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ワコク温泉街妖怪物語

男は温泉街の外れで小さな金物屋を営んでいた。鉱夫達に物資を売り、決して裕福ではないものの食うには困らない生活をしていた。


春、男は恋をした。女は病を抱え、その病は既に女の視力を奪いつつあった。しかしそんなものは男の心を変える理由にはならなかった。

秋、女は子を宿した。男は女の体を慮り子供を諦めるよう説得した。女は首を縦に振らなかった。

夏、女は産まれたばかりの子に健康に育つようにと『タケル』と名付けた。案の定、産後女の病は悪化し、四六時中床に伏せるようになった。朦朧とする時間も増えていった。

冬、タケルは女に似たのであろう、名に込めた願いも虚しく病を患い、静かに息を引き取った。


「あなた…タケルは…。」

女のか細い声が聞こえる。

「ただの流行り病だよ。もう大丈夫。今は隣の部屋で寝てるよ。お前に移しちゃいけないからね。」

「そう…。」

もうほとんど何も見えてないのであろう。女は中空をぼんやりと見つめている。


その晩から女の様態は悪化した。熱にうなされ「タケル、タケル」とつぶやいている。

男は意を決し、腹の底から叫んだ。

『オギャーオギャー』

「聞こえたかい?タケルの泣き声だよ。」

相変わらずうなされてはいるものの安心したように力無く微笑む。 


その日から男は毎日叫び続けた。

『オギャーオギャー』

客も不気味がり、いつしかその店には誰も近付かなくなったが、男は構わなかった。


昼間来た医者に今夜が峠と伝えられた夜、男はいつも通り泣き続けた。

みるみる衰弱していく女。それでも溢れ出る嗚咽を無理やり飲み込み

『オギャーオギャー』 

女が息を引き取った明け方、男は本来の泣き方を思い出した。


それ以来その店から不気味な泣き声は聞こえなくなった。泣く事も笑う事も忘れた男が静かに佇んでいた。

”子泣きジジィがいた金物屋”

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