考えていること
殺生は戒められています。例外として認められる場合というものが説かれているという覚えはないです。いかなる場合も守るように戒めている戒律のひとつが殺生戒なのだと認識しています。
致死性の病原菌を媒介する、蚊などの虫があるとして、殺生戒で考えても、その虫を殺すことは悪行為となると認識しています。
でも、その虫に刺されたら自分は死んでしまう。
その虫を殺すことは悪。
では、その虫を殺して自分が生き長らえることは善か悪か?
虫を殺したことは悪。
自分が生き長らえること自体には善も悪もないのではないかと思っています。
善も悪もないことのために悪を為すというのは、やっぱり善にはならないように思えます。
では、その虫に刺されて自分が死ぬことは善か悪か?これにも、善も悪もないように思えます。
生きたいという欲望は存在する。
自分がかわいいと認識するこころの働きは存在する。
それ自体に善も悪もないと思っています。
その生きたい欲望、自分がかわいいという認識のもとに為す行為には、善や悪が成り立つと思います。
自分が生きたいから他の生命を害したら、その行為は悪となってしまう。
自分がかわいくて、他の生命を害したら、その行為は悪になってしまう。
なので、自分の命を守りたいと思うことを、悪行為をすることの言い訳にすることはできないと認識しています。自分がかわいいからつい悪を為してしまう。だから、とりあえずのところ、自分が生きたいという欲望と、自分がかわいいという認識は不善だと思うぐらいに戒めた方がよいのかな…と思うのですが、それもありのままの認識とは言えないようにも思えます。
ありのままには、自分には「生きたい欲望がある」「自分のことがかわいいと特別に認識するこころの働きがある」というだけのことなのだろうと思っています。そして、それを発生起源として、悪行為が成立していくことがある。それだけ。
結局は、なにも言い訳にせず、身口意に気をつけるというだけのことなのかな、と、いまのところそのように結論しました。
こうして色々と考えて、その考えに喜悦することがあるのですが、それに留まらずに瞑想をすることが必要だと思っています。
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