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イギリス史②ヴァイキングが襲う

こんばんは。前回はイギリスにゲルマン民族が襲来!ってとこまで書きました。今日はその続きから北欧の勢力と争うところまでいきたいと思います。よろしくお願いします。

ゲルマン民族イギリス入り

ローマ帝国色に染まっていたイギリスですが、ローマ軍が撤退したことによって守ってくれる者を失います。ここからはゲルマン民族がイギリスでブイブイしていきます。

アングロサクソン人による支配

ゲルマン民族の中のアングル人、サクソン人、ジュート人らのことをまとめてアングロサクソン人といいます。今まではブリトン人が現イングランドの土地に定住していたと思われますが、アングロサクソン人によってブリトン人は土地を追われます。北、西、大陸側へとバラバラに散ったブリトン人の中でも、西に逃げたブリトン人らは現ウェールズに定住するようになりました。この頃のストーリーで有名なのが〈アーサー王物語〉だそうです。ウェールズ人の誇りとなるような、大切にされてきた物語なのでしょうか。いつか読んでみたいです♪
大陸側に逃げたブリトン人達の拠点となったのはフランス、ブルターニュ地方だそうです。ここは故郷のブリタニアを意識した土地となったのではないでしょうか。

アイルランドは侵略されず

アイルランドにはケルト系のゲール人が定住していました。ローマ帝国の支配はなかったそうです。ゲルマン民族がヨーロッパに大移動したときも直接的な被害はなかったとか。じゃあアイルランドにゲルマン人は侵入しなかったのか‥というとそうでもなく、ヴァイキングの侵攻を受け、その後ゲルマン系が混じっていったそうです。

アングロサクソン人の国

アングロサクソン人がイングランドをつくった

ここからはアングロサクソン人が主な支配者として現イングランドに定住するようになります。この頃から地名を〈イングランド〉と呼んでいたようです。
アングロサクソン人はそれぞれの土地にそれぞれがリーダーをたて、いくつかの集落をつくったそうです。戦いながらそれらの集落はのみ込まれ統合していきます。これも中国史で学びましたね。集落から村になり、権力者は貴族となり国が興る‥アングロサクソン人達もこんな感じで国をつくっていきます。人類ってみんな同じ行動だな~‥。

ゲルマニアから持ち込まれた英語

その後イングランドにはアングロサクソン人による七つの国が力を持つようになります。この時代のことをヘプターキといいます。ここから様々な文化がイングランドに入り込んでいきます。その一つが英語です。今のような英語ではありませんが、ドイツ語寄りの古い英語が話されるようになりました。ゲルマニアって現ドイツ、ポーランドらへんの地域にあったみたいなので〈ドイツ語寄りの〉ってのは理解できますね。

キリスト教は既にあった


またその他には、キリスト教の布教活動が活発になっていきます。キリスト教はもともとローマ帝国支配下の頃からイギリスで存在していました。が、ローマ帝国撤退後はその布教活動も中断。それがまた活発になったのは、ローマ教皇がアングロサクソン人に布教したからだそうですよ。ローマ帝国が東西分裂した後、そちらはそちらでいろいろあって、ローマ教皇はアングロサクソン人と仲良くなります。味方につけるためにキリスト教を勧めたのかもしれません。
アングロサクソン人がキリスト教に入信したということで、イングランドでもキリスト教は流行ります。沢山の教会や修道院が建てられたようです。

イングランド内で七つの国が争いまくる

七つの国の名前は、(地図上の上から順番に)ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、エセックス、ケント、サセックス、ウェセックスです。一時はノーサンブリアが強国でしたが、その後衰退。マーシア内乱状態だけどなんとかウェセックスを支配。エセックス、サセックス滅びる。ケント、イーストアングリアはなんか分からん(汗)‥ということで、今存在感があるのはマーシアってことで!ですがその後ウェセックスが盛り返してマーシアを支配下に。あ~自分で言ってても分からん!

ヴァイキング来襲

この頃、海から強敵が現れます。それがヴァイキングです。ヴァイキングというのは現ノルウェーやデンマーク、スウェーデンに定住していたゲルマン民族たちの一派です。当時は修道院とかに金目の物が多かったそうなので、船でやって来たヴァイキングはそういう建物を襲撃し、いろいろ奪って去って行ったみたいです。ヴァイキングは戦ったら強かったみたいで、七王国にも大打撃を与えたようですよ。

ヴァイキング=普通の人たち

ヴァイキング=海賊‥といっても自国に帰れば農業とか漁師とか、普通の人だったようです。そして自国に帰るのが面倒になったのか、そのままイングランドや現フランスの北西部(ノルマンディー)に定住し始めます。ちなみにノルマンディーに住む人々をノルマン人と呼びます。

スコットランド王国

カレドニア(現スコットランド)にはピクト人やスコット人が定住していました。ピクト人スコット人とはゲール人が枝分かれした民族で、元を辿ればケルト民族の人々です。元々それぞれの民族が自分たちの国をもっていましたが、ヴァイキングによって両国が大きな被害を受けたことによって、まさかの統合!アルバ王国という一つの国が誕生しました。このアルバ王国=スコットランド王国だという見方があるそうです。(個人的に)大事なのは、スコットランドにまだゲルマン民族=アングロサクソン人の支配はない!というところです。

デーン人侵入

デーン人がイングランドに侵入

デーン人というのは現デンマークに定住していた人々です。ちなみにノルウェーはノーン人、スウェーデンはスウェード人です。皆北欧のゲルマン民族です。そのデーン人がイングランドに攻めてきました。イングランドのウェセックス王国とマーシア王国は手を組んでデーン人に対抗します。結果、デーン人をイングランドから追い出すまではいきませんでしたが、なんとか大人しくさせることに成功しました。しかし、協力関係にあったマーシア王国は滅びてしまいます。こうして七つの王国はウェセックスのみとなりました。
このときのウェセックス国王アルフレッドはデーン人と協議し、デーン人がイングランドに土地を持つことを許します。さらにキリスト教に入信させました。
てか、ここで思うんですけど‥デーン人ってヴァイキングさん達の地元(自国)ってことでいいんですかね?

アルフレッド王

この人は結構勉強熱心な王だったようで、当時ラテン語で書かれていた聖書を古英語に翻訳したり、自伝や戦いの歴史を書いた本を出したりと、積極的に活動していたようです。この人のおかげで英語がイングランドの標準語になったそうです。他にも、もともとあった法典をさらにグレードアップさせたり、土地の区分を整理したりして国のために尽力します。「アルフレッド大王」と呼ばれるくらい影響力のある人物だったようです。

ウェセックス王国

アルフレッド王の治世の後も、デーン人は再びイングランドに侵入してきますが、それを撃退。現スコットランドにあった王国も撃退し、ウェセックス王国は強国として知られていきます。国内では議会を開き、国の防衛、外交、立法、司法、王位継承など、様々な問題が話し合われました。また、外交面では自分の血縁をフランス王室や神聖ローマ帝国に嫁がせるなど、ヨーロッパの中での関係強化に努めます。このときの王様がアゼルスタンです。

ここらへんからはウェセックス王国の家系図で説明していきます。

誤字とかあるわ~‥すんません(;^_^A

ウェセックス王国の初代国王とかはよく知りません。とりあえずマーシア王国とバチバチ戦っていた時代のウェセックス王、エグバードから書きました。こう見てて思うのは、デーン人諦めないな~‥って。その理由は次回書きたいと思います。
イングランドがイングランド王国として統一されたのがエドガー王のときらへんです。
順調そうだったのに、下の方‥エゼルレッド2世がやばそうでしょ?エゼルレッドはエドワードと王位継承でもめます。結果エドワード死後、エゼルレッド2世として即位。こいつがコロしたんか?

その頃、デンマーク王国の勢力が大きくなります。そのデンマーク王国と、イングランド王国のエゼルレッド2世は、デーン人のことで争うことになります。ちなみにデーン人はデンマーク人です。

見づらいですね。メモなんで‥って言い訳してみる(;^_^A

デンマーク王のスヴェン1世はなかなか統治力のある王だったんですかね。デンマークとノルウェー、スウェーデンの一部を統治ってやばいな‥。いや、これからのイギリス史ってこういう「兼任」多いんだよな。
イングランド王エゼルレッド2世はデーン人撃退に疲れていたんですかね。もうお金あげるからイングランドから出てってや~!って。でもデーン人は退かない。むかつくから身近なデーン人殺戮したろ!ってか?すごい作戦だなエゼルレッド2世。
同じデーン人としてそれは許せない!とデンマーク王は怒りまくり。それでイングランドにデンマーク軍が侵攻してくるわけです。

デンマーク人がイングランド王⁉

ちょっと疲れたんでここで一旦終わります。次回、デンマークvsイングランドってことで。

おつかれさまでした~

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