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保守概論!百田尚樹の懐刀!北村晴男

どうも百田尚樹の尖兵どす。

さて保守の理解のため偉大なるヘンズリ帝、百田尚樹総帥が誇る殲滅兵器、北村弁護士について語ろう。

彼はケツモチ山口でお馴染み島田紳助の行列のできる法律相談所に出演し、媚をうってテレビで名を馳せた伝説の弁護士だ。

そんな彼のヘンズリビクトリー歴を振り返り彼の保守思想の根幹を探ろう。

彼はかつて大スポンサーであるマクオナルドが新商品クオーターカウーパーを販売したさい、サクラをつかって流行を偽装したことが発揮し報じられた。
当時はまだ戦慄の鬼畜殺人ピエロ、オナルドが健在だったころである。

もちろんマスゴミは知的障害でモラルのないゴミなので、大スポンサーをフル弁護!
たとえばやらせ街頭インタビューでは、経営努力の一環!ビジネスの鏡!という論旨のチンパン感想をレポート。
いうまでもないが消費者の側が企業が消費者を騙して儲ける手法を正当化するメリットはない。というかデメリットしかなく擁護は非合理的。完全に狂った報道でテレビ局は国民をなめきっている。

もちろんカエルの楽園において百田総帥が克明に描写するように日本人は自分の頭で考えず権威者デイブレークのいうことに従い鵜呑みにするバカなので、こうしたマスゴミとスポンサーの癒着にも気づかず、大企業という権威におもねり絶賛する傾向があった。

そんなおり、ゴキブリ系の島田紳助の行列のできる法律総便所では北村晴男が興奮して目を血走らせながら、サクラは法的問題はなく!誠に見事な経営努力の結晶であります!このような地道にしてひたむき、美しくすらある大和魂(企業努力)になしつける愚行!万死に値する!とでも言わんばかりの勢いでサクラによって人を騙す迷惑行為を礼賛し、歌い上げた。

カメラを前にしたリーサルウェポン北村の熱唱である。これが番組プロデューサーやスポンサーにむけてのケツナメライブパフォーマンスであるのはいうまでもない。

バカな視聴者そっちのけで、権威に媚びタレント活動でもってイージーマネー。このハイエナプレーが奏功し、メディア露出を確保したことが今日の北村ブランドの礎だ。

かくして数字にコミットしそのつど金の匂いに股関をはぜる日本男の品行方正が百田総帥の食指をゆさぶった。

さらにここ最近になって、北村の股関は、空前のネット保守ブームにふる勃起!そこに金蔓の匂いを嗅ぎ付け、愛国保守ムーブの波に乗りネット市場にダイナミックエントリー!

あえなくネットを狩場とする百田尚樹総帥のお眼鏡にかない、百田グループの懐刀として白羽の矢が北村アナルにささる!

かくして現在の百田&北村のガチホモ関係に。

保守思想は金になる。愛国を騙ればゴミのような内容がバカどもにバカバカ売れる。

したがって保守思想は拝金主義と不可分に経済活動により国内を埋め尽くす。

たとえば上念などは保守を標榜しながら、こゆいお金の儲け方、という類いのまるで中身のない資源ゴミを射精。ケント・ギルバートも愛国ポルノで資産30億を達成し、そのマネー術を出版している。まさに金金金。
もはや保守とは低知能の自己愛猿がもっと低知能のチンパンをヨウブンにするショービジネスに過ぎない。

とりわけ現在ではネット後発組のロートル世代の保守化が香ばしい。これはここ数年で高齢者のYouTube視聴率が勃起したため。

また老人を相手に日本保守党を応援するジェスチャーをしてみせるハイエナ系若手YouTuberも散見される。
ようするに日本保守党支持者を含むネット保守層全般が詐欺師連中から認知機能の弱いバカなロートル鴨としてロックオンされているわけだ。

若者がYouTubeに反権威への幻想を投影していた2007年前後では反権威としてのネット保守が大学生に支持されたが今日では、当時の若者はネット保守の愛国ポルノ無限反復にマンネリ化を感じて離脱。
いまでは保守はロートルコンテンツと化しYouTubeもテレビ同様にシルバー層をターゲッティングしつつある。

もとより保守とは伝統などの今までの規範を尊重し、新しいものを退ける傾向がある。当たり前だがこのような保守的態度は元来老人のもの。

老人にとって人生とはこれからではなく、これまでに依存して構成されるわけだから、これまでを支える伝統を重んじるのは老年の性。

もとより老人に親和する保守思想が、ロートルのYouTube進出にともなってパンデミックを起こすのは道理だろう。

ところで、あらゆる定型的規範(伝統規範含む)の解体を桃源郷とするポリコレ式多様性社会の理念は人間主体を溶かしつくし、民主主義を不可逆的に壊滅しようとしている。ネットインフルと信者の主体の癒合も、この意味での主体の融解に他ならない。

このような規範の解体に抗するという点で現代の保守思想はその普遍的正当性をもつ。
保守論を正当化するにたる唯一のロジックはこの点につきる。
このようなことさえ、まるで知らされぬ哀れなほど無知な搾取されるだけのネット保守。もはやネット保守は、保守系インフルにとってスペルマネーをドピュッと射精するチンコとしか見なされていないのだ。

さて、経済活動に蚕食されたネット保守は、じつのところ規範の解体に与し逆説的にポリコレ式の多様性を実現することが原理的に確定している。

この構造論的な保守思想=パヨク&ネオリベのメカニズムについて百田尚樹総帥は熟知している。
なぜなら偉大なる総帥にして君臨せしビッグマラ百田尚樹は全知全能のマラリンピックの金オナニストだからだ。

ネット保守の本分たる愛国ポルノとは何を隠そうあらゆる規範の消失を目掛けた語らいに過ぎない。かようなポルノ化した保守論はLGBTなどの性的規範の解体を不可避に要請する。
したがって百田尚樹がLGBTを攻撃するのは自作自演のショービジネスに過ぎない。

このメカニズムについて解説すると小学生の読者には難解過ぎてもう中学生レベルになるので、ここではその解説はしない。

ただ少しだけ感じを示すと、主観と客観の分離過程における幻想が要請する外傷性の世界が多様性=規範解体=愛国ポルノだということである。

これは意味の欠如において可疑的な客観=ノエマを構成し、この構成が客体(ノエマ)の溯行的な時間の事後性を実現しつつ、過去から未来へと向かう一方通行の歴史観(時間観念)を構成するにいたる。

このような自然科学的歴史観、時間意識の構成を巡る人間の心的外傷と言語との関わりとして愛国ポルノも多様性も理論化可能である。このことを理論的に理解してはじめて、原理的に論駁不可能な普遍的ディスクールとしての保守論が展開可能となる。

もはやいまの保守論は、その語らいの形式レベル(メタレベル)においては、部分主義たる相対主義(ポリコレ式多様性)のディスクールに飲み込まれているといえよう。
現代の哲学が普遍主義的な全体の論理を放棄したこととこの事態は相同的である。

この程度の世界の理さえ理解できぬ猿が学者を騙り金儲けによってザーメンを射精。

よもや文明世界の崩壊は避けることができず決定的である。
百田尚樹はこれを知りながら、勃起マンオペレーションを実行!世界の終わりをザーメンで飾る壮大なオナニーに着手している。

そしてなにも知らぬ、いや知らされていない百田尚樹のあわれな小判鮫、北村弁護士は、百田劇場のポーンとして、対パヨク兵器に邁進させられているわけだ。

この国のエリートは学歴や資格だけの無脳の低知能単細胞生物が人間の皮を被っているに過ぎず。このヒトモドキアメーバどもは想像的な仕方で語らい(権威)を模倣し、さも主体があるかのごとく人間に擬態する。
このような模倣(想像的杖)は日本猿が元来得意としてきた猿真似と通底。

いずれにせよわれわれは、つまり世界は百田尚樹のヘンズリシナリオに従ってシコシコと終焉するより他ない。

もし真に保守たらんとしたい者にいえるのは、保守を語るときには全体主義ではあらぬところの全体性(強迫神経症)の形式で言葉を紡がねばならぬ、ということに尽きる。

ところで公概念は他者との分離の様態を示す。したがって公私の概念から、その言語圏の性文化(性的規範)を推測することも可能である。

また人類文明に普遍的に見いだせる近親相関のタブー、性のタブー、この禁止が人間の言語を規定する要件になっている。

こうしたことを理解する知能を欠いた低知能ないまの保守派論客は伝統的規範について、たとえばLGBTの批判にしても部分主義的な批判に留まる。
たとえば設計主義はリスクがあり、性的伝統の軽視は想定し得ない問題をきたすだとか。
あるいはトイレが危ないとか女性蔑視であるとか。

こうした批判はたんに変革にともないうる可能性の一面を拡大解釈して信念補強的な論理を組み立てているに過ぎず、このような部分主義の論理展開の形式そのものがポストモダン的多様性のフォーマットに過ぎない。

伝統規範とはそれが全体の規範、すなわち国家共同体に対し単一にして普遍の規範であることにのみ、その正統性の根拠があり、したがってかかる規範の優越は全体的論理によってのみ提出されうるわけだ。

つまりなぜ伝統規範でなければならないかについて原理的に論駁不能の網羅的な理路の提出が必要となり、その次元に至らぬ語らいはどんなに保守的でも全てサヨクの亜種に過ぎない。

しかし普遍的規範はまた同時に一つの欠落によって基礎づけられるものとして、つまりなんらの欠落も不満ももたらさぬ全体主義とは異なるものとしてあらねばならぬ。

それでいて普遍を可能とするところの時間とはあらゆる過去に存在論的に先行する今の自己分節おいて現れる。
すなわち普遍的規範とは存在論的に時の規範化、客体=自同律を幻想する。
それは客体のつどのあるを統御する客観時間(因果律)を構成するところの全体普遍を構成する規範である。

それでいて、その実相が根源的今に帰する無限の裂け目(合一)、あるいは時の溯行における順行の可能、溯行と順行との弁証法をなすことが洞察されねばならぬ。

ここまでを理解したならこれで保守レベルもう中学生といったところか。ちなみに高校生程度になるものはさらに精密な理論の理解、人間学的感性、人格、知性を要する。

まずは小学生レベルの理解をもって百田ドリームの夢精の極致を掌握しよう。
百田総帥はこれらをもう人類卒業レベルにおいて完全に理解している。

そのうえでオナニー猿を演じ歴史の終焉に勃起ノコ雲をあげようという腹積もりなのだ。
われわれの外傷としてある原爆の爆炎、キノコ様の雲、これは百田尚樹総帥の勃起したデカマラを象徴する。

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