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退職を決断し考えたこと #10


もう働きたくない


辞める決断をしてから、辞める意思表示をしてから仕事のこと、FIREの事を色々考えた。
「今している仕事は数カ月後にはしていない」
「この業務はこれが最後になる」
「この仕事は誰に振ろうか」
「この報告もこのめんどくさい処理ももうしなくて良くなる」
 
そういう視点で仕事を見るようになった。
管理業務に関しては特に後悔も未練もない。
どちらかと言うと、こんなめんどくさい仕事はもうしたくない。
人の管理も業務の管理もしたくない。
 
毎朝デスクについて一番最初にするのは胃薬を飲むこと。
胃を痛め、眉間にシワを寄せ、神経をすり減らし一日を過ごす。
早く肩の荷を降ろしたい。

働かないことへの葛藤


FIREが確定してからは仕事のモチベーションはどうやっても高まらない。
仕事に未練はないが逃げ出すようでやましさや罪悪感はある。
世の中では、嫌なことも我慢してやることに意味があり美徳とされる。
”我慢して乗り越えることが人としての成長につながる。”
”そんな甘い考えじゃ生きていけない。”
”まだ若く健康ならば働くことは当たり前。”
みたいな風潮は強い。
 
第三者からみたらFIREは苦しいことから逃げてラクを選ぶ選択。
嫌なことやめんどくさいことから逃げるなんて行為は非難の対象だ。
世の中の常識に照らし合わせると、今の私の行為は堕落へ向かう行為だ。 

価値観の転換

そもそも私の素地は、怠け者だ。
社会に出てから如何に楽をして生きていくか、そればかり考えていた。
仕事や人間関係に行詰まると転職。
自分のイメージと違うと転職。
一生懸命や努力より、いかに効率よく省エネでギリギリで切り抜ける方法ばかり模索して、そういう処世術を身に着けて生き抜いてきた。
そうやって生きてきて、転職を繰り返し30歳過ぎて若干の改心をして、今の職種でキャリアを積み重ねてきた。
 
こう振り返ってみると、今FIREを選択しようとしている事に一貫性や整合性が取れるのだが、今回のFIREの選択は過去の”嫌なことがあったら転職”というところと何が違うのだろうか。という思考に行き着く。
 
安易に転職していた過去は黒歴史として残り劣等感の一つとして清算できていない。
若い頃もっと真面目に働いていれば違った人生だったかも。という後悔も強い。
 
めんどくさく、ストレスフルなことを我慢せずに生きていける選択肢があるのならばそれを選択するのは自然なこと。
誰にも迷惑はかけていないし将来の経済的な心配もない。
仕事自体は目的ではなく、幸せに生きていくための手段の一つ。
と理屈は理解できるのだけど、”働かないことはダメなこと”という価値観はなかなか揺るがない。
 
自由な人生を送りたいと思う一方、ラクするのはズルいのではないか。という葛藤。
仕事より自分の幸せ。 一度きりの人生。自分の人生。
そういう価値観に転換しないとFIRE後の幸せな生活は送れないかもしれない。


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