【青と夏とわたし】

【五月病から逃げ切って】


5月も残すところあと数日。(現在29日)
新しい環境、目まぐるしい4月を乗り越えた5月には、あまねく魔物がいるという。
どうにか、その魔物との鬼ごっこ、まさしく鬼からは逃げ切ったまま終ぞ取り憑かれることはなく過ごせたと思う。
5月。暑くて、初夏なんて言ったりして、控えたおっきな巨大な夏(自分にはでかい太陽がそびえているように見える)に向けた麓のような月で、一方で祝日のない湿った6月への大穴のような暗さもある月だ。
5月。始まりはゴールデンウィークで、三重に帰省して1日からチーム東大とダンダダンというイカした餃子屋さんに行った。イマイチ大学に乗り切れない浮遊感もあって地元の友達は超楽しかった、超会いたかった。18年同じ風土に根をはっていた時とは「地元の友達」の貴重さがぐんとちがう。日本、あるいは地球どこにいてもワンチーム、まさしくチーム友達だと思った。契り‼️‼️
5月。残りはのんびり実家で過ごし、6年ぶりの地元の子と2時間家の前の公園でおしゃべりするという可愛いことをした。超楽しかった。中高より深く根ざしたシンパシーが確かにあった。
5月。2週連続でロックフェスに行ったり、やっとこさ確かな友だちが出来だしたり、なんとか周りのみんなが「普通に」やっている、衛星上の軌道に乗るという事が出来たような感覚。でもみんなよりは周期は遅いだろうなという感覚。確かに人と合わせることが苦手だと認めた感覚。感覚。リフレインする、決して気持ちのいいものでは無い。
5月。☝️の地元の子とのキラめく予定を立てた。キラキラした。砂浜の砂が手について、その幾粒かが光をまとった時みたいな、幼心にはまるで宝石が手についたように錯覚する、青い輝き。
包括。でもきっと上手くは行かない、ずっと「乗り越えた」という一山ずつの手触りがずっとある。他の人ならもっと上手くやれるだろうなと思う。でも自分だから1人の空想が他の人よりずっと楽しいと信じている。多分自分の脳みそは、他の人よりカラフルなハズだ。
6月。6月は自分の誕生日が末に控えてる、19歳、今までの年齢より意味や責任がきっと乗っかっている。辛いことが毎日あって、ペットボトルを手に持ってゴミ箱を探す時みたいに「しにたい」と呟いて出口を探す。でもホントにウソ。マジに死にたくない。おれが生きる限りずっと意味があるとおれは信じている。きっとおれの一言には他所のスピーチより色がある。

昔を振り返ろうとするとついこないだの高校時代があっても、絶対に届かないままつっかえる感覚が強くある。未来を見る。海が見える。
多分白い太陽が海に溶けている。その白は濃い青をぬりつぶしてのびやかに広がっている。
絵の具じゃ断じてありえない、事実は小説より奇なりというか、まあなんというか、明るい本当を見ようとしてるのだ。

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