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☆14 手相

 鬼達との諍いを何とかやり過ごした謝憐は、菩薺村へ戻ってきた。満月の下(この日は旧暦七月十五日なので、十五夜だ)、謝憐は三郎に手相を見ようと持ちかける。

 既に謝憐が三郎のことを、「鬼ではないか」と疑っていることがわかる場面だ。
先程(牛車が揺れて落ちかけた三郎の手を掴んだ時)握った手を振り払われたので、手には触れず、月明かりを頼りにじっくりとそれを見つめる。

 実際のところ、謝憐は手相を見ることが出来ない。日本語版原作小説(以下、原作と略す)には「昔、貶謫された時も、どうして皇極観(謝憐が修行をした場所)で国師たちから手相と面相を学んでおかなかったのかといつも後悔していた」とあり、もし出来たらもっと楽にお金を稼げたのに、と思っていたようだ。
 なので、謝憐が三郎に告げた言葉はでたらめである。

「物事に動じず忍耐強く、苦しくても絶対に信念を貫く。災い転じて福となし、運を味方につけ、幸運が長く続く。きっと、君の未来はとても明るく華やかなはず」

 よくもまあつらつらと、という感じである。これ以上は無理、と思っていただろうが、謝憐自身、当たっているとは全く思っていないだろう。何か適当に良い言葉を並べておこう、程度にしか考えていなかったはず…。
 原作にはこれを聞いた三郎の様子が描かれている。「瞬きもせずに謝憐を見つめていた三郎が、そのでたらめを聞きながら小さく笑いだす。それはずいぶんと意味深な笑いだった」。

 三郎が鬼かどうか確かめるために手相を見ることにしたのに、法力は感じられず(鬼は偽物の体を作り出して人間に化けるので、その際使用した法力の痕跡が残るはず、ということか)、真似出来ないはずの手相もはっきりしている。鬼だとするなら凶か絶、鬼界の王位がこんな片田舎にいるとも思えず、謝憐は戸惑う。

 原作によれば、妖魔鬼怪をその能力に基づいて「悪(あく)」「厲(れい):礪の原字。「はげしい」意)」「凶(きょう)」「絶(ぜつ)」の四等級に分けたのは、霊文殿(天界の人事を司るところ)であるとのこと。
 「悪」は人を一人殺す力を持ち、「厲」は一門を皆殺しにできる力を持つ。「凶」は一つの町を滅ぼし、そこにいる人間を鏖殺(おうさつ)する。最も恐ろしい「絶」がこの世に現れると、国と民に災厄をもたらし天下を大混乱に陥れる、と。

 余談だが。現実世界では鬼=死者の霊なので、一般的には見ることが出来ない。しかし中国では昔からこれを見ることの出来る人(日本でいう霊能者)がいて「見鬼」と呼ばれている。その人の名が「李」なら「李見鬼」と称されるらしい。
 彼らの中には鬼を支配し、必要な時に喚びだして意のままに使役する者、或いは本来鬼を見ることの出来ない者の前にその影像を見させる術を使える者もいたという。
 もっとも、鬼物の本体を透視し看破することは、道教の道士の専門のようになっていて、現実でも創作でも、鬼のあるところ道士あり、という感じである。

 さて。戸惑うばかりの謝憐に、三郎が追い討ちをかけるように言う、「それで? 他には?」「何を知りたい?」「結婚運っ」。
 「多分この子は鬼だよなあ。なのに結婚したいの? え〜っ?」という感じだろう。「それは心配しなくて大丈夫だ」と言いながら、思いつくまま三郎の美点を挙げていく謝憐。たくさん褒めてもらって嬉しそうな三郎が愛らしい。

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