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言葉の表面的なところにとらわれてはいけない 〜指月のたとえ〜

お釈迦様は入滅される際、弟子たちに、教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならないと仰いました。
教えの内容を依りどころとし、言葉に依らないのは、言葉は教えの内容を表しているのであって、言葉がそのまま教えの内容ではないからです。それをわからずに、言葉だけに依って、教えの内容に依らないのは、人が月を指さして教えようとするときに、指ばかりを見て月を見ないようなものなのです。教えの内容に依らず、言葉に依るとはこれと同じことです。言葉(指) そのものが教えの内容(月)ではないのですから、言葉に依ってはならないのです。

【解説】
「指月のたとえ」は、お釈迦様が何を依りどころとし、何を依りどころとしてはいけないかを四種類に分けて説かれた中の一つ、「教えの内容を依りどころとして、言葉に依らない(依義不依語)」ことを示す中で用いられているたとえです。言葉尻を捉える、揚げ足を取る、口は災いの元などとも言うように、日常生活の中では、ちょっとした「言葉」の使い方や、「言葉」の受け取り方次第で、すれ違いが生じてしまうことは珍しくありません。 また、「思い」を言葉にできずもどかしさを感じたり、その逆に、たった一言の中に計り知れない「思い」を感じることができた、といった経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。「言葉」にできない、少しの「言葉」でもいい。普段何気なく使っている「言葉」ですが、実は難しく、不思議なものです。そのため仏教でも「言葉」は重要な問題とされてきました。そうした中、この「指月のたとえ」は、「言葉」だけを頼るのではなく、「言葉」(指)が指し示している内容(月)をこそ知らなけ
ればならないのだと教えているのです。

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