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☆12 三郎(サンラン)との出会い

 菩薺観を開いた謝憐は、道観の修繕費用を稼ぐため、昔の稼業「ガラクタ集め」を始める。その帰り道、菩薺村へ戻る牛車を見かけた謝憐は、これに乗せてもらうことにするが、その荷車には先客がいて…。

 ガラクタ集めというのは、不用品回収業のことだろう。要らない物は只で引き取りますよと言って、集めて回っているのだと思う。
 日本語版原作小説(以下、原作と略す)には、「眉目秀麗で風格も瀟洒、仙人のような風采を持っている者であれば、ガラクタ集めをするにも比較的有利になる」と書かれている。謝憐が美しく、人を惹きつける容姿を持っていることを示す一文だ。

 牛車が揺れて巻き物が落ちて広がり、「あ。私のことが書いてある。『仙楽太子。飛翔すること三回…』」と謝憐が読み上げる。この後先客(後に名乗って「三郎(サンラン)」という)が口を挟んでくるわけだが、これは三郎が謝憐のことを「仙楽太子だと知っていた」ということを示すエピソードだろう。
 無論彼は、そんなことは先刻承知の上で此処にいるわけだが、後で「どうして私が仙楽太子だと知っているの?」と訊かれても、「自分で言ってたじゃないか」と言い訳出来るというわけだ。
 なので謝憐は、三郎が自分のことを仙楽太子だと承知の上で付き合っている、ということに疑問も持たないし、追求したりもしない。

 「『水師(シュイシー)無渡(ウードゥー)は、水と財と司る神』、何故水の神が財運まで関わるんだ?」と訊かれた三郎。彼は返事の中で水師について、「水の暴君」と言っている。
 原作では「水横天(すいおうてん)」となっているが、これはアニメならではの変更だろう。「水横天」という字を見れば、「ああ、水の神様で、横柄だったり横暴だったりするんだろうな」と見当がつくが、耳で「すいおうてん」と聞いても何だか分かりにくい所為だと思う。

 「君はまだ若いのに、随分物知りだね」「うん。暇だから書を読んでる」という一節。これは三郎に文字を読めるだけの学があり、書に十分触れられる環境が周りにあることを示している。身なりも良さげで、「お金持ちのお坊ちゃん」という印象を謝憐に抱かせたことだろう。

 「神に詳しいのなら、鬼はどう?」「どの鬼?」「血雨探花、花城だ」
(どうでもいいが、うちの日本語変換ソフトが「けつうたんか」を入力しようとする度「けつ打たんか」と変換してくるので、即行で「血雨探花」を辞書登録してしまった。)
 この会話の直後に、下界へ降りる前の謝憐と霊文との会話シーンが差し込まれるので、「血雨探花」が謝憐の頭の中に強く残っていて、訊ねてみる気になったのだと思う。目の前の少年が血雨探花本人かどうかについては、可能性としては無くも無いがそれほど疑っているわけではない、というところだろう。花城が謝憐に固執していることを彼はまだ知らないので、早々に再会する事態は想定していなかったに違いない。

 この後、血雨探花こと花城に関する二人の会話が続き、血雨探花と呼ばれることになった由来、花城の外見、その弱点である「骨灰(こつばい)」などについて語られる。
 「もし僕が骨灰を託したら、それをどうされようが本望だね」という言葉は、あたかも三郎自身が鬼であるかのように(実際、そのとおりなのだが)、謝憐には聞こえただろう。もしかしたらこの時から謝憐は、三郎が見かけどおりの少年ではない、との疑いを深めたのかもしれない。

 少し画面が暗くなって日没が深まる中、二人は名乗り合い、三郎が家を出て放浪していること、饅頭を分け合って食べるシーン、謝憐の現況などと続く。
 「(菩薺観に)祀っているのは?」「仙楽太子だ。多分知らないだろうけど」「いや、…」と三郎が言いかけたところで、牛車が大きく揺れ、謝憐が咄嗟に落ちかけた三郎の手を掴み…。
 このシーンについては、既に相当数の方々が考察しているので、此処では触れないでおこう。謝憐自身も深く考えることなく、その時起こった異変に対応していくことになる。

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