギー体から金運についてのメッセージをいただきました。
それが以下の言葉です。


金運は
金運とは
この世を栄えるために必要な運のこと



この世の理の中に金はある
自然と調和しながら
己の欲に溺れず
神の加護のもと精進されよ
さすれば
そなたらに風も吹こう


この時点での私は、メッセージの意味がサッパリ分からず
刻って何?
波って?
風って?

と、せっかく受け取ったのに理解できていませんでした。
そもそも、このメッセージすら本物なのか分からない。騙されているのでは、、、という猜疑心もありましたが、翌日訪れた場所で答え合わせになるお話しを聞き、

「刻」というのは、自分にとっての良い日
「波」は自分にとっての良い日に選択して行動した事でついてくる運
「風」は良い日に選択行動した事で追い風が吹く状況


という事なんだと解釈したのです。

でも、これだけでは世に一般的に知られているやり方で、当たり前の話しじゃないか!って思われます。

いただいたメッセージの後半を読み解くと

おそらく、このやり方だけでは一時的に運が良くなって波に乗れても、その運を使いこさせなくなる日が早々にやってくると思います。
では、どうすればいいのか。


自分という土台づくりが大事なんだと思います。
自分とは何か。
何が好きで何が嫌いか。
得意なことと苦手なことは何か。
それはなぜか。なぜ、そう思うことになったのか。
自分がそう思っている事は本当なのか。
自分を紐解いていく。自分を知る。
そうすると自分だけの金脈が見えてくるのです。
そこに尽力していく事で本当の後押しが入るのだと、考察しました。

※ちなみに、好きな事や得意なことだけが金脈とは限らないように思います。

どんなにパワースポットと呼ばれる場所に行ったとしても、他者に依存していたり、与えてもらうことばかりのスタンスではエネルギーは持続しないと思います。(その辺の念を引き寄せちゃうかもよ〜)

神社仏閣のエネルギーも自然のエネルギーも無限ではないのだから。もらうことばかりではどうかなと感じます。

自分というエネルギーを外側からではなく、栄養や睡眠、思考や感情の整理といった内側から満たせていらる事が大切なのではないかと、これを書いていて感じました。











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