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☆57 「好きなようにやって」

 花城は自分の存在を、謝憐を支えるためにいる、と思っている。それがどんなことであっても、謝憐はその心に従ってやりたいようにやればいい、そしてその行動と結果がどんなふうになってもそれを全力で支えよう、そう思っているはずだ。
 だが、鎏金宴に関わる一連の流れの中の花城は違う。謝憐の意志に逆らい、時にはその行動を制限してまで、花城自身の意思を優先している。
 それは何故なのだろうか。

 「あなたが何をしたか、していないか、何故したか」、それを知ってもらうのが重要だと花城は言う。「知ったところで何になる」と謝憐は切り捨てるが。
 花城は、謝憐のことを悪く言われるのが我慢できない。だから知ってもらおうとしたのだろうか。だが謝憐の言うとおり、理由がわかったところでしてしまったことは変わらない。嫌われ、憎まれることに慣れ過ぎた謝憐は、自分の犯した二つの罪がどうせ消えることがないのなら、他の罪も被ったっていいじゃないか、それで誰かの迷いを消せるのなら、と思っている。
 花城は謝憐を守りたかったはずだ。その心と体が傷つかぬよう、誰も傷つけることがないように、したかったはずなのだ。だが結局は傷ついてしまった。花城の起こした行動のせいで。

 花城に食ってかかった謝憐が少し落ち着いた後、彼は言う。
「あなたは悪くない。永安国主を殺し仙楽人を守り、安楽王を殺して両族の争いを防いだ。最後は郎千秋の手により犯人は処刑された。三人の命で太平を得る、俺でも同じようにした。自分を責めないで。誰もあなたより上手くはやれない」
 どちらに転んでも誰かが死ぬ。犠牲を少なくするために、あなたは手を尽くした。そう言いたかったのだろう。

 これは極楽坊での郎千秋と花城の戦いで、謝憐が割って入って、剣の力を受け止めた時と似ている。あのまま戦っていれば、おそらく花城が優っていただろう。郎千秋が傷つき倒れたはずだ。だが、謝憐は千秋に傷ついてもらいたくなかったし、花城にも傷つけさせたくなかった。かといって、全力で打ち込んでくる千秋を、花城が放っておくことは出来ない。自分が傷ついてしまうのだから。
 だから謝憐は割って入った。そしてそのダメージを全部その身に受け止めたのだ。二人が勝手にやったことなのだから、放っておけばよかったのに。

 鎏金宴も同じだ。本来、謝憐が自分の手を汚してまで、首をつっこむ理由などなかったはずだ。彼はもう仙楽国の太子ではないのだし、その仙楽国すら滅びている。むしろ永安国のために働くべき立場にいて、あんな大それたことをしでかした安楽王を討ち取るのは当然だ。永安国の後顧の憂いをなくすためには、仙楽人に犠牲となってもらうのもやむなし、と永安人なら誰でも考えたろう。
 だが謝憐は、何も知らない仙楽人を放っておくことなどできなかった。永安人に仙楽人を殺させることもしたくなかった。だから割って入って、自分が全ての罪を被る選択をしたのだ。

 花城はそれがよくわかっていた。おそらく戚容も(そして、馬鹿げてると思っていただろう、「大失敗だ」と罵っていたから)。
 花城は郎千秋に「お前ならどうする」と訊きたかったのかもしれない。全てを明らかにした上で、「お前の師匠はこうしたぞ」「お前にそれができるのか」と。

 花城が事件の全容を掴んだのは、戚容と同じく「芳心国師=謝憐」だと知った時だ。そしてそれは郎千秋が神武殿で、謝憐を「国師」と呼んだ直後だろう。十二話で君吾が「花城は天界に間者を送り込んでいる」と言っているので。
 花城は謝憐のことも、戚容のこともよく知っている。無論、事件そのもののこともよく知っていた。真実に辿り着けた理由について、彼はこう言う、
「奴(戚容)がやったと信じたのではなく、あなたではないと確信していたから」

 謝憐の自己評価は低い。
「私は、君が思うような人間じゃない。あまりに美化し過ぎてはいけない。ずっと遠くから見るのだったらいいが、一旦近づき、知ってしまえば、完璧な幻影はいつか崩れ去ってしまう。そして最後は失望するだろう」
 人は多く、自分の見たいものしか見ない。勝手な理想を押し付けて、それと違うと文句を言う。そして謝憐はその程度では済まないもっと苛烈な目に遭ってきた。

 だけど、否、だからこそか、私は思う。謝憐だって、勝手な理想を郎千秋に押し付けようとしたんじゃないの? と。
 確かに、天真爛漫で陽気な郎千秋は可愛い。そのまま理想を信じて、まっすぐ伸び伸び進んでほしい、というのはよくわかる。暗い瞳で世の中を呪って生きるような姿は見たくない。自分と同じ目に合せたくなかった、自分と同じ思いをさせたくなかった、その謝憐の気持ちもちゃんとよくわかっている。
 だが逆に、謝憐は誰よりも「理想と現実は違う」と知っているはずだ。幼い頃から「万人を救いたい」と願い、できるだけそうあろうとして、いつもいつも頑張ってきたけれど、それは到底届かない理想なのだと、思い知ってきたではないか。今の謝憐にこんなことを言うのは酷だけど、真実を隠し、嘘で塗り固めてまで、郎千秋に理想を信じさせたいなんて、結局は謝憐のわがままだ。
 謝憐だって、「自分の見たい千秋」をいつまでも見ようとしているだけだ。そして、その「幻影」が崩れてしまうことを恐れているに過ぎない、と。

「誰が失望しようと関係ない。ある者にとっては、この世にその人が存在することが希望なんだ」
 花城は「ある者」が誰かも「その人」が誰かも言わないけれど、謝憐にとってはこの言葉自体が「希望」に思えたかもしれない。

 花城や謝憐に比べれば、ずいぶんスケールの小さな、しかも私事で申し訳ないのだけれど。
 今から三十年くらい昔、私は自分自身に失望していたことがあって、その頃の私はどんな仕事をしても長続きせず、また他人と上手く付き合っていくこともできなくて、自分は社会不適合者だと思い、生きることも辛くなっていた時期があった。
 当時、我が家は犬を飼い始めた頃で、普段犬は一階で、私は二階で寝起きしていたのだけれど、只々憂鬱な気分で起きて階下に降りていくと、毎度毎度犬が大歓迎してくれた。
 ご飯も散歩も主人の係で、私は何もしていなかった(否、犬が嫌いだったわけじゃない。むしろ好きすぎて、そうしておかないと全部こちらに世話を押し付けられるだろうと思っただけだ)のだが、顔を見ただけで飛びついてきて、「やあ、今日も会えたね」とでも言いたげに、尻尾をぶんぶん振り回す。
 その顔を見ていると、何だか「生きてるだけでいいんだよ」と言われている気がした。何もしなくても、できなくても、そこにいるだけで嬉しいよ、と。

 そういう人が一人いれば、人は生きていくことができる。何ができるか、何を成したか、ではなく「ただそこにいればいいんだ。それで十分なんだ」と言ってもらえれば。ましてそれを「希望」と言ってもらえたなら、勇気も湧いてこようというものだ。

 謝憐と花城の別れ際の会話。
「どうであれ、千秋の件は感謝する。何が正しいかはわからない。だけど、こういうのも悪くない」
「考え過ぎだ。あなたは好きなようにやって」
 結果は一緒に受け止める、ということだろう。全てを包み込んで寄り添おうとする花城は、男前に過ぎる。

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