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湯豆腐の先に見えるacountability

きのう書いたとおり、自分の仕事は、事業担当が作成した条例とかの案にいちゃもんつけるというもので、当該いちゃもんによって世の中の役に立つわけなのでいちゃもんつけることが自分の職責ということになる。とは言えそこはいちゃもんなわけであるから、それを歓迎する人ばかりではない…というか面と向かって言われはしないけど、裏でdisられているであろうことについては一定の確信がある。この現象について、自分としては、2つ留意すべきことがあると思う。
1つは、目の前の相手に(裏で)disられる…一切感謝されないとしても、その更にずっと向こうにいる(はずの)当該いちゃもんによって便益を受ける人を意識して、いちゃもんを続けないといけない、ということ。とはいえこれは重要だけど同時になかなか難しいことでもあり、やっぱりなんだかんだ、人の役に立てているという実感が仕事のモチベーションにつながるという側面が、少なくとも俺においては濃厚であるところ、この手の、目の前の相手には感謝されなくとも、抽象的な住民の役に立つために頑張る、という営みにおいては、当該実感を感じづらい…というかほぼ感じられないんですよね。殊にいま俺がやってる法規審査事務でいうと、抽象的な住民の方々に対してすら実際役に立っているかわからないという…要はどちらかというとマイナスをゼロにするというか、「この規定ぶりだと運用上トラブルを招くので、それを予防するためにいちゃもんをつける」という仕事なので、俺らにとっての100点は社会にとってのプラマイゼロだったりするという。だからモチベーション高めようと思ったら、自分で自分を認めてあげるとかそういうことをしないといけない…要はモチベーションは極めて上がりづらいんだけど、でも俺らがいないと0.0000…1%くらいの確率で制度運用上トラブルが発生するのだから、それを回避するために頑張らないといけないという。
というのが現状を追認する中での留意点だとすれば留意点②はもうちょっと理想的な話で、目の前の人にはdisられるとしても、遠くの抽象的何者かのために頑張らないと、というように目の前の人に煙たがられることを前提にして留意点①は導き出されたわけだけど、本当にそれは前提なんだろうかと。むしろ目の前の事業担当と仕事における価値観や方向性をすり合わせることができていない…すり合わせることを怠っているからそうなっているだけであって、本当はその方向性のすり合わせ作業をサボらずに着実に実施し、そうすると途端に、いちゃもんが目標達成のための金言になるんではないかと。まぁそう思うと、自分の仕事の趣旨をステイクホルダー…遠くの抽象的な何者かとしての納税者の皆さまにもご理解いただけるようにしていく。そうすることが先方からの我々の業務への理解に繋がり、理解が感謝に繋がり、感謝がモチベーションに繋がり、モチベーションが成果に繋がり、成果が信頼に繋がり、信頼がモチベーションに繋がり…という超ポジティブスパイラルが実現するんではないかと。
この意味で説明責任、アカウンタビリティというものを捉えると、それがとても前向きな概念に思えてくる。少なくともそれを殊更に忌避したりすることの不適切さが見えてくるように思うね。

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