身口意に気を付ける
身口意で悪を為さないようにしよう、と戒めるつもりで生活するようにしています。ここ数日、改めてそれが困難であると感じています。
口、は、まだなんとかしやすいと思っています。なんなら黙っていれば悪を為しようがないと思います。
身は難しいと感じます。気付きが追いついていれば、「これから為そうとしていることは善いことか悪いことか」と考えてから行動できますが、後から「なんであんなことをしてしまったんだろう」という、まったく気付きが追いついていないなかで行為をしてしまうような場合には、それが善になるか悪になるか判断できないままなので、とても怖いことだと思います。そういう意味では、口も、人との会話のなかでは本当に要注意だと思います。
意、は、本当に恐ろしいものだと思っています。身も口も、こころが先導すると理解していますが、そのこころ、意が、かなり悪行を為してしまっていることに、ここ数日とくに気付きます。
そのことに気付くだけでも瞑想の効果じゃないかと思ってしまうことが、戒める間もなく慢になってしまうことがあります。
身も口も、悪意が生じてもガマンしてやらない、ということができますが、意はもう、ガマンというフィルターをかませることができないと感じていて、とても難しいです。
そして、そのことに暗い感情をもって落ち込んだら、それも意で悪を為すことになってしまうと思っています。なので、明るく反省しなければ…と思っていましたが、「明るく」というのも偏った概念のような気がして、ただ「悪と判断するべき意が生じた」と観察することなのかな…と思ったりしています。いまのところの結論としては、あれこれ思考判断せず、ひたすら実況中継、瞑想することだな、と思っています。
ひとつ前の記事で、善くないことを書いたとあとで気が付きました。亡くなった方がどのようなこころであったかは私には知りようがないことでした。術技について教えてくださった方について書いてよいことではないと思いました。加筆修正しようかとも思ったのですが、いちど為したことは無かったことにはできないので、そのまま残して今後の戒めにしたいと思います。
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