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★7 陰陽説

 「五行説」に触れたなら「陰陽説」についても書かないわけにはいかないだろう。それに私は陰陽説に関して、どうしても言いたいことがある。
 そのことはこの記事の最後に書くが、あまりのことにひっくり返っても責任は持てないので、ご注意を。

 陰陽説は前項の五行説と合わせて、よく「陰陽五行説」と言われている。これを説明するとまた長くなってしまうので割愛し、とりあえず陰陽説について書く。
 陰陽説とは簡単にいうと、全てのものは「陰」と「陽」に分類され、それはいずれかが劣っているとか優っていると言えるものでは無く、双方があってこそ釣り合いのとれるものだ、とする考え方である。
 たとえば、昼が陽で夜が陰、上が陽で下が陰、外が陽で内が陰、春夏が陽で秋冬が陰、男が陽で女が陰…という具合である。
 どちらが欠けても成り立たない、というのが陰陽説の大事なところで、昼がなければ夜もなく、上がなければ下もなく、外がなければ内もない云々、というわけだ。

 これらの内、男女(雌雄)のそれは、特に重要だと考えられてきた。その交わりが、新しい生命を生み出すからである。そこから発展して、たとえば酒の熟成する過程も、天地の陰陽二気がもつれ合い一つになることで変化して新しい物を生み出す、というようにとらえられた。万物は陰陽の交合により生み出されている、と考えられたのである。

 『天官賜福』の作者・墨香銅臭が書いた『魔道祖師』には、「金丹」という言葉が何度も出てくるが、金丹は仙となるための核とも言える部分であり、陰陽合一によって作られるという。
 仙は純陽と呼ばれる存在なのだが、そこに至る過程に陰陽合一があるのが面白い。純陽とは陰を消すことによって出来るのではなく、陰陽の対立のないピークの状態を作り出すことによって得られる、ということらしい。

 たとえば、弓矢を遠くへ飛ばす場面を考えてみよう。矢の行く方向を陽とする。
 ここで、矢をそのまま陽の方向へ押し出しても、ほとんど飛ばずに落ちるだけだ。遠くへ飛ばすためには、先ず陽とは反対の方向=陰へ向かって、矢を強く引き絞らなければならない。陰へ向かう力が強ければ強いほど、陽へ向かう力も大きくなる。
 この時、弓は元の形へ戻ろうとし、矢を引く手はそれに逆らう。陰陽が対立している状態だ。だがここで手を離すと、陰陽の対立は一瞬にして解消され(おそらくこれが陰陽合一)、矢は陽に向かって力強く飛び出す。この飛び出す瞬間が純陽である、と。

 はあ、弓矢の話はわかったが、その純陽が仙だと言われても何が何だかさっぱり…とお思いだろう。実のところ、私も全くわからない。
 しかしながら、陽となるには陰の力が必要不可欠というのは、何となくわかる。陰も陽も単体では不完全、双方が合わさってこそ完全となるのだろう。

 ということで、冒頭の「どうしても言いたいこと」の話になるのだが。
 『天官賜福』のカップル「花憐」において、花城は鬼なので陰の存在だ。そして謝憐は神官なので陽である。加えて、花城は攻なのでおそらく陽、謝憐は受なので陰、と言っていいと思う。これは即ち、花城は陰でありながら陽であり、謝憐は陽でありながら陰である、ということになる。
 となればこの二人の交わりは、陰陽説において「完璧な組み合わせ」と言っていいのではないか…言って良いはずだ。否、もう言ってしまおう、「完璧だ!」。
(尚、これはあくまでも「個人の感想」なので、反論は受け付けていない。ご了承願いたい。)

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